八年越しの初恋、回収します。〜私のトリコになった部下に、八年前から溺愛されています〜
「……私のために、なぜ、そこまで言ってくれるの?」
そっと朝倉くんを見た。
彼が一瞬、眉を寄せて、黙った。
「…………」
(……え? なぜ、ここで黙っちゃうの)
予想していなかった反応に、私もどうしていいのかわからず、視線を泳がせた。
さっきまであんなに迷いなく雨森のことを批判していたのに。
朝倉くんは何かを考えるように私を見つめている。
その視線から逃げるように、私は手を戻して、一つ息を吐いて整えた。
(私は、朝倉くんの上司でしょう。しっかりしないと!)
こんなところで動揺してはいけない。
一つ、小さく咳払いをした。
「朝倉くん」
「はい」
「待っていてと伝えたのに、なぜついてきたの?」
「投資信託の目論見書を探しにきたんです」
(嘘……もうそれは知っていることでしょう?)
私は思わず朝倉くんの顔を見た。
「……それは総務部の資料室。この部屋ではないよね?」
「覚えておきます」
あまりにも淡々とした返答だった。
まるで私が何を聞いているのか、すべてわかっているような顔をしている。
こんなにも平然と答える彼に、私は畏怖さえ感じた。
朝倉くんは、私の行動をよく観察している。
私がここへ呼び出されていることも、雨森との関係も──。
もしかしたら、私がどんなふうに彼に頼られているのかまで、気づいていたのかもしれない。
私は顔を上げて、改めて彼を見た。
「もしかして……私を心配してくれているの?」
「はい」
即答だった。
その迷いのなさに、胸が小さくざわついてしまう。
「瞳子さんが雨森さんを仕事ができる男に演出しても、いつかメッキが剥がれて無能はばれます。はっきり言って時間の無駄です」
「……っ!」
龍彦を馬鹿にしないで──。
そう言い返すことができなかった。
龍彦にはいいところもある。
私を好きだと言ってくれた。恋人として大切にしてくれている……はず。
だから私は、彼が仕事で困らないように支えてあげたいと思っていた。
なのに、朝倉くんの言葉を聞いていると、その考えそのものを否定されたような気がした。
私は痛む胸元のシャツを、ぎゅっと握ってしまった。
「……でもね、これは個人の自由だから、朝倉くんは干渉しちゃだめよ」
「そうですね……」
(あれ、今回は素直に受け入れてくれた?)
私は拍子抜けて、朝倉くんを見た。
けれど、朝倉くんの目はいつもより鋭くなっていた。
静かなのに、何かを堪えている。
「でも本当は……」
「な、何?」
私は思わず息を止めてしまう。
朝倉くんは一度だけ視線を伏せ、それから真っ直ぐ私を見た。
「雨森さんみたいな人でも、瞳子さんと付き合えて羨ましいんです」
「え……?」
意味を理解するのに、一瞬時間がかかった。
「──はらわたが煮えくり返るくらいです」
朝倉くんが眉を寄せて、怒りの表情をみせた。
こんな顔は初めて見た。
いつも爽やかで、何を言われても笑っている人。
そんな朝倉くんが、私の恋人に対して、ここまで露骨に怒っている。
私は彼の言葉の意味を理解した。
でも、言葉が出ない。
何を言えばいいのかわからなかった。
私は乱れる心を落ち着かせようと、ゆっくり呼吸を整えた。
彼の言葉を額面通りに読み取る必要はない。
朝倉くんは部下なのだから、きっと私を心配してくれているだけ。
ここは年上らしく冷静になろう。
「朝倉くんの指摘通り、これは時間の無駄ね」
「この議論は無駄ではありませんっ!」
朝倉くんが声を張り上げる。
「……っ」
一瞬、私の胸が苦しくなる。
(こんな話、朝倉くんには、何も得にはならないっ)
私はぎゅっと手を握った。
私の恋愛に口を出したって、彼には何のメリットもない。
それなのに、どうして──。
「私のプライベートを覗くのはしてはならないことよ」
「苦しむ瞳子さんを見たくはありませんっ」
「……!」
違う!──。
私は苦しんでなんかいない。
(そう言いたいのに、心が痛むのはなぜ?)
胸の奥を見透かされたような気がして、思わず唇を噛み締めた。
「朝倉くん。それも決めつけよ。私、苦しんでなんかいない。さあ、もう戻って仕事をしましょう」
自分でも驚くほど早口になっていた。これ以上、この話を続けたくなかった。
返事を待たずに、私は出口へと踵を返した。
扉へ向かって歩き出す。
「……このまま続けるんですか?」
背中から、朝倉くんの声が聞こえた。
龍彦との関係を継続するつもりなのか。
朝倉くんは、そう訊ねているのだろう。
私は足を止めなかった。
それに答える義務はないと思った。
私は何も言わず、そのまま職場へと足を進める。
朝倉くんの私への執着には、以前から気がついていた。
距離が近い。
私を何かと気にかける。
仕事でも、私のためなら驚くほどの成果を出してしまう。
でも、それは優秀な部下だから。
そう思っていた。
なのに、こんなふうに真正面から切り込まれると、私はどうしていいのかわからない。
「──僕が終わらせてみせます」
私の背中越しに聞こえた、小さな呟き。
私は聞こえないふりをするしかなかった。
けれど──その言葉だけが、いつまでも耳の奥に残ってしまった。