八年越しの初恋、回収します。〜私のトリコになった部下に、八年前から溺愛されています〜




「え?」

 浮気相手と一緒に事故死──?

 衝撃の事実だった。
 あの強気な美麗さんに、そんな過去があるとは信じられなかった。

「母はショックで流産しかけました。父を恨みましたが、朝倉家のホテル事業を引き継がざるを得なかった。そして、亡き父への憎しみは、生まれた私に向けられました。なぜなら、父は私の誕生を心待ちにしていたからです」

「朝倉くんが悪いわけではないのに……。辛かったわね」

 父親の落ち度で、朝倉くんは母親から憎まれることになった。
 彼には何の責任もない。
 それなのに、生まれたばかりの彼が父親への憎しみまで背負わされたのだと思うと、胸が痛んだ。

 私はそっと彼の背中に手を添えた。

「母は父の事業を継ぐことで精いっぱいでした。子供ながら、傍で見ていてもそれは理解できました。思い出すのは、いつも不機嫌で疲れ切っている顔です。甘えたいときに我慢した記憶も、今でも鮮明に残っています」

 朝倉くんは少し遠くを見るような目をした。

「しかし、それを兄や黒川という執事がカバーしてくれました。自分を見守ってくれる人はいる。そう思えたことで、私は母に愛されなかったことだけに囚われず、擦れずに成長することができたんだと思います」

 そう言って、朝倉くんは優しく微笑んだ。
 本当に、そう感じているのだろう。
 母親への恨みよりも、支えてくれた兄や黒川さんへの感謝のほうが強いように見えた。

「そうなのね……。でも、それなら、ご実家に足を運ぶことを嫌がらなくてもいいのではないの?」

「いいえ。私は自分の自尊心を守るためにも、実家には……母の元へは帰りません」

「何か、決定的なことがあったの……?」

「……そうですね」

 風が吹きつけ、彼の前髪がはらりと額に落ちた。
 朝倉くんはそれにも気づかないように、富士山から目を離さない。

 私は一気に緊張した。

 きっと、ここが朝倉くんと美麗さんの関係を決定的にこじらせた原因なのだ。

 私は意を決して尋ねた。

「美麗さんとの間に、何があったの?」

 彼がゆっくりと私に振り向いた。
 その顔には、先ほどまでの穏やかな表情がない。
 なぜか、生気すら感じられなかった。

 彼の唇がゆっくり動く。

「母は、私の名前に呪いをかけたんです」

「呪い?」

 まさかの言葉に、心臓が大きく跳ねた。

 自分を生んだ母親が、息子の名前に呪いをかける。
 そんなことが、本当にあるのだろうか。
 でも、彼はそれによって長い間、苦しんできたのだ。

 私は朝倉くんのことを理解したかった。

「……それは、どんな呪いなの?」

 自分でも分かるくらい、顔色が悪くなっていたのだろう。
 朝倉くんは驚いたように私を見つめると、大きな手で私の頬を包み込んだ。

「心配しないでください。その呪いは、もう瞳子さんが解いてくれたんですから」

 そう言って、彼は微笑んだ。

「私が、いつ?」

 全く身に覚えがない。
 けれど、朝倉くんは私の問いには答えなかった。

「だから、今があるんです。僕たちは結婚する。大事なのは『今』です」

 そう言って、私を抱き寄せる。

「僕は生きる目的を見つけました。そして、それに向かって努力し続けてきた。そのきっかけを作ってくれたのは、瞳子さん。あなたです」

 そんな嬉しいことを言いながら、彼は大事なことを伏せている。
 それほどまでに、言いたくないことなのだろう。

「私は一体、あなたに何を与えたの?」

 私は彼の胸元に顔を寄せたまま尋ねた。

「支店で会ったとき、あれが本当に初対面だったの?」

「ええ。私は一瞬で瞳子さんの人柄に惹かれて、運命を感じました。あなたと結婚する。それだけを目標に、私は努力し続けることができたんです」

 そんなロマンスもあるのだろう。
 そう思えば、なんて素敵なラブストーリーなのだろうと、夢見ることもできる。
 けれど、私はどうしても腑に落ちなかった。

 彼の言葉には、何か大切なものが抜け落ちている気がする。

「どうしても、実家には行きたくないの?」

「はい。僕は、瞳子さんがそばにいてくれたら、それでいいんです」

 そう言って、彼は私の身体を離した。
 そして、そのまま口づけをしようと顔を近づけてくる。

 けれど私は、その口づけが恋愛感情だけから生まれたものではないと、なぜか分かった。

 怖い。寂しい。不安──。
 そんな感情を処理したくて、安心を求めるように私との接触を欲している。

「瞳子さんのご両親も、祝福してくれているはずです」
「そうね……」

 私は朝倉くんを守りたかった。
 だから、何も言わずに彼の唇へ自分の唇を重ねた。

 これ以上、傷を開かないで──彼から、そんなふうに懇願された気がした。

 無理に聞き出すことはできない。
 でも、この問題から目を逸らすこともできない。
 今は何も起きなくても、いつか必ず、また私たちの前に現れる。

 そのときには、今よりもっと大きく、もっと面倒な問題になっているかもしれない。
 それこそ、私たちの関係そのものを脅かすほどに。

「私は、あなたを幸せにしたい」
「瞳子さん……僕は、それだけで救われます」

 彼はそう言って、私と額をくっつけた。
 その表情には、ようやく安心したような色が戻っている。

 過去に戻って、あなたを苦しめるのではなく、これからの未来のために、禍根を取り除きたい。

 私は朝倉くんのために、何ができるのだろう。

 帰りの車の中でも、そのことばかりを考えていた。






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