八年越しの初恋、回収します。〜私のトリコになった部下に、八年前から溺愛されています〜



 鳳凰富士ホテルのチャペルは、ホテルから少し離れた場所に独立して建っている。

 最大の魅力は、祭壇の向こうにある大きな窓だ。
 そこからは、遮るもののない富士山が見える。

 今日の富士は雲ひとつなく、青空の下に堂々とそびえていた。

 控え室からチャペルへ向かい、衣装担当のスタッフと歩く。
 扉の前まで来たところで、私は足を止めた。

「姉さん」

 片手を挙げ、李人が立っている。
 見慣れないスーツ姿のせいか、いつもよりずっと大人びて見えた。

(衣装に負けてない。立派な男性になったんだ)

 誇らしさが込み上げ、胸の奥がふわりと軽くなる。

 もう、私が手を引かなくても大丈夫。
 李人は自分の足で、しっかり立っている。

「お待たせ」

 ドレスの裾を整えると、隣の担当者が確認するように尋ねた。

「お父様の代わりに、弟様と歩かれるということでよろしいですか?」

 一瞬、胸の奥が痛んだ。

「はい。……私には、弟しかいませんから」

「かしこまりました」

 担当者はそれ以上何も言わず、静かに頭を下げた。

 私は李人の腕に手を回す。
 重厚な扉の前に、二人で並んだ。

「李人にリードされて歩くなんて……なんだか変な感じね」

「姉さんの中では、今でも子供のままなんだね」

「そうでもないわ」

 私は隣の李人を見上げた。

「さっき、遠くから李人を見たときね。胸の奥がすごく軽くなったの」

「どうして?」

「ああ、この子はもう、私がいなくても大丈夫なんだって思えたから」

 李人は少し目を細めた。

「俺(・)のことは、もう心配しなくていいよ」

「俺……」

 思わず、その一人称に反応してしまう。

 いつの間に変わったのだろう。
 昔はずっと「僕」と言っていたのに。

 たった一言なのに、胸の奥が熱くなった。


 担当者が控えめに声をかける。

「では、扉が開きます」

 いよいよだ。

 緊張で息を止めた私を見て、李人が微笑んだ。

「今度は、姉さんが幸せになる番だよ」

 その言葉が、胸の奥に深く響く。

 私はずっと、李人を送り出すつもりでいた。
 けれど、いつの間にか私のほうが送り出される側になっていた。

 涙が込み上げる。

 まだ泣かない。
 ここで泣いたら、きっと止まらなくなる。

 唾を飲み込み、どうにかこらえた。

(私、頑張ってきて……よかった)


「では、参ります」

 扉がゆっくり開く。
 私はまっすぐ前を見て、李人と一歩を踏み出した。

 祭壇の向こうには、祐二が待っている。
 大きな窓から差し込む陽光が、チャペルを柔らかく照らしていた。

 その向こうには、今日も美しい富士山がある。

 私はその景色を見つめながら、祐二のもとへ歩いていった。
 ゆっくりと、けれど迷いのない足取りで。

 祭壇の前で立ち止まる。

 李人が私の手を取り、祐二へ差し出した。

「姉を、よろしくお願いします」

「ご安心ください。必ず幸せにします」

 李人から祐二へ。
 大切なものを託すように、私の手が渡される。

 祐二の温かな手に触れた瞬間、涙が溢れそうになった。

 見上げると、愛おしさが込み上げて指先まで震える。
 祐二は、そんな私の手をそっと包み込んだ。

 こんなに誰かを好きになるなんて。
 その人と、こうして結婚式を挙げる日が来るなんて。
 少し前の私なら、夢にも思わなかった。

 ただ一緒にいられる。
 これからも同じ時間を過ごせる。

 それだけで、胸がいっぱいになる。

 讃美歌が流れ、神父の聖書朗読が続く。
 その間、私たちは時折目を合わせながら、祭壇の向こうの富士を見つめていた。

 祐二が、周囲には聞こえない声で囁く。

「僕は初めて瞳子さんに会ったとき、絶対にあなたと結婚すると決めていました」

「初めて会ったのは、本当に支社だったの?」

 以前から、そこだけは引っかかっていた。

「……そうです」

 祐二の返事には、わずかな間があった。

(やっぱり、何か隠しているのよね)

 けれど、今はそれ以上追及しなかった。

「そういえば、黒川さんに祐二の写真を見せてもらうのを忘れたわ」

「残念ですが、ネガごと処分しました」

「処分!?」

 思わず肩が跳ねる。

「そこまで見られたくない写真なの?」

「僕は、瞳子さんと七つも年齢差がありますから」

 祐二は真剣な顔で続けた。

「その差を克服するために重ねた努力を、すべて無にする写真です。処分は妥当です」

「そんなに?」

 思わず笑ってしまう。

(どんな祐二だったのか、見てみたかったのに)

「もう一生、見られないの?」

「ええ」

 祐二は少し寂しそうに笑った。

「瞳子さんが僕を変えたのですから。あの頃の僕を見ることは、もうできません」

 その言葉の意味を考えているうちに、神父が誓いの言葉を告げた。

「新郎、祐二。新婦、瞳子を一生愛すると誓いますか?」

「はい。一生、瞳子さんに愛を注ぎ続けます」

 あまりにも祐二らしい答えに、会場から小さな笑いが起こる。

 けれど祐二は気にしない。
 周囲の反応など、最初から存在しないかのように、私だけを見つめている。

 その自信に満ちた瞳が、今はたまらなく愛おしい。

 私は、彼の素直で一途な愛に何度も救われてきた。
 だから私も、彼を一生幸せにしたい。

「私も、誓います」

 言葉にした途端、幸福が胸いっぱいに広がった。
 目の奥が熱くなる。

 祐二の目元が、嬉しそうに柔らかく下がった。

 私たちは永遠を誓い、口づけを交わす。

 その瞬間、これまでの時間がすべて、この日のためにあったように思えた。

 私は祐二の手を握り返す。

 もう、私たちは一人ではない。

 これからは、どんなときも二人で歩いていく。

 だって私たちは──お互いのトリコなのだから。






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