お試し婚のはずが、いつの間にか溺愛されています!~二度も婚約破棄された外科医は受付事務員に愛を捧ぐ~
 約束の午後六時少し前。
 私は定時が五時だったが、少しだけ残業になってしまった。残業になったことで、そんなに時間を潰すこともなかった。

 片山さんが待っていることを伝えるために探しに行ったのが分かり、わざと聞いていたという誤解は溶けただろう。口封じされるにしても、少しだけ軽い気持ちで約束の時間に向かうことにした。

 私は、城高山先生と電話でのやり取りをしたことや直接話したことはあったが、交わした言葉のほとんどが、患者の容体や業務連絡に限られていることを思い出していた。私的な会話など、一度もない。
 それでも今日は呼び出され、用件も分からないままだったが口封じだと思っている。

『お前、なかなか悪くないな』という言葉は引っかかるものの、意図が見えないとはいえ、セクハラ発言のようにもとれる。しかし、接点のない城高山先生が、平凡な私になんて用事なんかないもの。
 そう思い込むことで、胸に浮かぶざわめきを押し込める。期待してはいけないし、期待する理由もない。

 十八時三十分が過ぎ、さらに時計の針が回っても、城高山先生は姿を見せなかった。
 気づけば、約束の時間から一時間が経っている。
 ……もう十分だ。
 絶対に口外することはないし、もう待ってなくてもいいよね?
 私はそう判断し、駐車場から歩き出した。
 結局、口封じなんて必要もない相手だったってことかな。

 ……もう帰ろう。
 自嘲が胸の奥で滲む。馬鹿みたい。
 地味で、取り柄もなくて、城高山先生の視界に入る理由すらない自分が、口封じのためとはいえ、彼の貴重な時間を割いてまで特別扱いされるはずがない。
 そんな考えが次々と浮かび、足取りが重くなる。
 一歩、また一歩と踏み出し、駐車場の出口が目前に迫った、その時だった。
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