御曹司の契約妻が本物の妻として愛されるまで
「あぁ、すみません。驚かせてしまって……。って、泣いてます……!?」
「え……?」
「すみません、泣くほど痛い思いをさせてしまったとは……」
「い、いえ! 違います! これは、痛くて泣いていたわけでは、なく……」
「なら、どうして?」
「えっと、それは……」

 悲しみの理由を再び思い出して、目尻に涙が溜まった。

「ご、ごめんなさっ……。私っ、」

 言葉が途切れ途切れになる。
 初対面の、名も知らぬ相手の前でみっともなく泣きたくないのに。

 それでも止まらない涙に、見ず知らずの彼は私の腕を引くと扉の中に引き込んだ。

「どうぞ、中へ。と言っても、俺もこの店の客ですが」
「えっ……?」
「マスター。やっぱりもう一杯」
「なんだい、もう戻ってきたのかい。まぁ、いいよ。座りな」

 わけもわからず男性に腕を引かれて、奥のスツールに座るように促される。

 幸いにして、店内には自分たち以外に誰もいなかった。
 重厚な黒塗りのカウンターとその奥に立つ高齢の男性、背面に並ぶリキュールを照らす白熱の明かりは神々しさすら感じられる。

 白いシャツに黒いベストを身に纏ったバーテンダーらしき男性はどことなく父と似ていて、また涙がこみ上げてきた。

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