療養先から戻ったら、婚約者が異母妹とキスをしていた
叔母の屋敷に着いて安心してしまったのだろう。それから二日間、熱は下がらなかった。
「まだ熱が下がっていないというのに……」
リズはぶつぶつと文句を言いながらも、手際よくローレッタの身支度を整えていた。
窓から差し込む柔らかな朝の光が、カーテンを透かして部屋に広がる。外からは、穏やかな風がそっと吹き込んできた。
この部屋は、落ち着いたクリーム色の内装で統一され、どこか包み込まれるような安心感がある。まさに療養にはうってつけの空間だった。
「歩ける程度の微熱だもの」
ローレッタがさらりと言い切ると、リズは眉間にしわを寄せる。
「……熱が完全に下がってからの方がいいに決まっています。またぶり返しても知りませんよ」
研究所に行くと伝えた途端、リズの顔が不安で固まったのを、ローレッタはちゃんと見ていた。
「熱が下がらないから、診てもらうのよ?」
「なにを言ってるのだ」とでも言いたげなリズの目を見て、ローレッタは得意げに笑った。
「予定では私の治療再開は半年後でしょう? でも、こうして再発したって訴えれば、きっと予定を早めてくれるわ」
ヨアンは非常に多忙な医師だ。滅多なことでは予定の変更はできない。
一時帰国のために半年の猶予をもらっていたが、結局それより早く戻ってきてしまった。公爵家の未来を考えれば、一日でも早く動けるようになった方がいい。
「……お嬢様の思う通りにいくでしょうか? 相手は、あのヨアン様ですよ?」
リズの口調には妙な含みがあったが、ローレッタにはいまいち伝わらない。
「大丈夫じゃないかしら? ヨアン様、優しいし」
同情を誘えば、きっとなんとかなる。そう信じて疑わないローレッタの顔を見て、リズは明らかな呆れを滲ませる。
「……ヨアン様は、優しい人ではありません。特に、お仕事では」
「そう? いつも私には気遣ってくれてるわ」
「それは――お嬢様限定ですから」
ローレッタは首を傾げる。けれどリズはため息をついただけで、それ以上、なにも言わなかった。
渋い顔をしたリズに見送られ、ローレッタは馬車に乗り込んだ。揺れる車内で軽く体を伸ばしながら、研究所へ向かう。
ここはベルトン国でも最先端の研究所であり、世界でも屈指の魔力症研究機関だ。治療と学問が密接に結びついたこの場所に、ローレッタが通えるようになったのは、ダーナの尽力あってこそだった。
(まさか、こんなに早く戻ってくることになるなんて。ヨアン様も驚くでしょうね)
少し気まずさを覚えながらも、ローレッタは受付に向かう。
「こんにちは」
「えっ、ローレッタ様!? エトラフィア国に帰っていたのでは?」
受付の女性は目を見開き、あんぐりと口を開けた。半年後に再訪と伝えていたのだから、驚くのも無理はない。
「ちょっと色々あって、婚約破棄になったの」
ローレッタがさらりと打ち明けると、受付嬢の顔がみるみる険しくなる。
「婚約破棄……って……え、それ、本当ですか!?」
「本当よ。異母妹と浮気されて、その現場に鉢合わせしたのよ」
事実を告げると、受付嬢は大きく目を見開いたまま絶句し、それからなぜか楽しそうに微笑んだ。
「ふふふ。いい呪い屋をご紹介しましょうか? 明朗会計、腕も確かで、とても評判なんですよ?」
(明朗会計な呪い屋って、なにそれ)
ローレッタは思わず一歩、後ずさる。受付嬢はうふふと、低めの声で笑いながら続けた。
「胡散臭く感じるかもしれませんが、意外と実績はあるんです。あ、どんな呪いか気になります?」
「……いえ、今は結構よ。クズだって早めに気付けて、むしろよかったと思ってるから」
ローレッタが手を横に振って断ると、受付嬢は少し残念そうに頷いた。
「そうですか。でも、もし気が変わったらいつでもお声がけくださいね。クズは滅ぶべきです!」
(その主張には共感するけれど、呪いはちょっと)
ローレッタは微妙な笑みを浮かべながら、小さく頷いた。
「ええ、気が変わったらお願いするわ」
受付嬢はようやく納得したように微笑みを戻し、事務的な口調に切り替えた。
「本日は、ヨアン様との面会をご希望ですか?」
「約束はしていないの。でも、お会いできるかしら?」
「少々お待ちください。すぐに確認いたします」
受付嬢は笑顔を湛えたまま、てきぱきと手続きを進めていった。
「まだ熱が下がっていないというのに……」
リズはぶつぶつと文句を言いながらも、手際よくローレッタの身支度を整えていた。
窓から差し込む柔らかな朝の光が、カーテンを透かして部屋に広がる。外からは、穏やかな風がそっと吹き込んできた。
この部屋は、落ち着いたクリーム色の内装で統一され、どこか包み込まれるような安心感がある。まさに療養にはうってつけの空間だった。
「歩ける程度の微熱だもの」
ローレッタがさらりと言い切ると、リズは眉間にしわを寄せる。
「……熱が完全に下がってからの方がいいに決まっています。またぶり返しても知りませんよ」
研究所に行くと伝えた途端、リズの顔が不安で固まったのを、ローレッタはちゃんと見ていた。
「熱が下がらないから、診てもらうのよ?」
「なにを言ってるのだ」とでも言いたげなリズの目を見て、ローレッタは得意げに笑った。
「予定では私の治療再開は半年後でしょう? でも、こうして再発したって訴えれば、きっと予定を早めてくれるわ」
ヨアンは非常に多忙な医師だ。滅多なことでは予定の変更はできない。
一時帰国のために半年の猶予をもらっていたが、結局それより早く戻ってきてしまった。公爵家の未来を考えれば、一日でも早く動けるようになった方がいい。
「……お嬢様の思う通りにいくでしょうか? 相手は、あのヨアン様ですよ?」
リズの口調には妙な含みがあったが、ローレッタにはいまいち伝わらない。
「大丈夫じゃないかしら? ヨアン様、優しいし」
同情を誘えば、きっとなんとかなる。そう信じて疑わないローレッタの顔を見て、リズは明らかな呆れを滲ませる。
「……ヨアン様は、優しい人ではありません。特に、お仕事では」
「そう? いつも私には気遣ってくれてるわ」
「それは――お嬢様限定ですから」
ローレッタは首を傾げる。けれどリズはため息をついただけで、それ以上、なにも言わなかった。
渋い顔をしたリズに見送られ、ローレッタは馬車に乗り込んだ。揺れる車内で軽く体を伸ばしながら、研究所へ向かう。
ここはベルトン国でも最先端の研究所であり、世界でも屈指の魔力症研究機関だ。治療と学問が密接に結びついたこの場所に、ローレッタが通えるようになったのは、ダーナの尽力あってこそだった。
(まさか、こんなに早く戻ってくることになるなんて。ヨアン様も驚くでしょうね)
少し気まずさを覚えながらも、ローレッタは受付に向かう。
「こんにちは」
「えっ、ローレッタ様!? エトラフィア国に帰っていたのでは?」
受付の女性は目を見開き、あんぐりと口を開けた。半年後に再訪と伝えていたのだから、驚くのも無理はない。
「ちょっと色々あって、婚約破棄になったの」
ローレッタがさらりと打ち明けると、受付嬢の顔がみるみる険しくなる。
「婚約破棄……って……え、それ、本当ですか!?」
「本当よ。異母妹と浮気されて、その現場に鉢合わせしたのよ」
事実を告げると、受付嬢は大きく目を見開いたまま絶句し、それからなぜか楽しそうに微笑んだ。
「ふふふ。いい呪い屋をご紹介しましょうか? 明朗会計、腕も確かで、とても評判なんですよ?」
(明朗会計な呪い屋って、なにそれ)
ローレッタは思わず一歩、後ずさる。受付嬢はうふふと、低めの声で笑いながら続けた。
「胡散臭く感じるかもしれませんが、意外と実績はあるんです。あ、どんな呪いか気になります?」
「……いえ、今は結構よ。クズだって早めに気付けて、むしろよかったと思ってるから」
ローレッタが手を横に振って断ると、受付嬢は少し残念そうに頷いた。
「そうですか。でも、もし気が変わったらいつでもお声がけくださいね。クズは滅ぶべきです!」
(その主張には共感するけれど、呪いはちょっと)
ローレッタは微妙な笑みを浮かべながら、小さく頷いた。
「ええ、気が変わったらお願いするわ」
受付嬢はようやく納得したように微笑みを戻し、事務的な口調に切り替えた。
「本日は、ヨアン様との面会をご希望ですか?」
「約束はしていないの。でも、お会いできるかしら?」
「少々お待ちください。すぐに確認いたします」
受付嬢は笑顔を湛えたまま、てきぱきと手続きを進めていった。