療養先から戻ったら、婚約者が異母妹とキスをしていた
長旅の疲れが出たのか、翌朝、ローレッタは熱を出して寝込んでしまった。
(……苦しい)
久しぶりの発熱に、気分は沈んだ。体中が重く、思うように動かない。
ここ最近は治療の効果もあり、体調を崩すこともなかった。それだけに、もう大丈夫だと思い込んでいたのだ。
つまり、油断していた。そう自覚し、ローレッタはため息をこぼす。
「治ったつもりだったけど、違ったみたい」
「無理をするからです」
リズが呆れながら、クッションを調整する。ローレッタは体を起こし、そのクッションにもたれかかった。
昨夜の高熱の余韻と倦怠感が全身に残り、まるで体が拒絶反応を起こしているかのように感じる。
「でも……あの時は、彼に会いたくて仕方なかったの。馬鹿みたいに浮かれていたのよ」
今となっては、ジャスタスへの想いすら幻のようだ。
彼の裏切りを目の当たりにして、あれほど高ぶっていた気持ちが、嘘のように冷めている。確かに傷ついたが、今では「早めに知れてよかった」とさえ思える。
「……まずは熱を下げないと。お薬、飲みましょう」
リズは薬の入ったカップを差し出した。その瞬間、甘ったるくも鼻をつく、独特の香りが立ちのぼる。ローレッタの顔が歪んだ。
「うっ……。これ、最悪の薬じゃない」
「しっかり治さないと、いつまでも寝ていることになりますからね」
リズの目は、決して譲らないと言わんばかりだった。
ローレッタはカップを手にしたものの、飲む気になれず、眉をひそめた。この薬は効くことは確かだが、味が問題なのだ。正直、人間の飲み物とは思えない。
「そうだわ。ヨアン様に診てもらえばいいのよ。研究所に連絡してちょうだい」
ふと思い出したのは、ヨアン・ゴドルフィン。
ローレッタの主治医で、魔力症の権威。まだ二十二歳の若さながら、ずば抜けた才能と信念で、誰もが匙を投げた症状にも最後まで向き合ってくれた。
彼が見てくれれば、こんな拷問のような薬に頼らなくても済む――そう思った矢先、カップを置こうとした手をリズにしっかりと押さえられた。
「なにを言ってるんです。ヨアン様に会うのは、熱を下げてからです」
「ええっ……」
「お嬢様、さあ、どうぞ」
観念したローレッタは、深いため息をつき、意を決して一気に薬を飲み干す。
口の中に広がる不快な甘さと苦味。
舌にまとわりつくような後味に、思わず口元を押さえた。すぐさま飴を口に放り込み、どうにか気分を紛らわせる。
「この味、なんとかならないのかしら」
「良薬は口に苦し、です。飲めば、すぐによくなります」
「そう言うけど……これ、人間の飲み物じゃないわよ」
あまりの不味さに悶えている最中、ノックの音が部屋に響いた。リズが扉を開ければ、そこには心配そうな顔をしたダーナが立っていた。
「ローレッタ、熱があるのにごめんなさいね。少し、いいかしら?」
ローレッタは頷いた。ダーナはそっと近付いて、優しくローレッタの額に手を当てる。
その手のひんやりとした感触に、思わずすり寄りたくなる。ダーナの手のひらに込められた優しさが、ローレッタの胸にじんわりと沁み込んだ。
「まだ熱があるわね。やっぱり帰国は負担だったのよ」
「反省しているわ」
「本当かしら」
ダーナはくすりと笑いながら、ローレッタに手紙を差し出した。紙質も紋章も高級で、身分の高い人物からの手紙だとすぐにわかる。
胸に嫌な予感が走り、ローレッタは身構えた。
「……誰から?」
「不幸の手紙よ」
「いらないわ」
突っぱねたが、ダーナは容赦なく手紙を押しつけてくる。
差出人の名前に目を落とすと、案の定「フレディ・アークライト」の文字がくっきりと書かれていた。
「やっぱり、お父様から」
その名を見るだけで、手紙の内容は想像がついた。どうせまた、自分勝手な要求が並んでいるのだろう。
(この手紙、燃やしてもいいかしら)
そんなことを真剣に考える。
「ローレッタ」
咎めるような声に、思わず視線を逸らす。
「早く読んでしまいなさい。嫌なことは先に片付けた方が楽よ」
「……わかってます」
渋々封を開けて読み始めた手紙には、案の定、ローレッタを責める言葉の数々が並んでいた。しかも表現だけはやたらと巧妙で、同じ内容を何通りもの言い回しで繰り返している。
いっそ、その文才を別のことに活かせばいいのにと思いながら、どうにか最後まで目を通した。
「なにが書いてあったの?」
「簡単に言えば、私の健康状態では当主は無理だから、オリヴィアを次期当主にするか、ジャスタスを養子に迎えろですって。……要求ですね」
「ふふ。相変わらず、自分勝手ね。いったいどこの国の貴族かしら」
ダーナの鋭い皮肉に、ローレッタは力なく笑った。
「お父様、カヴァル侯爵家の四男だったはずなのに……継承法、まったく理解してないんじゃないかしら」
「そのようね。アークライト公爵家の継承権なんて彼には最初からないのに……前カヴァル侯爵夫人になにか吹き込まれているのかもしれないわ」
前カヴァル侯爵夫人の名が出て、ローレッタは小さく頷いた。
フレディのあの都合よく考える性格は、彼の母の影響だ。今回のことも、裏には彼女の言葉があるのではないかと睨んでいる。
「ジャスタスを養子に、と言い出すなんて、前よりもひどいかも。カイネルだけで対応しきれるかしら」
もういっそ、なにか罪を着せて牢にでも入れてしまえばいいのでは――と、物騒な考えすら頭をよぎった。
その時、ダーナが微笑んだ。
「ローレッタ、フレディのことは私に任せてちょうだい」
「えっ? でも、公爵家については陛下にお任せしているのよ?」
「もちろん、陛下の判断を妨げるつもりはないわ。公爵家のことは、正式に任せる。ただね、フレディは義兄なのよ。家族として、ケリをつけなければ」
「それって……どういうこと?」
「私、あの男には腹が立っているのよ」
ダーナの目が細められ、猛々しい笑みが浮かぶ。普段は優雅でたおやかな貴婦人――しかし、その笑みの奥に潜む冷たい怒りに、ローレッタは思わず身を縮めた。
「お、叔母様?」
「今度こそ、きちんと片を付けないとね」
「……あの、常識の範囲でお願いします」
ローレッタは小声で懇願する。
(これは……余計な手を出しては、いけないやつ)
ローレッタは心の中でそっとフレディの不幸な行く末を思いやりつつ、ダーナにすべてを任せることにした。
(……苦しい)
久しぶりの発熱に、気分は沈んだ。体中が重く、思うように動かない。
ここ最近は治療の効果もあり、体調を崩すこともなかった。それだけに、もう大丈夫だと思い込んでいたのだ。
つまり、油断していた。そう自覚し、ローレッタはため息をこぼす。
「治ったつもりだったけど、違ったみたい」
「無理をするからです」
リズが呆れながら、クッションを調整する。ローレッタは体を起こし、そのクッションにもたれかかった。
昨夜の高熱の余韻と倦怠感が全身に残り、まるで体が拒絶反応を起こしているかのように感じる。
「でも……あの時は、彼に会いたくて仕方なかったの。馬鹿みたいに浮かれていたのよ」
今となっては、ジャスタスへの想いすら幻のようだ。
彼の裏切りを目の当たりにして、あれほど高ぶっていた気持ちが、嘘のように冷めている。確かに傷ついたが、今では「早めに知れてよかった」とさえ思える。
「……まずは熱を下げないと。お薬、飲みましょう」
リズは薬の入ったカップを差し出した。その瞬間、甘ったるくも鼻をつく、独特の香りが立ちのぼる。ローレッタの顔が歪んだ。
「うっ……。これ、最悪の薬じゃない」
「しっかり治さないと、いつまでも寝ていることになりますからね」
リズの目は、決して譲らないと言わんばかりだった。
ローレッタはカップを手にしたものの、飲む気になれず、眉をひそめた。この薬は効くことは確かだが、味が問題なのだ。正直、人間の飲み物とは思えない。
「そうだわ。ヨアン様に診てもらえばいいのよ。研究所に連絡してちょうだい」
ふと思い出したのは、ヨアン・ゴドルフィン。
ローレッタの主治医で、魔力症の権威。まだ二十二歳の若さながら、ずば抜けた才能と信念で、誰もが匙を投げた症状にも最後まで向き合ってくれた。
彼が見てくれれば、こんな拷問のような薬に頼らなくても済む――そう思った矢先、カップを置こうとした手をリズにしっかりと押さえられた。
「なにを言ってるんです。ヨアン様に会うのは、熱を下げてからです」
「ええっ……」
「お嬢様、さあ、どうぞ」
観念したローレッタは、深いため息をつき、意を決して一気に薬を飲み干す。
口の中に広がる不快な甘さと苦味。
舌にまとわりつくような後味に、思わず口元を押さえた。すぐさま飴を口に放り込み、どうにか気分を紛らわせる。
「この味、なんとかならないのかしら」
「良薬は口に苦し、です。飲めば、すぐによくなります」
「そう言うけど……これ、人間の飲み物じゃないわよ」
あまりの不味さに悶えている最中、ノックの音が部屋に響いた。リズが扉を開ければ、そこには心配そうな顔をしたダーナが立っていた。
「ローレッタ、熱があるのにごめんなさいね。少し、いいかしら?」
ローレッタは頷いた。ダーナはそっと近付いて、優しくローレッタの額に手を当てる。
その手のひんやりとした感触に、思わずすり寄りたくなる。ダーナの手のひらに込められた優しさが、ローレッタの胸にじんわりと沁み込んだ。
「まだ熱があるわね。やっぱり帰国は負担だったのよ」
「反省しているわ」
「本当かしら」
ダーナはくすりと笑いながら、ローレッタに手紙を差し出した。紙質も紋章も高級で、身分の高い人物からの手紙だとすぐにわかる。
胸に嫌な予感が走り、ローレッタは身構えた。
「……誰から?」
「不幸の手紙よ」
「いらないわ」
突っぱねたが、ダーナは容赦なく手紙を押しつけてくる。
差出人の名前に目を落とすと、案の定「フレディ・アークライト」の文字がくっきりと書かれていた。
「やっぱり、お父様から」
その名を見るだけで、手紙の内容は想像がついた。どうせまた、自分勝手な要求が並んでいるのだろう。
(この手紙、燃やしてもいいかしら)
そんなことを真剣に考える。
「ローレッタ」
咎めるような声に、思わず視線を逸らす。
「早く読んでしまいなさい。嫌なことは先に片付けた方が楽よ」
「……わかってます」
渋々封を開けて読み始めた手紙には、案の定、ローレッタを責める言葉の数々が並んでいた。しかも表現だけはやたらと巧妙で、同じ内容を何通りもの言い回しで繰り返している。
いっそ、その文才を別のことに活かせばいいのにと思いながら、どうにか最後まで目を通した。
「なにが書いてあったの?」
「簡単に言えば、私の健康状態では当主は無理だから、オリヴィアを次期当主にするか、ジャスタスを養子に迎えろですって。……要求ですね」
「ふふ。相変わらず、自分勝手ね。いったいどこの国の貴族かしら」
ダーナの鋭い皮肉に、ローレッタは力なく笑った。
「お父様、カヴァル侯爵家の四男だったはずなのに……継承法、まったく理解してないんじゃないかしら」
「そのようね。アークライト公爵家の継承権なんて彼には最初からないのに……前カヴァル侯爵夫人になにか吹き込まれているのかもしれないわ」
前カヴァル侯爵夫人の名が出て、ローレッタは小さく頷いた。
フレディのあの都合よく考える性格は、彼の母の影響だ。今回のことも、裏には彼女の言葉があるのではないかと睨んでいる。
「ジャスタスを養子に、と言い出すなんて、前よりもひどいかも。カイネルだけで対応しきれるかしら」
もういっそ、なにか罪を着せて牢にでも入れてしまえばいいのでは――と、物騒な考えすら頭をよぎった。
その時、ダーナが微笑んだ。
「ローレッタ、フレディのことは私に任せてちょうだい」
「えっ? でも、公爵家については陛下にお任せしているのよ?」
「もちろん、陛下の判断を妨げるつもりはないわ。公爵家のことは、正式に任せる。ただね、フレディは義兄なのよ。家族として、ケリをつけなければ」
「それって……どういうこと?」
「私、あの男には腹が立っているのよ」
ダーナの目が細められ、猛々しい笑みが浮かぶ。普段は優雅でたおやかな貴婦人――しかし、その笑みの奥に潜む冷たい怒りに、ローレッタは思わず身を縮めた。
「お、叔母様?」
「今度こそ、きちんと片を付けないとね」
「……あの、常識の範囲でお願いします」
ローレッタは小声で懇願する。
(これは……余計な手を出しては、いけないやつ)
ローレッタは心の中でそっとフレディの不幸な行く末を思いやりつつ、ダーナにすべてを任せることにした。