療養先から戻ったら、婚約者が異母妹とキスをしていた
「……え?」
扉を開けた瞬間、ローレッタの体が固まった。
甘く絡む女の声と、それに応じるような掠れた男の声が、耳に飛び込んできたからだ。
「ふふっ、そこは……ダメよ」
「そうかい?」
「ん……それ以上は、もう……いけない手ね」
「君の体は、素直に喜んでるけどね」
目に飛び込んできたのは、ソファに寄りかかる令嬢。彼女の髪は金色で、まるで太陽のように眩しい。ドレスの裾は大胆にめくれ上がり、白い脚が無防備にさらされている。
甘ったるく、濃密な空気が部屋を包み込んでいた。
彼女は男を誘う仕草で、柔らかそうな黒髪に指を絡めた。その誘いに乗った男の手が、彼女の肩から腰へと滑る。女はそのまま体を預け、唇を重ねた。
(……嘘、でしょ?)
ローレッタは声も出せず、その場に立ち尽くす。
(ジャスタス様が……オリヴィアと……どういうこと?)
ゆっくりと、金髪の女が顔を上げる。圧倒されるほどの妖艶な笑みを浮かべたのは、一歳年下の異母妹だった。
「あら。お帰りなさい、お姉様。随分早かったのね?」
オリヴィアが涼しい顔で微笑んでいた。
「オリヴィア……どうして、ジャスタス様と……」
掠れた声で問いかけると、ようやく男が振り向いた。緑色の瞳がローレッタをとらえる。
ローレッタが知っているはずの顔。それなのに、まるで知らない人のように見えた。
「ローレッタ。なんだ、もう戻ってきたのか」
「……早く会いたくて」
平静を装おうとした声は、明らかに震えていた。胸を満たしていた幸福感が、音もなく消え去っていく。
(私……いつから、裏切られていたの?)
ジャスタスは母が八年前に選んだ、ふたつ年上の婚約者だった。
魔力症で苦しんだ時も、彼はそばにいてくれたはずだった。
けれど今、その「はず」は、なんの意味もなかった。
オリヴィアが床に転がっていたヒールに無造作に足を突っ込み、立ち上がる。首筋には、生々しい痕が見えた。ローレッタは咄嗟に視線を逸らす。
「あら、ごめんなさい。ちょっと刺激が強かったかしら?」
わざとらしく胸元を整えながら、オリヴィアはローレッタに近付いてくる。ジャスタスはというと、シャツを乱したまま、何事もなかったようにソファへ腰を落ち着けた。
「俺は、オリヴィアと結婚するつもりだ」
その言葉に、心臓が音を立てた。まるで罪悪感の欠片もない声だった。
「お前がいない間、色々あったんだ。誰にも頼れず、苦しかった。それを、オリヴィアが支えてくれた」
「オリヴィアが支えてくれたって……なにそれ」
ローレッタは必死に言葉を探す。
アークライト公爵家の役割は精霊の住む森を結界で包み込み、守ること。この森があることで、国には精霊の加護が与えられる。もし結界が弱まったり消えたりすれば、精霊の力が国に届かなくなり、豊穣や国の安定に影響が出る可能性もある。
ジャスタスはローレッタの婚約者に選ばれ、仮契約者として精霊の力を扱える能力が与えられた。ふたりが結婚すれば、仮契約者から契約者になる。代々、配偶者もこうして精霊から能力を与えられ、維持してきたのだ。
ローレッタが治療に専念するため、ジャスタスには最低限の役目――定期的に精霊の森に結界を張ること、森を見回ること――を任せていた。二カ月に一度程度の仕事で、苦しむようなことはなにもないはずだ。
ジャスタスはオリヴィアの肩を抱き寄せた。ふたりはぴたりと身を寄せ、ローレッタを見下ろすように笑った。
「お前の体じゃ、もう子どもは望めないだろう?」
「でも精霊の森には、次の契約者が必要でしょう? だから、私が引き受けてあげる」
オリヴィアが、うっとりとした顔でそう告げる。
「精霊の契約も、家も、子どもも。全部、私が代わってあげるわ」
その言葉で、ようやくふたりの目的が見えてきた。
「ちょっと待って。アークライトの継承権は、母方の血筋よ。オリヴィア、あなたに継げるはずないじゃない」
「えっ?」
オリヴィアの顔に、初めて戸惑いが浮かぶ。
「お父様は入り婿だったの。再婚した時点で、アークライト家の正式な継承権は私にしかないのよ。便宜上、公爵と呼ばれているけれど、法的にはもう関係ないの」
「それがどうしたの? 大事なのは、この家を守れる人間でしょ?」
「違うわ。そういう話じゃないの」
ローレッタはため息をつく。
平民であるオリヴィアや彼女の母ナターシャが制度に無知なのは仕方ない。だが、父フレディが知らないはずはない。
(お父様は説明していないの? こんな恥ずかしい勘違いをするなんて)