人生の岐路に立つとき

第一章 幸助の話-5

※本作は 文芸社より2026年3月に書籍化 されます。
応援してくださる皆さまのおかげです。ありがとうございます。

30歳のとき、僕の人生は音を立てて崩れた。
母のくも膜下出血による介護、うつ、解雇、転職失敗。
どれかひとつでも重いのに、一度に全部が襲ってきた。

それでも――
毎日「1日20分だけ」書くことを続けた。

この作品は、
人生のどん底に落ちた男が、
どうやってもう一度立ち上がったのかという、
“再生の記録” です。

読んでくださるあなたの人生が、
少しでも軽くなるなら、それ以上の幸せはありません。


もうこの頃には、コロナではなく、やはりクモ膜下出血であると感じていた。命は繋ぎとめたようだが、クモ膜下出血であれば後遺症の心配は残る。祖母は同じ病で亡くなっているのだ。母がいつ無くなってもおかしくはない状況だった。鈴木一家は重い気持ちを抱えながら実家へと戻った。

帰宅した頃には、すでに日付が変わっていた。誰も多くを語らず、それぞれが泥のように眠りについた。当然、翌日会社に行けるような状態ではなく、幸助は上司にLINEで状況を簡潔に報告し、スマホを放り投げた。

翌日、幸助一家が大学病院を訪れると、ちょうど母がICUから脳外科病棟へストレッチャーで移動しているところだった。母は拘束具のようなもので体を固定されていた。一瞬、顔を見たが、目は濁り、焦点が定まっていない。まるで水中を漂う魚の目だ。意識があるのかよく分からない。ただ、しきりに手足を動かす母に、尋常でないことが起きていることだけは一瞬で理解し、幸助は凍りついてしまった。

「母さん、大丈夫?」――そう声をかけることすらためらわれるような状態。たった一日で、こんなにも人が変わってしまう現実を、幸助は見せつけられたのだった。

その後、医師から病状の説明があった。病名は予想通り「クモ膜下出血」。現在、頭蓋骨は開かれたままで、一部の脳を切除したという。後遺症として、言語や歩行能力に障害が残る可能性が高いと告げられた。まさに、人生が一瞬で暗転した瞬間だった。

一時は容態が安定したかに思われたが、その日の晩、父のもとに病院から緊急の電話が入った。脳内出血がひどく、瞳孔が開きかけているという。生死をさまよっている状態だ。家族は再び病院へと急いだ。

医師の説明によれば、脳幹が溢れた血液によって圧迫され、命の危険がある状態だという。瞳孔が開きかけているということは、死の兆候でもある。そのため脳幹を圧迫している脳の一部を再度切除する緊急手術を要するとのことだ。

正気とは思えないような手術内容に、幸助は怒りを覚えた。医師からは再び、言語や運動機能に重い後遺症が残る可能性が高いと告げられる。

(血液を外に逃がすとかさ、別の方法があるだろう、後遺症が残らないように手術するべきじゃないのか?)

そんな思いが頭をよぎったが、言葉にすることが出来なかった。医師にすべてを一任するしかない。

「脳を切除する」という衝撃的な言葉が頭の中で何度もこだまし、幸助はついにこらえきれず、泣き崩れた。

「なんでこんなことになっちゃうんだよ……」

やり場のない絶望感を抱えながらも、家族は手術の承諾をせざるを得なかった。

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