その声、独り占めしていいですか?
episode.1
私、伊崎紗千香には憧れている人がいる。その人は声だけで人を楽しませたり喜ばせたり、時には感動で涙を誘ったりする。私はその声に心を奪われた。
ちょうどその時は進学か就職か悩んでいた時期で、親と教師の板挟みに疲れ、行き詰まり心が荒んでいたのもあったのかもしれない。『気楽に生きればいい。笑える人生を歩め』と言う台詞が当時の私の心に突き刺さり、耳に響く低音の声が優しくて、とても心地良かった。
私はその声の主のように、心を動かせる人になりたい。そう思った……
***
あれから数年──
私は、憧れの人と同じ声優を選び、今年で二年が経った。
まだまだ下っ端で主要キャラなんて大役は貰えないけど、少しづつ台詞が増えるようになった。
声優という仕事は、声を通じてそのキャラクターに命を吹き込まなければならない。声一つにも、演技力や表現力が求められる大変な仕事だと、この世界に入って初めて知った。
経験を通して学ぶ事も多く、辛いこともあって何度も挫けそうになった。だけど、その度にあの人の声を聞き、活力に変えた。
今では、この仕事について良かったと思えるぐらいには充実している。
それでも憧れの人には全然追いつけない。
(一目ぐらいは会ってみたいな)
会話なんて烏滸がましい真似はしない。遠目でいいから姿をみたい。
(ま、それすらも烏滸がましいってね)
憧れはもはや偶像崇拝の域に達している。
今日も、その姿を脳内で拝みつつスタジオの扉を開けた。
「おはようございま──……」
扉を開けて、いの一番に視界に飛び込んできたのは、つい数秒前まで会いたいと願っていた人物、仲佐皓也だった。
「お、紗千香来たな!あのな──って、あれ?」
ディレクターの小柴さんが説明をしようとしてくれたが、初めて生で目にする仲佐さんの姿に、堪らず扉を閉め返してしまった。
(えぇぇ!?ちょっと待って、夢!?)
会いたい思いが強すぎて具現化したかと思った。
紗千香はその場にしゃがみこみ、高鳴る胸を抑えつつ真っ赤に染った顔を両手で覆っていた。
立っているだけで感じる圧倒的な存在感と艶かしい色気。一瞬、目にしただけでもこれほどまでの破壊力。
(はぁぁぁ~……無理……かっこいい……)
会話なんてしたら、心臓が止まるかもしれない。
「おい、無事か?」
壁に背を預け、蹲っている所へ小柴さんが顔を出してきた。
「ビックリした?」
ニヤニヤと楽しげな表情を浮かべるのを見て「やられた」と感じた。
私が仲佐さんに憧れているというのは、私を知るものなら誰もが知っている。このディレクターもその一人。私の反応を見る為にわざと彼の存在を黙っていたに違いない。嬉しいけど嬉しくないサプライズ。
「心臓が止まりかけましたが?」
「あははは!それは悪かったな」
怨めしく睨みつけるが、小柴さんは笑うだけ笑って中へ入るように促してくる。
「ちょっとだけ待って!まだ準備が出来てない!」
心の準備が欲しいと説明するが「大丈夫大丈夫」と背中を押され、半ば無理やりに中へ通された。
「仲佐さん、この子が伊崎紗千香。君の相手だよ」
小柴さんに肩を抱かれ仲佐さんの前まで来ると軽く紹介された。
「初めまして、仲佐皓也です。紗千香ちゃん……って呼んでいいかな?」
愛くるしい笑顔で名前を呼ばれた。
(紗千香ちゃんって……)
画面でしか聞けなかった声が今、目の前で本人の口から吐かれている。40代も半ばなはずなのに、歳を感じさせない容姿。何よりも色気が半端じゃない。
完全に目を奪われ恍惚としていると、握手を求めるように手を差し出してきた。私如きがこの手を握って良いのかと躊躇していると、小柴さんが「ほれ」と行き場に悩んでいた私の手を掴み、仲佐さんの手を握らせた。
「宜しくね」
(はわぁぁぁぁ~……!)
心臓が苦しい程に脈打ち、手汗がやばい事になっている。この時ほど生きていて良かったと思ったことはない。
「さて、自己紹介も済んだことだし、気持ち切り替えていくぞ」
小柴さんがパンッと手を打った音で、ハッとした。そうだ。ここは握手会じゃない。仕事だ。そうなると、彼はもしかして……
ドキドキと更に胸が高鳴る。
「今回『北風と太陽』っていうライトノベルが原作のアニメ化の制作が決まった」
「あぁ、今話題になってるやつ」
私も話のネタにと、少し目を通していたから知っている。
主人公はほんわかとしていて、どこか抜けている女子大生。その子の好きな相手と言うのが、幼なじみのヤクザ。冷酷で残忍だが、主人公の前では毒牙が抜けると言う、何処にでもあるような設定の話だった気がする。
「二人にはこのメインキャラを演じて欲しい」
「え!?」
手渡された台本には、しっかり私の名が入っている。
初めて来た主要キャラ。素直に嬉しい。嬉しいんだけど、それ以上にプレッシャーと緊張の重圧に押し潰されそう。
何より、憧れで推しでもある仲佐皓也が相手だと考えるだけで持っている台本が震える。
(ど、どうしよう……)
やりたい気持ちはあるけど、正直自信がない。
声優として名を馳せている彼に無名同然の私が相手なんて分不相応。私のせいで仲佐さんのキャリアに傷が付くのが怖い。
険しい顔で台本を抱きしめ、顔を俯かせる紗千香を見た仲佐は、ポンッと撫でるように紗千香の頭に手を置いた。
「不安?」
「それは……」
上手い言葉が見つからず、思わず言葉を詰まらせた。
「俺は紗千香ちゃんとやりたいな」
「え?」
「こんなオジサンじゃ嫌かい?」
「──い、いいえ!全然!むしろご褒美です!」
つい勢いで言ってしまった。ハッとした時には小柴さんも一緒になってクスクス笑っている。
(地球の裏側まで穴掘って埋まりたい!)
耳まで真っ赤に染め、両手で顔を覆う紗千香に、仲佐は改めて「宜しくね」と言葉をかけた。
ちょうどその時は進学か就職か悩んでいた時期で、親と教師の板挟みに疲れ、行き詰まり心が荒んでいたのもあったのかもしれない。『気楽に生きればいい。笑える人生を歩め』と言う台詞が当時の私の心に突き刺さり、耳に響く低音の声が優しくて、とても心地良かった。
私はその声の主のように、心を動かせる人になりたい。そう思った……
***
あれから数年──
私は、憧れの人と同じ声優を選び、今年で二年が経った。
まだまだ下っ端で主要キャラなんて大役は貰えないけど、少しづつ台詞が増えるようになった。
声優という仕事は、声を通じてそのキャラクターに命を吹き込まなければならない。声一つにも、演技力や表現力が求められる大変な仕事だと、この世界に入って初めて知った。
経験を通して学ぶ事も多く、辛いこともあって何度も挫けそうになった。だけど、その度にあの人の声を聞き、活力に変えた。
今では、この仕事について良かったと思えるぐらいには充実している。
それでも憧れの人には全然追いつけない。
(一目ぐらいは会ってみたいな)
会話なんて烏滸がましい真似はしない。遠目でいいから姿をみたい。
(ま、それすらも烏滸がましいってね)
憧れはもはや偶像崇拝の域に達している。
今日も、その姿を脳内で拝みつつスタジオの扉を開けた。
「おはようございま──……」
扉を開けて、いの一番に視界に飛び込んできたのは、つい数秒前まで会いたいと願っていた人物、仲佐皓也だった。
「お、紗千香来たな!あのな──って、あれ?」
ディレクターの小柴さんが説明をしようとしてくれたが、初めて生で目にする仲佐さんの姿に、堪らず扉を閉め返してしまった。
(えぇぇ!?ちょっと待って、夢!?)
会いたい思いが強すぎて具現化したかと思った。
紗千香はその場にしゃがみこみ、高鳴る胸を抑えつつ真っ赤に染った顔を両手で覆っていた。
立っているだけで感じる圧倒的な存在感と艶かしい色気。一瞬、目にしただけでもこれほどまでの破壊力。
(はぁぁぁ~……無理……かっこいい……)
会話なんてしたら、心臓が止まるかもしれない。
「おい、無事か?」
壁に背を預け、蹲っている所へ小柴さんが顔を出してきた。
「ビックリした?」
ニヤニヤと楽しげな表情を浮かべるのを見て「やられた」と感じた。
私が仲佐さんに憧れているというのは、私を知るものなら誰もが知っている。このディレクターもその一人。私の反応を見る為にわざと彼の存在を黙っていたに違いない。嬉しいけど嬉しくないサプライズ。
「心臓が止まりかけましたが?」
「あははは!それは悪かったな」
怨めしく睨みつけるが、小柴さんは笑うだけ笑って中へ入るように促してくる。
「ちょっとだけ待って!まだ準備が出来てない!」
心の準備が欲しいと説明するが「大丈夫大丈夫」と背中を押され、半ば無理やりに中へ通された。
「仲佐さん、この子が伊崎紗千香。君の相手だよ」
小柴さんに肩を抱かれ仲佐さんの前まで来ると軽く紹介された。
「初めまして、仲佐皓也です。紗千香ちゃん……って呼んでいいかな?」
愛くるしい笑顔で名前を呼ばれた。
(紗千香ちゃんって……)
画面でしか聞けなかった声が今、目の前で本人の口から吐かれている。40代も半ばなはずなのに、歳を感じさせない容姿。何よりも色気が半端じゃない。
完全に目を奪われ恍惚としていると、握手を求めるように手を差し出してきた。私如きがこの手を握って良いのかと躊躇していると、小柴さんが「ほれ」と行き場に悩んでいた私の手を掴み、仲佐さんの手を握らせた。
「宜しくね」
(はわぁぁぁぁ~……!)
心臓が苦しい程に脈打ち、手汗がやばい事になっている。この時ほど生きていて良かったと思ったことはない。
「さて、自己紹介も済んだことだし、気持ち切り替えていくぞ」
小柴さんがパンッと手を打った音で、ハッとした。そうだ。ここは握手会じゃない。仕事だ。そうなると、彼はもしかして……
ドキドキと更に胸が高鳴る。
「今回『北風と太陽』っていうライトノベルが原作のアニメ化の制作が決まった」
「あぁ、今話題になってるやつ」
私も話のネタにと、少し目を通していたから知っている。
主人公はほんわかとしていて、どこか抜けている女子大生。その子の好きな相手と言うのが、幼なじみのヤクザ。冷酷で残忍だが、主人公の前では毒牙が抜けると言う、何処にでもあるような設定の話だった気がする。
「二人にはこのメインキャラを演じて欲しい」
「え!?」
手渡された台本には、しっかり私の名が入っている。
初めて来た主要キャラ。素直に嬉しい。嬉しいんだけど、それ以上にプレッシャーと緊張の重圧に押し潰されそう。
何より、憧れで推しでもある仲佐皓也が相手だと考えるだけで持っている台本が震える。
(ど、どうしよう……)
やりたい気持ちはあるけど、正直自信がない。
声優として名を馳せている彼に無名同然の私が相手なんて分不相応。私のせいで仲佐さんのキャリアに傷が付くのが怖い。
険しい顔で台本を抱きしめ、顔を俯かせる紗千香を見た仲佐は、ポンッと撫でるように紗千香の頭に手を置いた。
「不安?」
「それは……」
上手い言葉が見つからず、思わず言葉を詰まらせた。
「俺は紗千香ちゃんとやりたいな」
「え?」
「こんなオジサンじゃ嫌かい?」
「──い、いいえ!全然!むしろご褒美です!」
つい勢いで言ってしまった。ハッとした時には小柴さんも一緒になってクスクス笑っている。
(地球の裏側まで穴掘って埋まりたい!)
耳まで真っ赤に染め、両手で顔を覆う紗千香に、仲佐は改めて「宜しくね」と言葉をかけた。
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