その声、独り占めしていいですか?
episode.2
二人が演じる『北風と太陽』は、幼なじみである男女の恋模様を描いた作品。
ふわふわとした愛らしい主人公の杏が、ヤクザの若頭である樹に迫り、脅迫紛いの言葉で付き合う所から物語が始まる。
この手の話は需要があるらしく結構耳にする。
「……これは……」
紗千香は台本を開いて言葉を失った。
「あ、気付いた?」
同じように台本を手にしている小柴さんが嬉しそうに声をかけてくる。
私の記憶が間違いでなければ、この原作は全年齢対象だったはず。だが、台本に書かれている台詞はツラツラと甘い言葉が並べられ、キスシーンや絡み合う場面が多い。
「監督からの指示でね。ギリR15」
親指を力強く立たせ、ウィンクで決めてきた。
(冗談でしょ……)
ただでさえ緊張してるのに、更に追い詰められた感が半端ない。
一方、動揺する紗千香とは対称的に淡々と台本に目を通す仲佐。眼鏡をかけ、顎に手を置きながら真剣に取り組みむ姿は、もはや絵画のよう。
「収録は後日。今日は顔合わせと台本を渡すために呼んだだけだから、これにて解散ね」
気持ちを落ち着かせる間もなく外へ放り出された。
暫くは茫然とスタジオの扉を眺めていたが、こうしていても埒が明かないと気付いた。
(こうなったら腹を括るしかない)
覚悟を決め、拳をグッと握りしめた。やるからには全力でやってやる。個人的な感情を仕事に持ち込むなんてプロとして失格だ。
折角、私を押してもらえたんだ。そんな彼を失望させるなんて真似できない。
そうだ。これは憧れの人に認めてもらえるチャンスだと思えばいい。彼に少しでも近づけるように……
──収録は一週間後。
***
『樹ちゃん。これなぁんだ』
『……それ、お前が子供の頃どうしても書けって迫った誓約書じゃねか』
『そうです。私が20になったら結婚してくれるって誓約書ですねぇ。──で、私の現在の年齢は?』
あっという間に一週間が経ち、収録の日がやって来た。滑り出しは順調。始まる前は緊張で吐きそうになっていたが、いざ始まってしまえば役になりきることが出来る。
『ガキの頃の約束なんざ無効だ無効』
『他人には嘘をつくなって偉そうな事言ってるのに自分は良いんですか?』
『お前なぁ……』
隣では『樹』になりきった仲佐さんの息を吐く声が聞こえる。
『お子ちゃまのままごとは違うんだぞ?はっきり言っちまえば身体の関係だってあるって事だ』
『分かってます。いつまでも子供扱いしないで下さい!』
『……ふ~ん』
紗千香は心の中で「ふぅ」と息を吐いた。
今のところ失敗もなく、至って順調。今日の収録はあと少し。このままでいけば無事に終えれる。そう思うと少しだけ心に余裕ができた。
(ん?)
ふと視線を感じ、ゆっくり顔を横に向けると、仲佐さんの視線と重なった。
『じゃあ、試してみようか』
映像が映し出されているモニターでは、杏が樹に押し倒されているシーンが流れているのに、そっちには視線を向けずに台詞を吐いている。
『悪いが俺も男なもんでな』
キスシーンの場面。
仲佐は紗千香の眼を見つめたまま、見せつけるかのように自分の手の甲に唇を当て『チュッ』とリップ音を出す。
色気なんて表現生ぬるい。妖艶……気品が溢れ蠱惑に私の視線を捕らえてくる。まるで蛇が全身を這うようなじっとりとした視線。そんな視線に魅入られたら……
(あ、ヤバい……)
頭が真っ白になってしまい次の台詞が出てこない。
「はい!カット!」
監督の声が響く。その瞬間、腰が抜けたようにペタリとその場にしゃがみこんだ。
「仲佐さん、若い子を揶揄うの止めてよ」
「すみません。つい」
「もう、悪い癖だよ?」
「ははっ」
監督と仲佐が話す声が聞こえてるのに、頭の中は先程の光景が焼き付いていて離れてくれない。
「紗千香ちゃん大丈夫?ごめんね?」
手を差し出してくれたが、茫然としたままでその手を取ることが出来ない。
「あれ?刺激が強かったかったかな?」
困ったように笑う仲佐さんの言葉で我に返った。
「いえ、すみません!大丈夫です!」
勢いよく立ち上がり、深々と頭を下げた。
収録は始まったばかり。この程度で惚けていては、この先が思いやられる。
(これはお芝居。私に向けた言葉じゃない)
何度も自分に言い聞かせ、改めて気合いを入れ直した。
しかし──
一度乱れた心は簡単には落ち着かず、その後は最悪。
『いい子だ』
『欲しがりな子は嫌いじゃない』
『お前をそんな顔にするのは俺だけだろ?』
台本を読んで覚悟はしていたものの、実際に甘い言葉を耳にしたら正気なんて保てない。
色気に当てられて台詞のタイミングは逃すし、言葉には詰まるし、舌は噛むし……もう散々だった。
挙句の果てに監督から
「ん~、雰囲気が堅いんだよなぁ。もっと甘い雰囲気作れない?彼氏に甘えるような感じでさ」
なんて指摘されてしまった。
しかし、年齢=彼氏いない歴の私に甘い雰囲気だとか、彼氏に甘えるだとか分かるはずがない。
(……やっぱり私には無理だ……)
今の私には荷が重すぎる。このまま進めたっていい物が出来るはずない。何より、この人に迷惑をかけたくない。
紗千香は悔しくて情けなくて、泣きそうになる。
「今日はここまでだな」
監督が息を吐きながら言った。時計の針は21時を指している。
「よしっ!この後予定がない奴!飲み行くぞ!」
そう号令をかけたのは、ディレクターの小柴さん。この声に応えるように手が上がり、慌ただしく片付けが始まった。
「紗千香ちゃんも行こう。俺の奢りだぞ?」
気落ちしている私にも声を掛けてくれたが、正直そんな気分にはなれず断ろうとした。
「小柴さんの奢りなら俺も行こうかな」
「えぇ~!?勘弁してよぉ。仲佐さんザルじゃない」
「今日は抑えるよ。ね、紗千香ちゃんも行こう?」
ポンと肩を叩かれ、笑顔で誘われたら行くしかない。
ふわふわとした愛らしい主人公の杏が、ヤクザの若頭である樹に迫り、脅迫紛いの言葉で付き合う所から物語が始まる。
この手の話は需要があるらしく結構耳にする。
「……これは……」
紗千香は台本を開いて言葉を失った。
「あ、気付いた?」
同じように台本を手にしている小柴さんが嬉しそうに声をかけてくる。
私の記憶が間違いでなければ、この原作は全年齢対象だったはず。だが、台本に書かれている台詞はツラツラと甘い言葉が並べられ、キスシーンや絡み合う場面が多い。
「監督からの指示でね。ギリR15」
親指を力強く立たせ、ウィンクで決めてきた。
(冗談でしょ……)
ただでさえ緊張してるのに、更に追い詰められた感が半端ない。
一方、動揺する紗千香とは対称的に淡々と台本に目を通す仲佐。眼鏡をかけ、顎に手を置きながら真剣に取り組みむ姿は、もはや絵画のよう。
「収録は後日。今日は顔合わせと台本を渡すために呼んだだけだから、これにて解散ね」
気持ちを落ち着かせる間もなく外へ放り出された。
暫くは茫然とスタジオの扉を眺めていたが、こうしていても埒が明かないと気付いた。
(こうなったら腹を括るしかない)
覚悟を決め、拳をグッと握りしめた。やるからには全力でやってやる。個人的な感情を仕事に持ち込むなんてプロとして失格だ。
折角、私を押してもらえたんだ。そんな彼を失望させるなんて真似できない。
そうだ。これは憧れの人に認めてもらえるチャンスだと思えばいい。彼に少しでも近づけるように……
──収録は一週間後。
***
『樹ちゃん。これなぁんだ』
『……それ、お前が子供の頃どうしても書けって迫った誓約書じゃねか』
『そうです。私が20になったら結婚してくれるって誓約書ですねぇ。──で、私の現在の年齢は?』
あっという間に一週間が経ち、収録の日がやって来た。滑り出しは順調。始まる前は緊張で吐きそうになっていたが、いざ始まってしまえば役になりきることが出来る。
『ガキの頃の約束なんざ無効だ無効』
『他人には嘘をつくなって偉そうな事言ってるのに自分は良いんですか?』
『お前なぁ……』
隣では『樹』になりきった仲佐さんの息を吐く声が聞こえる。
『お子ちゃまのままごとは違うんだぞ?はっきり言っちまえば身体の関係だってあるって事だ』
『分かってます。いつまでも子供扱いしないで下さい!』
『……ふ~ん』
紗千香は心の中で「ふぅ」と息を吐いた。
今のところ失敗もなく、至って順調。今日の収録はあと少し。このままでいけば無事に終えれる。そう思うと少しだけ心に余裕ができた。
(ん?)
ふと視線を感じ、ゆっくり顔を横に向けると、仲佐さんの視線と重なった。
『じゃあ、試してみようか』
映像が映し出されているモニターでは、杏が樹に押し倒されているシーンが流れているのに、そっちには視線を向けずに台詞を吐いている。
『悪いが俺も男なもんでな』
キスシーンの場面。
仲佐は紗千香の眼を見つめたまま、見せつけるかのように自分の手の甲に唇を当て『チュッ』とリップ音を出す。
色気なんて表現生ぬるい。妖艶……気品が溢れ蠱惑に私の視線を捕らえてくる。まるで蛇が全身を這うようなじっとりとした視線。そんな視線に魅入られたら……
(あ、ヤバい……)
頭が真っ白になってしまい次の台詞が出てこない。
「はい!カット!」
監督の声が響く。その瞬間、腰が抜けたようにペタリとその場にしゃがみこんだ。
「仲佐さん、若い子を揶揄うの止めてよ」
「すみません。つい」
「もう、悪い癖だよ?」
「ははっ」
監督と仲佐が話す声が聞こえてるのに、頭の中は先程の光景が焼き付いていて離れてくれない。
「紗千香ちゃん大丈夫?ごめんね?」
手を差し出してくれたが、茫然としたままでその手を取ることが出来ない。
「あれ?刺激が強かったかったかな?」
困ったように笑う仲佐さんの言葉で我に返った。
「いえ、すみません!大丈夫です!」
勢いよく立ち上がり、深々と頭を下げた。
収録は始まったばかり。この程度で惚けていては、この先が思いやられる。
(これはお芝居。私に向けた言葉じゃない)
何度も自分に言い聞かせ、改めて気合いを入れ直した。
しかし──
一度乱れた心は簡単には落ち着かず、その後は最悪。
『いい子だ』
『欲しがりな子は嫌いじゃない』
『お前をそんな顔にするのは俺だけだろ?』
台本を読んで覚悟はしていたものの、実際に甘い言葉を耳にしたら正気なんて保てない。
色気に当てられて台詞のタイミングは逃すし、言葉には詰まるし、舌は噛むし……もう散々だった。
挙句の果てに監督から
「ん~、雰囲気が堅いんだよなぁ。もっと甘い雰囲気作れない?彼氏に甘えるような感じでさ」
なんて指摘されてしまった。
しかし、年齢=彼氏いない歴の私に甘い雰囲気だとか、彼氏に甘えるだとか分かるはずがない。
(……やっぱり私には無理だ……)
今の私には荷が重すぎる。このまま進めたっていい物が出来るはずない。何より、この人に迷惑をかけたくない。
紗千香は悔しくて情けなくて、泣きそうになる。
「今日はここまでだな」
監督が息を吐きながら言った。時計の針は21時を指している。
「よしっ!この後予定がない奴!飲み行くぞ!」
そう号令をかけたのは、ディレクターの小柴さん。この声に応えるように手が上がり、慌ただしく片付けが始まった。
「紗千香ちゃんも行こう。俺の奢りだぞ?」
気落ちしている私にも声を掛けてくれたが、正直そんな気分にはなれず断ろうとした。
「小柴さんの奢りなら俺も行こうかな」
「えぇ~!?勘弁してよぉ。仲佐さんザルじゃない」
「今日は抑えるよ。ね、紗千香ちゃんも行こう?」
ポンと肩を叩かれ、笑顔で誘われたら行くしかない。