八年執着されましたが、幸せです ~傷心のホテリエですが、イケメン御曹司と契約恋人になりました~
「ただいま」

 暁人さんはホッと息を吐いて微笑み、私を抱き締めてきた。

(安心する……)

 いい匂いとぬくもりに包まれ、私は彼を抱き締め返そうとする。

(……いけない)

 でもすぐにグレースさんの事を思いだし、彼の胸を押し返した。

「芳乃?」

 不思議そうに、少し悲しそうに目を瞬かせる彼を見て、私は改めて決意する。

 彼の事は好きだし、愛している。

 だからこそ、駄目だ。

「……今度こそ言わせてください。私、このマンションを出て行きます」

 もう、この気持ちは揺らがない。

 だから、泣かずに伝える事ができた。

「『俺の事を好きになりそうだから』が理由なら、出て行く必要はない」

 暁人さんは私がとっさについた嘘を、いまだに信じている。

 彼を好きになったのは本当だけれど、あの言葉を真に受けている姿を見ると、いっそう罪悪感が増す。

 ――この優しい人に、嘘をつきたくない。

 ――お互い傷付いてもいいから、最後に本当の事を言おう。

 凪いだ心で決意した私は、暁人さんを見て弱々しく微笑んだ。

「……あなたが好きです」

 私の告白を聞き、暁人さんは瞠目すると目の奥に歓喜を宿す。

 けれど彼はすぐに切なく笑い、眉間に皺を寄せて溜め息をつくように言う。

「じゃあ、どうしてそんなにつらそうな顔をしているんだ」

 私の肩を抱く暁人さんの手は、微かに震えていた。

「本気で好きだから。……心も体も、引き裂かれそうなほどに好きなんです」

 ぎこちなく笑うと、ポロッと涙が零れた。

「なら、どうして……っ」

「私は!」

 私は何かを言おうとした暁人さんの言葉に、強引に声を被せる。

 また彼に優しく誤魔化されてしまったら、堂々巡りになってしまう。

 そうなる前に、すべてを伝えなければならない。

 私は涙を流し、声を震わせながら、懸命に訴えた。

「私がいると、暁人さんのためになりません。私は愛し合う二人を引き裂く悪魔です。あなたの事が本当に好きで大切だから、あなたを不幸にしないために……どうか、離れさせてください」

 シンと静まりかえったリビングに、涙で歪んだ私の声が響く。

 微かな残響が消えた頃、暁人さんは無言で肩を抱く手に力を込めた。

 少し痛いとすら思える力に、私は驚いて顔を上げる。

 そして、彼の表情を見て静かに瞠目した。

 ――なんて顔してるの……。

 暁人さんはつらくて堪らないという顔をし、必死に歯を食いしばっている。

 彼は体を小さく震わせ、荒れ狂う激情を必死に押し殺していた。

 けれど、どうしても抑えきれない想いを、暁人さんは一言に込める。

「……勝手に俺が不幸になると決めるな!」

 語気を強めた彼の言葉が、スパンと私の心を射貫く。

(……確かに、暁人さんとろくに話し合わずに決めつけてしまったけれど……)

 でも私にだって譲れないものはある。

 愛のために倫理観を失えば、ズルズルと連鎖して周囲を不幸にしていく。

 そんな人には絶対になりたくなかった。

「駄目なんです! 私は暁人さんと一緒にいられません!」

 ムキになって言い返すと、彼は一瞬口を開いて何かを言いかけ、悔しそうに言葉を押し殺す。

 そのあと彼は私を抱き締め、激情で震えた声で囁いた。

「絶対に離さない」

 これ以上ないほど私を求める声を聞き、離れなければならないのに、愛しさが募ってしまう。

「俺はあなたを自分のものにすると、ずっと決めていたんです」

 突如として暁人さんの口調が変わり、私は驚いて顔を上げようとする。

 けれど彼は抱き締める腕に力を込め、私の動きを封じた。

「『芳乃に相応しい男になる』と自分に言い聞かせて、やっとここまできたのに……っ」

 彼の声には、怒り、悲しみ、失望、やるせなさ、……色んな感情が籠もり、グツグツと煮えたぎっている。

(何が言いたいの?)

 混乱している中、暁人さんは私の背中と膝の裏に手を回し、抱き上げた。
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