八年執着されましたが、幸せです ~傷心のホテリエですが、イケメン御曹司と契約恋人になりました~
どん底
初夏、まるで私の帰国を待っていたように父が倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
私は夢の続きでも見ているような心地で、小さな骨壺に収まった父と対面する。
沢山泣いた気がするのに、泣き足りない。
やがて父を想って泣こうとしても、悲しみが底をついたかのように涙が出てこなくなった。
父の死因は心不全で、前兆もなかった。
店の後継者を探すどころではないし、母はただ手伝っていただけなので、蕎麦打ちのいろはが分かっている訳ではない。
毎日のように父がしている事を見ていても、実際にやるのとでは話が違う。
さらに蓋を開ければ店は赤字を抱えていたらしく、二億円の負債を抱えていた。
絶望を感じた私はどうすればいいのか分からず、大きな溜め息をつく。
母は「働いて少しずつ返していけば大丈夫」と言っているけれど、二億円という金額を「大丈夫」と思う事はできない。
私の貯金をはたいても六百万円ぐらい。
二十八歳にしては貯めたほうだと思うけど、店の負債を返すには全然足りない。
「少額になると思うけど、俺は給料から生活費と返済金を出すけど、姉ちゃんはどうする?」
ソファに横たわってクッションに顔を埋めていると、二十四歳の弟の健太(けんた)が尋ねてくる。
健太は都内に本社があるスポーツメーカーに勤務していて、最近は週末になるとこちらに帰ってきている。
弟には恋人がいるし、友達と遊ぶ約束もあるだろうに、私と母を心配して足繁く実家に戻っていた。
健太だって実家が負債を抱えているとなれば、彼女との結婚が難しくなるだろうに、気丈に振る舞っている。
「…………働かないとね」
私はくぐもった声で返事をする。
立て続けにショックな出来事が起こって疲弊しきっているけれど、いつまでも悲しみに浸っていられない。
遺族年金が入るとしても、今まで通りの生活ができる訳ではない。
母は様々な手続きに奔走し、本来なら私も長女としてその手伝いをしなければならなかった。
『芳乃が帰ってきて本当に良かったなぁ。父さん、これで死んでも何の悔いもない』
帰国した直後、家族で回転寿司に行った時、父はビールを飲んでご機嫌に笑っていた。
あの言葉は本心だろうけど、本当に死んでいいと思っていた訳ではない。
でも今の私はすべてを悲観的に捉えてしまい、「本当は物凄く心配していたから、私が帰国して緊張の糸が切れてしまったのかもしれない」と思っていた。
「努力して一流ホテルで頑張ってきたんだろ? 日本でも十分通用するよ」
「そうだね……」
かつての私はガリ勉で、やっとの思いで難関大学に入学した。
それから先の進路は色々あったはずだけれど、子供の頃に訪れたホテルのホスピタリティに感動した私は、ホテリエになりたいと思って邁進し続けた。
ひたむきに努力していたけれど、今思うと「馬鹿みたい」と感じるし、「ホテリエじゃない道を選んだほうが良かったのかもしれない」と思うようになっていた。
一時は舞い上がって『ウィルにプロポーズされたの!』と家族にビデオ電話で自慢したけれど、何も言わず帰国した私に家族は何も尋ねない。
その沈黙、思いやりが逆に胸に痛い。
あれほど『ウィル、ウィル』とはしゃいでいたのに、帰国したあとは一度も彼の名前を口に出さなくなったから、すべてを察したのだろう。
そのショックも癒えていないのに、父まで喪うなんて……。
(……でも、いつまでも打ちひしがれていられない)
ゆっくりと起き上がると、健太が励ますように言う。
「二人で力を合わせて母さんを支えなきゃな」
渡米する前はまだ学生だったのに、いつのまにこんなに頼もしくなったんだろう。
(……いつまでも落ち込んでいられない。私が健太と一緒にお母さんを助けないと)
恋人はいないし、友達とはほぼ疎遠になっている。
でも家族のためなら頑張れる。
私はピシャン! と頬を両手で叩いて気合いを入れた。
「都心のホテルの面接を受ける!」
気力を取り戻した私を見て、健太は安心したように微笑んだ。
「都内勤務になるなら、いつでも連絡くれよ」
「私の事はいいから、彼女を大切にして」
家族想いなのは嬉しいけれど、健太には健太の人生がある。
せっかく彼女とうまくいっているのに、実家の事ばかりになって寂しい想いをさせたら、別れ話に発展しかねない。
結婚したら彼は一家の大黒柱になるんだし、一番大事な時期にチャンスを失っては駄目だ。
その後、私は都内にある有名ホテルの求人情報を検索し、条件などを表計算ソフトにまとめた。
自分にとって最良の就職先を絞り、そのあと一社ずつアタックして、堅実に働ける所を見つけるつもりだった。
母は私がやる気を取り戻した事を喜び、「家の事はいいから都内で頑張って」と言ってくれた。
けれど父が死んで一番疲弊しているのは母だ。
(絶対、老後は楽させてあげるから待ってて!)
――一度底まで落ちたら、あとは上がるだけ。
「行ってきます!」
黒いロングヘアはシニョンにし、濃紺のリクルートスーツを身に纏った私は、ブラウン系のアイメイクをし、ピンクベージュのリップを塗った。
――もうあの濃いルージュは塗らない。
以前ウィルに贈られ、宝物にしていたハイブランドのルージュは、燃えないゴミに捨てた。
私は日本で自分らしく生きていくため、都内にある神楽坂グループのホテル〝エデンズ・ホテル東京〟へ向かった。
**
私は夢の続きでも見ているような心地で、小さな骨壺に収まった父と対面する。
沢山泣いた気がするのに、泣き足りない。
やがて父を想って泣こうとしても、悲しみが底をついたかのように涙が出てこなくなった。
父の死因は心不全で、前兆もなかった。
店の後継者を探すどころではないし、母はただ手伝っていただけなので、蕎麦打ちのいろはが分かっている訳ではない。
毎日のように父がしている事を見ていても、実際にやるのとでは話が違う。
さらに蓋を開ければ店は赤字を抱えていたらしく、二億円の負債を抱えていた。
絶望を感じた私はどうすればいいのか分からず、大きな溜め息をつく。
母は「働いて少しずつ返していけば大丈夫」と言っているけれど、二億円という金額を「大丈夫」と思う事はできない。
私の貯金をはたいても六百万円ぐらい。
二十八歳にしては貯めたほうだと思うけど、店の負債を返すには全然足りない。
「少額になると思うけど、俺は給料から生活費と返済金を出すけど、姉ちゃんはどうする?」
ソファに横たわってクッションに顔を埋めていると、二十四歳の弟の健太(けんた)が尋ねてくる。
健太は都内に本社があるスポーツメーカーに勤務していて、最近は週末になるとこちらに帰ってきている。
弟には恋人がいるし、友達と遊ぶ約束もあるだろうに、私と母を心配して足繁く実家に戻っていた。
健太だって実家が負債を抱えているとなれば、彼女との結婚が難しくなるだろうに、気丈に振る舞っている。
「…………働かないとね」
私はくぐもった声で返事をする。
立て続けにショックな出来事が起こって疲弊しきっているけれど、いつまでも悲しみに浸っていられない。
遺族年金が入るとしても、今まで通りの生活ができる訳ではない。
母は様々な手続きに奔走し、本来なら私も長女としてその手伝いをしなければならなかった。
『芳乃が帰ってきて本当に良かったなぁ。父さん、これで死んでも何の悔いもない』
帰国した直後、家族で回転寿司に行った時、父はビールを飲んでご機嫌に笑っていた。
あの言葉は本心だろうけど、本当に死んでいいと思っていた訳ではない。
でも今の私はすべてを悲観的に捉えてしまい、「本当は物凄く心配していたから、私が帰国して緊張の糸が切れてしまったのかもしれない」と思っていた。
「努力して一流ホテルで頑張ってきたんだろ? 日本でも十分通用するよ」
「そうだね……」
かつての私はガリ勉で、やっとの思いで難関大学に入学した。
それから先の進路は色々あったはずだけれど、子供の頃に訪れたホテルのホスピタリティに感動した私は、ホテリエになりたいと思って邁進し続けた。
ひたむきに努力していたけれど、今思うと「馬鹿みたい」と感じるし、「ホテリエじゃない道を選んだほうが良かったのかもしれない」と思うようになっていた。
一時は舞い上がって『ウィルにプロポーズされたの!』と家族にビデオ電話で自慢したけれど、何も言わず帰国した私に家族は何も尋ねない。
その沈黙、思いやりが逆に胸に痛い。
あれほど『ウィル、ウィル』とはしゃいでいたのに、帰国したあとは一度も彼の名前を口に出さなくなったから、すべてを察したのだろう。
そのショックも癒えていないのに、父まで喪うなんて……。
(……でも、いつまでも打ちひしがれていられない)
ゆっくりと起き上がると、健太が励ますように言う。
「二人で力を合わせて母さんを支えなきゃな」
渡米する前はまだ学生だったのに、いつのまにこんなに頼もしくなったんだろう。
(……いつまでも落ち込んでいられない。私が健太と一緒にお母さんを助けないと)
恋人はいないし、友達とはほぼ疎遠になっている。
でも家族のためなら頑張れる。
私はピシャン! と頬を両手で叩いて気合いを入れた。
「都心のホテルの面接を受ける!」
気力を取り戻した私を見て、健太は安心したように微笑んだ。
「都内勤務になるなら、いつでも連絡くれよ」
「私の事はいいから、彼女を大切にして」
家族想いなのは嬉しいけれど、健太には健太の人生がある。
せっかく彼女とうまくいっているのに、実家の事ばかりになって寂しい想いをさせたら、別れ話に発展しかねない。
結婚したら彼は一家の大黒柱になるんだし、一番大事な時期にチャンスを失っては駄目だ。
その後、私は都内にある有名ホテルの求人情報を検索し、条件などを表計算ソフトにまとめた。
自分にとって最良の就職先を絞り、そのあと一社ずつアタックして、堅実に働ける所を見つけるつもりだった。
母は私がやる気を取り戻した事を喜び、「家の事はいいから都内で頑張って」と言ってくれた。
けれど父が死んで一番疲弊しているのは母だ。
(絶対、老後は楽させてあげるから待ってて!)
――一度底まで落ちたら、あとは上がるだけ。
「行ってきます!」
黒いロングヘアはシニョンにし、濃紺のリクルートスーツを身に纏った私は、ブラウン系のアイメイクをし、ピンクベージュのリップを塗った。
――もうあの濃いルージュは塗らない。
以前ウィルに贈られ、宝物にしていたハイブランドのルージュは、燃えないゴミに捨てた。
私は日本で自分らしく生きていくため、都内にある神楽坂グループのホテル〝エデンズ・ホテル東京〟へ向かった。
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