婚約者にバカにされ続けた侯爵令嬢が「ざまぁ」するに至るまで
「久しぶり、ミラ」

「王国の小さな太陽であるエース殿下にご挨拶を申し上げます」

「俺と君の仲で、そんな他人行儀な挨拶は止めてほしいんだけど」


 ミラジェーンが頭を下げると、第二王子エースは唇を尖らせた。


「殿下、不用意なご発言はお控えいただきたく存じます」

「ダメかな」

「ダメです。わたくしは他の殿方と婚約しておりますの」

「まだ正式ではないだろう? 貴族会での承認が下りていない」

「来月初めには承認される予定と聞いております」

「残念ながらね」


 呆れたミラジェーンの言葉に、エースは肩を竦めた。

 エースはミラジェーンの腕を引いて奥まったベンチへと移動した。

 そこには先ほどミラジェーンが渡した籠が置かれていた。

 籠にはミラジェーンが用意した白いハンカチが掛けられていた。


「こちら、今城下町で流行の焼き菓子ですの。殿下のお好みかと」

「ありがとう。ところで籠に掛かっていた布巾、これはハンカチではないかい?」

「……はい」

「言いづらいことがあるときのミラの顔はブレイズ卿そっくりだね。この刺繍は王家の竜の紋章と俺の名に見えるけど」

「……み、見えますか?」

「ぎりぎり」


 エースは先ほどとは打って変わり、吹き出しながらハンカチを手に取った。


「不出来な品で申し訳ありません。作り直しますので、いずれ出来の良い品とお取り替えくださいませ」

「うん、待ってる」


 くすくすと笑いながら、エースは籠を覗き込み、手元の鈴を鳴らした。

 すぐに現れた侍女に、テーブルの用意を申しつけた。

 ほどなくして、ベンチ前の卓に皿とコーヒー、そして紅茶が並べられた。

 侍女の姿が消えてから、エースは籠から焼き菓子を取り出し、皿に並べた。


「殿下、そのようなことはわたくしが」

「だめだよ、これは俺がもらったものだからね」

「……お言葉に甘えさせていただきます」

「言葉以外も甘えてくれていいよ」

「それは丁重にお断りいたします」


 エースは切なげに目を細めたが、それ以上は何も言わなかった。

 ミラジェーンの頑なな気質を、彼は長い付き合いの中で十分に承知していた。


「ところで、君の婚約者殿はずいぶん評判がいいらしいね」

「……そのようですわね」


 ミラジェーンは低い声で答えたが、エースは笑みを浮かべたまま焼き菓子へと手を伸ばした。

 エースが無言のまま三つ目の菓子を口にしたところで、ミラジェーンはようやく言葉を発した。


「殿下は、あの噂について何もなさっていませんのね」

「もちろん。君の評判を下げる必要はないからね」


 微笑むエースに、ミラジェーンは肩を竦め、ティーカップを手に取った。


「お気遣い、ありがとうございます」

「構わないよ、君と僕の仲だからね」

「殿下、不用意なご発言はお控えくださいますようお願い申し上げます」

「別に俺は妾でもいいけど」

「さすがに王位継承権第二位の王子殿下を妾にはできかねますわ」

「ふふ、本気なのに」

「質が悪いですわね」


 エースはコーヒーをすすり、再び菓子へと手を伸ばした。

 ミラジェーンに菓子を勧めることはなかった。


「ま、今後とも王家は君の婚約者殿の噂に関与するつもりはない。それがいかなるものであれ」

「そのようにお願いいたします」


 現時点でミラジェーンの耳に入っているエリオットの噂は、いずれも王家やブライズ家の評判に関わるものではなかった。

 そうであれば、エースとミラジェーンが口を挟む必要はなかった。


「さて、いろいろ言ったが、今日のところは婚約おめでとうと言っておこう。もちろん残念ではあるけど。ブレイズ侯爵、侯爵令嬢には長年、経済面で大いに助けられてきた。帳簿の精査や報告書の作成も常に丁寧であったし、不正の芽も君とブレイズ卿が誰よりも早く見抜いてくれた。そのことに対し、俺は王家の者として深く感謝を捧げる」


 エースは真顔で頭を下げた。

 ミラジェーンは一瞬呆気に取られてから、慌ててエースの肩に手をかけた。


「殿下、おやめくださいまし。王家の方が民に頭を下げるなど、あってはなりませんわ。殿下のお言葉、深く胸に刻ませていただきました」

「ミラ……」


 エースは口を開きかけたが、何も言わず首を横に振った。

 ミラジェーンは微笑み、そんなエースの顔を見つめた。


「まだしばらく引き継ぎが残っております。おそらく一年ほどは王城へ通わせていただくことになるかと」

「気の長い話だ。それくらいなら続ければいいのに」

「……そうですわね。そうしたいのは山々なのですが、わたくしの一存では決められません」


 ミラジェーンは軽く頭を下げ、温室を後にした。

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