雨のち花憑き
泡沫
その夜、鈴花は深い、深い眠りの中で、不思議な景色を見ていた。
視界のすべてを覆い尽くすのは、真珠の粉を溶かしたような、美しくも不気味な白い霧。
いつもの街のはずなのに、街灯も標識も、すべてが幽霊のようにぼやけて見える。
ふと足元に目をやると、アスファルトだったはずの地面は、鏡のような水面に変わっていた。
水深は、ちょうど鈴花の脛のあたりまで。
「⋯⋯冷たい。でも、あったかい?」
一歩踏み出すたびに、静まり返った街に『ちゃぷん』と、澄んだ水の音が反響する。
波紋はどこまでも広がり、霧を押し広げていく。
ふわり、と鼻先をかすめたのは、あの神社の奥で嗅いだ古くて懐かしい花の匂い。
鈴花は誘われるように、水底を歩き続けた。
街の角を曲がるたびに、見慣れた景色が少しずつ変質していく。
コンビニの看板が石灯籠に変わり、ガードレールが朱塗りの柵に溶けていく。
まるであの世界が、現世を侵食しているような、あるいは、現世こそがかりそめの姿であるかのような、奇妙な感覚。
「⋯⋯だれか、いるの?」
霧の向こうに、長い銀髪を揺らした人影が見えた気がした。
昨日のような冷徹な瞳ではなく、もっと優しく、もっと悲しい、泣き出しそうな瞳。
鈴花が手を伸ばそうとすると、その影は水泡のように弾けて消えてしまう。
『ちゃぷん、ちゃぷん』
自分の足音だけが、永遠に続く回廊のように響き続ける。
ここは、どこだろう。
なぜ自分は、こんなにもこの場所を知っている気がするのだろう。
答えは見つからない。
ただ、足元を流れる水の冷たさだけが、妙にリアルに肌に残っていた。