雨のち花憑き

夜雨



お菓子を食べ終え、夕風が心地よく吹き抜ける頃。
鈴花は、ずっと気になっていたことを口にした。



「あの⋯⋯天満は、外には出ないんですか? この神社から出て、現世を見に行ったりとか」


一瞬、その場の空気が凍りついた。
ハクは目を伏せ、クロはバツが悪そうに視線を逸らす。


天満は、遠い空を見つめたまま、低く、重い声で答えた。


「⋯⋯出られないのではない。⋯⋯出る必要が、ないのだ」



その言葉は、拒絶ではなく、深い諦めのように聞こえた。


鈴花は、彼の氷のような指先に触れたい衝動を、必死で抑えた。

いつか、この人を外の景色⋯⋯本物の桜や、本物の雨の中に連れ出すことができたら。


そんな無謀な願いが、鈴花の心に初めて芽生えた瞬間だった。


⋯⋯?別に出れないなら出かければいいのでは?
いやいや、そんな簡単に出れるわけ​――


「行くか?どこか」


天満のその一言は、静まり返った拝殿の空気を一瞬で凍りつかせた。


ハクは持っていた湯呑みをあわや落としそうになり、クロにいたっては、飲んでいたお茶を豪快に吹き出して「ゲホッ、ゴホッ!」と派手にむせ返っている。


​「て、天満様⋯⋯!? 今、なんて仰いましたかぁ?」


「天満様! 正気かよ!? 外に出るなんて、いつ以来だと思って⋯⋯っ!」


​双子の狐たちの動揺を余所に、天満は至って冷静だった。銀髪を指先で弄りながら、琥珀糖の残った甘みを慈しむように目を細めている。


鈴花は、心臓がバクバクと早鐘を打つのを感じていた。


「え⋯⋯? 外に、行けるの? でも、天満はここから出られないんじゃ⋯⋯」


「出られないのではないと言ったはずだ。⋯⋯ただ、きっかけがなかっただけだ。お前が、外の景色を語るから⋯⋯少し、興味が湧いた」


天満の視線が鈴花を射抜く。
それは命令でも、願いでもない。ただの、純粋な好奇心。


けれど、現実に立ち返れば問題は山積みだった。
鈴花は、天満の頭から足先までを、改めてじろじろと観察した。


​「でも⋯⋯その格好で行くの? 天満、その、真っ白な着物とか袴とか、今の街中じゃ目立ちすぎるよ。あと、ハクくんとクロくんの、その⋯⋯耳と尻尾」


「耳? ⋯⋯ああ、これですか」


ハクが自分の白い耳を、ぴこん、と動かして微笑んだ。


「心配いりませんよ。普通の人間には、私たちの姿は見えませんから。彼らにとって、私たちは存在しない風のようなものなのです」


その言葉に、鈴花は首を傾げた。


「え? 見えないの? ⋯⋯じゃあ、私はなんで見えてるの?」


「それはお前が少しばかり霊感が高いからだろうな」


クロが不機嫌そうに尻尾を振り回す。


「いいか? 普通の奴らから見れば、俺たちは透明人間だ。お前が一人で虚空に向かって喋ってる、変な女子中学生に見えるだけだぞ。それでもいいのか?」


​鈴花は想像した。
夜の街で、誰もいない空間に向かって「美味しいね」とか「あっちに行こう」とか話しかけている自分の姿を。


「⋯⋯それは、ちょっと恥ずかしい、かも」


「だろうな。それに、天満様はいいけど、俺たちのこの格好も⋯⋯今の流行りとは違うんだろ?」


クロが自分の、やんちゃな和パンクスタイルを見下ろす。確かにあやかしとしては格好いいけれど、現世の渋谷や新宿にいたら、間違いなく「気合の入ったコスプレイヤー」か、浮世離れした存在に見えてしまう。


​「じゃあ、術を使いましょうか」


ハクがいたずらっぽく目を細め、指先をパチンと鳴らした。


刹那、柔らかな光が三人を包み込む。
光が収まったあと、鈴花は思わず「わぁっ!」と声を上げた。
 
そこにいたのは、さっきまでのあやかしたちではなかった。



ハクは、ダボッとした白いビッグシルエットのパーカーに、細身のデニムを履いた、どこか中性的な美少年。


クロは、黒いスカジャンを羽織り、ダメージジーンズにゴツめのブーツを合わせた、今時の中学生のようなストリートスタイル。


そして、天満は⋯⋯。

銀色の髪を後ろで緩く束ね、オーバーサイズの黒いロングシャツを纏い、ワイドパンツを履きこなした、アンニュイな雰囲気の青年。


モデルさえも裸足で逃げ出しそうな、圧倒的なオーラを放つ現代の美形に変わっていた。


「⋯⋯な、なに、これ。すごい!」


「これなら人混みに混じっても、ただの超イケてる集団にしか見えねーだろ?」


自画自賛しているクロ。


「でも、耳は⋯⋯?」


「術で見えなくしているだけです。触ればわかってしまいますが、街中で他人に耳を触られることもないでしょうからねぇ」
 

ハクがウィンクする。
その仕草一つとっても、現世の男の子とは違う、どこか浮世離れした優雅さがあった。


天満は、慣れない自分の服装を少しだけ居心地悪そうにしている。

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