雨のち花憑き
第二章

雨霧



学校の帰り道、鈴花は母に頼んで買っておいてもらった小さな紙袋を大事そうに抱えていた。


地元で古くから続く老舗和菓子屋『月霧堂』。

そこの看板商品である『いざよいまんじゅう』は、真っ白でふわふわの皮の中に、月明かりを溶かし込んだような黄金色の栗餡が詰まっている。


母には「傘を貸してくれたお礼」と言ってある。


嘘ではないけれど、その傘を貸してくれたのが、銀髪の美しい青年や、狐の耳が生えた少年たちだとは口が裂けても言えない。


石段を上がり、朱色の鳥居の前で立ち止まり、周囲をキョロキョロと見渡した。


「⋯⋯あの、こんにちは! 傘を返しに来ました!」


返事はない。
けれど、ふっと足元から白い霧が立ち上がる。


屋根から飛び降りてきたのは、黒い狐耳をぴこぴこと動かしたクロだった。

相変わらず着崩した黒い着物に、太い尻尾をぶんぶんと振り回している。


「クロくん、こんにちは。これ、昨日の傘とストール⋯⋯。ストールは洗濯しました。あと、これ、お土産です」


「お、お土産ぇ!? ⋯⋯ふん、人間界の食い物なんて、俺たちの口に合うわけ⋯⋯」


「まあまあ、クロ。せっかく鈴花さんが持ってきてくださったのですから。ねぇ?」
 

霧の中から、おっとりとした笑顔を浮かべたハク、及び救世主が現れた。

白いパーカー風の羽織が、夕風にふわりと揺れている。



「いらっしゃい、鈴花さん。天満様は奥で休まれていますが、私たちは退屈していたところなんですよ」


ハクに促され、鈴花は神社の縁側に腰を下ろした。
そこは、現世の音が遠く隔絶された、静かで不思議な空間だった。


鈴花は緊張しながらも、月霧堂の紙袋から、丁寧に包装されたまんじゅうを取り出した。


「これ、地元の月霧堂っていうお店のおまんじゅうなんです。すごく美味しいから、よかったら食べてください」


「ほう⋯⋯これは綺麗ですねぇ」


ハクが興味深そうに、透明なフィルムに包まれたお饅頭を手に取った。

真っ白な丸い形を見つめ、不思議そうに首を傾げる。


「⋯⋯これは、このまま齧るのですか?」

「えっ? あ、いえ、えっと⋯⋯」


ハクはフィルムごと口に運ぼうとしている。
隠り世の住人である彼らにとって、現世の過剰な包装は未知の代物らしい。


「ダメですよ、ハクくん! 周りのビニールは剥がさないと⋯⋯。私がやりますね」


鈴花はハクの手からおまんじゅうを受け取ると、慎重にフィルムを剥がした。

指先に、しっとりとした皮の感触が伝わる。


そのままハクに渡そうとしたが、彼はなぜか、期待に満ちた瞳で鈴花をじっと見つめ、小さく口を開けた。


「⋯⋯?」


「あ、あの⋯⋯ハクくん?」


「ふふ、手が汚れてしまいそうで。よろしければ、お願いしてもいいですか?」


「⋯⋯じゃ、じゃあ、はい。⋯⋯あーん」

 
震える指先で、お饅頭をハクの口元へ。
ハクは幸せそうに目を細めると、ぱくりとそれを一口で受け止めた。


「⋯⋯んんん⋯⋯! これは絶品ですねぇ。口の中で餡がとろけて、まるで春の陽光を食べているようですぅ」


幸せそうに頬を押さえるハク。
その白い尻尾が、満足そうに左右に揺れる。


その様子を、横で見ていたクロが、顔を真っ赤にして固まっていた。


「な⋯⋯っ! な、ななな、なんなんだお前ら!」

「あら、クロも食べたいのですか?」


「食いたくない! 全然食いたくない!⋯⋯あんな、白くて丸い、美味そうな匂いのする塊なんて⋯⋯っ!」


言葉とは裏腹に、クロの鼻先はヒクヒクと動き、黒い尻尾は正直に「食べたい」と言わんばかりに激しく振られている。


わんこみたいで、かわいい。
鈴花は思わず、くすりと笑ってしまった。


「クロくんも、食べる? はい、これ」
 

鈴花が新しいおまんじゅうの包装を解き、クロの目の前に差し出した。


クロは「い、いらねぇって言ってるだろ!」と叫びながらも、視線は釘付けだ。


「⋯⋯本当に、いらないの?」


「⋯⋯っ」


クロはもぞもぞと唇を震わせ、小さな声で呟いた。


「⋯⋯⋯⋯俺も、食いたい」
 

消え入りそうな声。
鈴花は優しく微笑んで、ハクの時と同じように、お饅頭を彼の口元へと運んだ。


「ん? ⋯⋯はい、口開けて」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯あ」


クロは観念したように目を瞑り、大きく口を開けた。
鈴花がそっとお饅頭を放り込むと、彼は勢いよく咀嚼し、次の瞬間には顔をこれ以上ないほど真っ赤にして噴火しそうになっていた。


「⋯⋯んんんんまいいいいいいっ!!!」


「あはは、よかった!」


「べ、別に、お前がくれたから美味いわけじゃないからな! この、月霧堂とかいう店のやつが優秀なだけだからな!」


必死でツンツンした態度を保とうとするクロだったが、その手は無意識に、お代わりを求めて鈴花の裾をちょんちょんと引っ張っている。
 

「ふふ、仲良しですねぇ」


ハクが茶柱の立ったお茶を啜りながら、目を細める。


ふと、廊下の奥の暗がりに、冷ややかな、けれどどこか優しい気配を感じて、鈴花は振り返った。


そこには、銀髪を揺らしてこちらを見つめる、天満影があったような気がした。


 
「天満様にも、いくつか残しておきますね」

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