親友に婚約者を奪われた毛虫令嬢は、腹黒王子様に捕獲されてしまった〜この溺愛からはきっと逃れられない〜

10 王宮にて(レノックスside)

 窓から残照が差し込む王宮の廊下に、靴底を引きずるような特徴的な靴音が近づいてくる。小さな影が俺に気づくと、恭しくお辞儀をした。

「これはこれは、レノックス殿下。ご機嫌麗しゅうございます」
「ああ。マーシャル侯爵も健やかそうで何よりだよ」
 俺は笑顔の仮面を貼り付けたまま答える。

 彼は笑みをたたえてはいるが、碧色の瞳には嫌悪感が表れていた。
 マーシャル侯爵は俺より頭一つ分ほど背が低く、俺を見上げるが、『野蛮なセレニーノの血』を引く俺に見下されるのは不服なのだろう。
 ライトブラウンの髪はだいぶ薄くなり始めているが、姿形はこいつの息子、ピーターとそっくりだった。

「そういえば、ピーター殿の婚約、おめでとう」
「ありがとうございます」
「なんでも『真実の愛』を見つけたらしいと、噂になっているようだね」
「あー、はは、そうなのです。お恥ずかしい話なのですが、前の婚約者には少々問題がありましてね。完成された蝶の美しさとはほど遠い、地面を這う不気味な毛虫を好む『変人の毛虫令嬢』と呼ばれていまして……」
「今度行われる婚約披露パーティーには、是非参加させてもらうよ」
 侯爵の言葉を遮るように言うと、侯爵は驚いたような声を上げた。

「え、殿下がですか!?」
「何か問題でも? 彼には昔、随分お世話になったからね。是非とも直接挨拶をしたいんだ」
 俺が満面の笑みを見せると、マーシャル侯爵の顔はみるみるうちに青ざめる。
「しょ、承知いたしました……」
「それじゃ、また」

 俺はその場から立ち去ると、瞬時に笑顔の仮面を剥ぎ取った。
(――ちっ、胸糞わりぃ。あのチビハゲジジイも、そのチビ馬鹿息子も、人を蔑むことしか脳がない)

 敵国セレニーノから輿入れした孤独な母上は、散々トリヘリッドの貴族から、酷い仕打ちを受けて病に倒れた。
 俺も例外ではない。野蛮なセレニーノの血を引く者として、幼い頃に貴族の子息から虐めを受けた。その筆頭がピーター・マーシャルだった。こいつやその仲間らから暴言を吐かれ、時には暴力も振るわれた。
(まぁ、そのたびに、返り討ちにしてやったんだがな)
 そうしているうちに虐めてくる奴はいなくなったが、『セレニーノの血を引く悪魔王子』と陰口を叩かれるようになった。

 今日はいつもにも増して苛立ちが収まらない。それは先程侯爵が言った、『変人の毛虫令嬢』が引っかかっているからだろう。

 最近、社交界での噂を聞いたばかりだった。ピーターと男爵令嬢の真実の愛を邪魔し、毛虫を投げつけた毛虫令嬢。それが、あいつ、ティナだという。
 本当はピーターの婚約披露パーティーなど興味ないが、あいつを陥れた婚約者には一度会ってみたかった。

 毛虫を投げつけたり、毛虫を箱に詰めて送りつけたりだったか。
(……虫を愛すあいつが、嫌がらせの道具に使ったりなど、絶対にするはずがない)
 
「毛虫令嬢、ね……」
 俺は呟きながら、ヘーゼルの瞳をキラキラと輝かせ、毛虫について熱弁する彼女を思い出した。
(ふっ。あいつのことだ、可愛い呼び名だと喜びそうだな)
 俺の口元が僅かに緩む。先程まで俺を覆っていた不快感が、少しばかり薄れていくのを感じた。


 目的の部屋まで行くと近衛兵たちがサッと道を開けた。俺は中へ入っていく。

「失礼します、兄上」
 声をかけると兄上は見ていた書類から顔を上げ、こちらに視線を送る。
「あぁ。来たか、レノ」
 黄金の髪に、澄んだブルーの瞳。圧倒的な高貴さが漂う王太子。俺が唯一、尊敬し、憧れている人物だ。
「すまないが、もう少し待っていてくれ」
 そう言って忙しそうにペンを走らせている。

「はい、構いません」
 俺は微笑みつつ、ソファへ腰を下ろす。侍従官が退室すると、執務室内は二人きりになった。兄上は視線を書類に向けたまま、口を開く。

「どうした? レノ。少々機嫌が悪そうだな。ここには私達しかいない、素に戻ってもいいぞ」
 笑顔の仮面を被っていても、完全に見破られてしまったようだ。
「……あはは。まったく……兄上には敵わないな。今しがた、チビハゲジジイに会ったばかりなんだ」
 俺は髪をかき上げながら、口調を崩す。
「あー、そうか。それは災難だったな」
 兄上は苦笑する。誰とは言わなくても通じたようだ。

 虐められていた幼少期、唯一俺を庇ってくれたのは兄上だった。しかし、悪魔王子と疎まれている異母弟の俺を庇えば、第一王子の評判までも落としてしまう。そう思った俺は、人前では猫を被ることを覚えた。

「ところで、黒蝶探しは上手くいっているのか?」
 兄上は手を止め、こちらに視線を送る。俺は天井を仰いだ。
「んーー。難航してる」
 なんせ、三十年前の戦争で絶滅したと言われている蝶だ、なかなか見つからないだろう。ガイ・コリンズが三年前に目撃したという情報もどこまで信憑性があるのか不明だ。
「そうか。また協力が必要になったら言ってくれ」

 ――母上の為にセレニーノの黒蝶を探したい。
 そう相談した俺に、ダニー・コリンズを紹介してくれたのは兄上だった。
「ああ、その時はお願いするよ。だけど、ちょっと面白い協力者を得たんだ」
「協力者?」
「そ、毛虫令嬢」
「ん? 毛虫? なんだ、その令嬢は」
 兄上は怪訝そうな顔をする。噂のことは知らないらしい。

「くくっ、この俺を、毛虫のように美しいと表現した令嬢だよ」
 思い出すと思わず笑いが込み上げてくる。
 この俺を、リンゴドクガの幼虫のようだと恍惚とした表情を見せ、毒はないから安心しろと瞳を輝かせた、ティナ。

「女性嫌いのお前が、そんなに興味を引かれる令嬢がいるとはな」
 兄上は感心したようにブルーの瞳を見開いている。
 俺が今まで会った令嬢は、内心俺を蔑んでるくせに、この美貌と地位目当てに群がる羽虫のような奴ばかりだった。
 だから、ガーデンパーティーでも逃げていたのだが、予想外の獲物が引っ掛かった。

(……本当に、面白い奴だよ、あいつは。俺の予想を軽々と飛び越えてくる)

「レノ、お前、今の自分を鏡で見てみろよ。邪悪な顔をしているぞ。何か企んでいるのか?」
 指摘され、俺は思わず手で顔を覆う。
「酷いなー。少し思い出してただけだよ」
「お前に気に入られた、その令嬢が気の毒だな。あまり虐めるなよ」

「そんなことしないよ。……可愛がってるだけさ」
 俺が極上の笑みで答えると、兄上は盛大な溜息をついた。 
  
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