親友に婚約者を奪われた毛虫令嬢は、腹黒王子様に捕獲されてしまった〜この溺愛からはきっと逃れられない〜
 しばらく硬直していると、規則正しい息遣いが聞こえてきた。
「え、レノ様……?」
 恐る恐る呼びかけるが返事はなく……、これって……。
「寝てる……?」
 先程よりもレノ様の熱と重さが、肩にのしかかってくる。
「れ、レノ様っ、起きてくださーいっ」
 必死に声をかけるが、一向に目が覚める気配がない。
(ど、どうすればいいの――!?)

 しばらく動けないでいると、突然テラスの扉が静かに開いた。
「あ……、グレイさん!」
 現れたのは、レノ様を捜していたらしいグレイさんだった。いつも冷静な彼だが、こちらに気付き目を見開く。

「殿下はこちらにいらっしゃったのですね」
「は、はい。私一人ではどうすることもできず、来てくださって助かりました……」
「殿下が酔って寝てしまうとは、大変珍しい。……貴方様には、気を許していらっしゃるのでしょう」
 グレイさんは手際よくレノ様の腕を持ち、自分の肩に担ぎ上げた。
「ん……、ぐ、グレイ……か……?」
 レノ様が薄く瞳を開ける。
「殿下、歩けますか? 部屋に戻りましょう」
「ん……」
「それでは、失礼します」
 グレイさんはレノ様を連れて宿の中へ消えていく。

 テラスには私一人残される。火照った身体には夜風の冷たさが、心地よく感じた。 

 

 昨夜は、一睡もできないまま朝を迎えることになった。
 瞼を閉じれば、レノ様が掛けてくれたガウンの温もりや香り、そして、肩に掛かった重さが鮮明に蘇ってしまい、眠りにつくことができなかった。
(どういう顔して、レノ様に会えばいいの……)
 身支度を整えた私は、緊張しながら馬車へと向かう。

「ティナ、おはよう。昨夜は良く眠れたかな?」
 馬車の前でレノ様と顔を合わせると、彼は至って普通の爽やかな笑顔で挨拶してくれる。昨晩、あんなにお酒を飲んで寝落ちした人と同一人物とは思えない。

(……もしかしたら、覚えてないのかな……?)
 そう思うと、ほっとしたような、残念なような複雑な気分になる。

「お、おはようございます……」
 挨拶を返すと、レノ様はこちらに近づきそっと私の頬に触れた。
「……!?」
「クマができているね。寝不足かい?」
 レノ様は心配するように目を細め、私の顔を覗き込む。
「あっ、それは、えっと……」
 私は言い淀みその視線から逃れるように顔を伏せると、頭上からレノ様の囁きが降ってきた。

「……昨夜のことは、忘れろ」
(え……?)
 驚いて顔を上げると、彼はふいと顔を背けた。どこか照れているような、バツの悪そうな表情をしている。
(それって、全部……覚えてるってことよね……?)

「……はい」
 私が小声で答えると、レノ様は安心したのか小さく息を吐いた。

(――でも、きっと忘れられないわ……。ごめんなさい、レノ様)
 月光に照らされたあの横顔や、切なげな黒い瞳。肩に感じた温かさや、優しい香り。
 心が震えて、私は胸の前でぎゅっと手を握りしめた。

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