親友に婚約者を奪われた毛虫令嬢は、腹黒王子様に捕獲されてしまった〜この溺愛からはきっと逃れられない〜

21 まるで分身のようで(2)

 食堂の女将さんに空箱をもらい、空気穴を開け簡易虫籠を作り、そこにクマケムシを入れる。
 クマケムシを『クマちゃん』と名付けた。クマちゃんは箱の中で、辺りを確認するかのようにゴソゴソと動き回っている。
(クマちゃんの食料が必要よね……)

「ねぇ、シエンナ。ちょっとクマちゃん、見ててくれる? 私、お庭からクマちゃんの食料を調達してくるわ」
 シエンナに声をかけると、彼女は一瞬飛び上がり慌てた口調で言った。
「ひ……っ、わ、私がケム、ケムシを……っ⁉ いえいえ、お嬢様! 私が採って参りますっ!」
「え? でも、自分で探したいわ。お願い、クマちゃんのこと見ててね」
「……はい、しょ、承知……いたしました……」
 シエンナはなぜか顔を強張らせている。
「どうかしたの?」
「いえ! なんでもございませんよ!」
 シエンナは笑顔を返してくれるが、引きつっているような……。疑問に思いつつも、私は宿屋の中庭に向かった。


 毛虫の観察はしていたが、実際に飼育するのは初めてだ。どんな植物がいいのだろう。
 中庭にはラベンダーが咲き誇り、風が吹くと爽やか香りが鼻先をかすめていく。その香りに包まれながら植物を見て回っていると、ふいに後ろから声をかけられた。

「ティナさん、何してんのー? 探し物? 廊下から見えたからさー」
 入浴からの帰りだろう、髪を濡らし首にタオルを掛けた姿のクリフさんだった。

「あ、わざわざ来てくださったんですか? すみません。実はクマケムシを飼育することになりまして、その子の食料を調達しようと思っているんです」
「え、マジ? ははっ、よくやるなー」
 クリフさんは笑ったあと、屈んでそっと草むらに手を伸ばす。

「クマケムシなら、何でも食べるからさー。野菜のクズとか、このヘラオオバコとかでもいいよー」
 庭に生えていた雑草をむしってくれた。
「へぇ、そうなんですね……。詳しいんですね!」
 私が感心していると、クリフさんは苦笑いをする。
「俺、これでも一応、蝶学者の助手なんだけどー?」
「あ、そうでした。家政夫さんではなかったんですよね」
「ティナさん、酷いなー。ま、自分でもたまに本業が分からなくなるけどさー」
 そう言ってクリフさんは明るく笑ったので、私も釣られて笑う。その時、ふと映像が脳裏を掠める。

(……あれ? どこかで……)
 中庭で草をいじるクリフさんに既視感を覚えた。
(前にも、クリフさんをどこかで見かけたような気がしたのだけど……、どこだったかしら……? あ……)

「……ビーン男爵邸……?」
 私が呟くと、クリフさんは顔を一瞬強張らせたが、すぐにいつもの陽気な笑顔に戻る。

「どうしたの? ビーン男爵邸って?」
「いえ、何でもないです。すみません」
 私は手を振って誤魔化す。
 ケイシー様とまだ仲が良かった頃に、何回かお屋敷にお呼ばれしたことがあった。その時に長身で銀髪の青年を庭で目撃した記憶が蘇った。
(でも、ケイシー様のことは思い出したくないわ……)

「じゃあ、葉っぱはこれくらいあればいいかなー?」
 クリフさんは数種類の葉っぱを採って、私に手渡してくれる。
「あ、ありがとうございます。助かりました」
「いーえ。それじゃあねー」
 ひらひらと手を振って建物の中へ消えていった。


「あ、クマちゃんと、シエンナが待ってるわね。早く戻らなくちゃ」
 私は両手に草を抱え、宿屋の廊下を急いで歩いていく。角を曲がったところで、何か影のような物にぶつかりそうになった。

「ひゃっ!?」
 突然肩を押され、冷たい壁が背中に当たる。逃げ道を塞ぐように両脇に手が置かれた。
 驚いて見上げると、レノ様が冷ややかな表情でこちらを見下ろしていた。

「え? レノ様……、どうしたんですか……?」
「……随分楽しそうだったな。あいつ――クリフと、何を話していた?」
 地を這うような低い声に驚いて、身体が硬直する。
(……レノ様、何か怒ってる……?)

「クマちゃん……、あ、クマケムシをクマちゃんと名付けたんですけど、クマちゃんの食べ物を教えてもらっていたんです……」
「……あんな無防備な顔を、他の男に見せるな」
 レノ様がぼそっと何かを呟いたが、小さくてよく聞き取れない。

「あの……?」
 次の瞬間、レノ様の指先が私の頬に触れた。スッと首筋へと、まるで獲物を品定めするかのようにゆっくりと滑っていく。その感触に驚き身体をよじる。
「れ……、レノ様……っ」
 彼の顔が、息がかかりそうなほどの距離に近づいてきた。

「……おまえが毛虫だとしたら、俺は捕獲して、誰にも触れさせないように虫籠に閉じ込めて、……一生逃さないだろうな」

 闇のように深い瞳の奥に狂気じみた色が揺らめいている。ゾクッと背筋が凍るのに、その瞳に囚われて目を逸らせない。心臓が痛いほど激しく胸の奥を打ち付ける。

「――なんてねっ」
 彼はパッと私から離れ、一転キラキラした笑顔を見せた。

「冗談だよ。君があんまり毛虫ばかり考えているから、少し意地悪したくなったんだ」
 そう言って頭をぽんぽんと叩くと、何事もなかったかのように身を翻し去っていった。

(いやいやいや、今の本気な顔でしたよね!? レノ様――!?)
 
 私の足はガクガクと震え、その場に座り込んだ。心臓はまだ早鐘を打っている。

(これは……恐怖……? それとも……)
 熱くなった顔を押さえながら、私はしばらくこの場から動けなかった。
 
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