殿下、もう何もかも手遅れです
3 宴の後
ロザリンデは屋敷のバルコニーにひとり立ち、夜空を見上げていた。
どれほど地上の人間たちが醜い争いを繰り返していても、空はいつだって変わらず、美しいまま。
全てが終わった。陛下が恐れた王朝交代は現実のものとなってしまった。
(それを止められなかった私は、不忠者だわ)
こうなる時の備えはしておいた。しかしこうなることを望んではいなかった。
そのためにこの一年、ロザリンデは、表向きでもアドルフォスを王太子らしく仕立てようと全力を尽くしていた。
全ては陛下──幼き頃に、その英邁さに憧れ、慕った賢き主君との約束を守るために。『すまない』。
陛下は、はっきりと自分の息子の向こうに見えた、エルゾークに謝ったのだ。
自分が志半ばで死ぬことで起こるであろう様々な問題の処理を押しつけ、ひとり逝くことを。生涯でただひとり、心を許した竹馬の友に。
「──お嬢様。ヒューレル様という方が、いらっしゃっています」
その時、メイドがそう告げた。
「ヒューレル様が?」
「いかがいたしますか?」
「……ここへお通しして」
「かしこまりました」
ヒューレル・マインツ。
マインツ公国の次男。マインツ公国はつい数十年前に、帝国の頸木から逃れ、独立した小国。領地は小さいが、魔導具の技術では抜きんでおり、それによって帝国からの独立を勝ち取ったのだ。
彼は今、身分を問わぬこの国の統治を学びに留学に来ていた。
この一年間、何かと彼と話す機会は多く、その時間はアドルフォスとのやりとりに自分でも知らず知らずのうちに摩耗していった心のよすがとなっていた。
この人の十分の一でもアドルフォスがまともになってくれさえすれば、形ばかりの王だとしても即位することができるかもしれない。
何度そう思ったか知れない。
王になりさえすれば、いつか時流が変わり、再び王家の輝く時代を築くことができるかもしれない、と。
『身分問わぬ国の先にある繁栄を学びにきました』
入学して早々、感慨の席上で私にそう告げた彼は、大聖堂での醜い争いを目の当たりにし、何を思っただろう。
(私であれば、すぐにでも国へ戻りたくなるわね)
もしかしたら、別れの挨拶かもしれない。
だとしたら律儀ね、とロザリンデはひとり微笑む。
「──夜分遅く申し訳ありません。お疲れだったでしょうにお時間を作って頂き、ありがとうございます」
「構いません。ちょうど誰かと話したがったところですから」
「そちらへ行っても?」
「どうぞ」
バルコニーで、ロザリンデはヒューレルと肩を並べる。
「宰相閣下は?」
「ひとまず小康状態を保っております」
「それは僥倖《ぎょうこう》」
「公子様。今日のことを良き反面教師としてくださいませ。どれほど時間をかけ、細心の注意を払い組み上げても、壊れる時は一瞬、と」
「だが、あなたにはそれさえ全て予測済みでは?」
「それは買いかぶりすぎですわ」
「そうでしょうか」
ヒューレルは探るような眼差しを向けてきた。
「どういう意味ですか?」
「あの場で、宰相閣下が全てを差配したようにあなたは語られた」
「ように、ではなく、事実です」
「嘘では無いが、完全な真実でもない。数々の政策を実行に移されたのは閣下でしょう。しかし閣下にそうするよう提案なさったのは、あなた、では?」
「私は、意見を求められたので答えたまでです。私の考えを容《い》れ、実行に移したのは父です」
「どこまでも謙虚ですね。しかし、次の王になるのであれば、それでは駄目ですよ。臣下の立場から統治者になるのですから、全てを変えていかなければ。そうでなければ、この国の全ての民の父母になることはできませんよ」
「次の王だなんて。笑えぬ冗談ですね」
「……魔石の流通を完全に押さえたあなたは我が国から大量の魔導具武器を密かに輸入された。さらに辺境の蛮族を殲滅した精鋭は公爵家に絶対的な忠誠を誓っている。そしてその部隊は辺境を密かに離れ、王都へ進軍中。一両日中には都を包囲できるでしょう。葬儀に参列するために全ての貴族が集まっている都を。大貴族たちは、宰相が倒れた今、あなたをただの小娘と侮り、次の国王になるという野心を隠さず、大勢の貴族たちを口説き落とすために夜通しのパーティーの真っ最中。自分たちが茹でガエルになっているとも知らずに……。あなたのことだ。リノア王国にはもう手は回しているのでは? 彼らを一体どんな手段で味方に付けたのですか?」
「簡単です。リノアからすれば、帝国と対立し、いつ戦争になるか分からない今、重要な貿易国である我が国が内乱で混乱することは望ましくない。私なら、容易にまとめられる……そう告げ、計画の一部を示したのです」
「素晴らしいな。ますます惚れ惚れしてしまう手腕だ」
「陛下がその命を燃やして慈しみ、愛したこの国を、己のことしか頭にない無能な王太子や、衆愚な貴族たちの野望で乱すわけにはいきませんから」
ロザリンデは静かに微笑んだ。
「大陸で数少ない女王を戴く国……。となれば、王配が必要になりますね。私が立候補しても構いませんか?」
「気の早い」
「公国は商人気質と言われていますからね。この国の衆愚な貴族から王配を選びより、お薦めだと自負しております。次男ですし、魔導具技術にも通じている」
「──そして、あなたは我が国の力を背景に、祖国を手に入れる、と?」
「何を……」
それまで余裕の笑みをたたえたヒューレルが虚を突かれた顔をする。
「我が国にも優れた諜報員はいるのですよ。あなたは祖国では母親の出自で散々、馬鹿にされ、虐げられてきたことを知らないとでも?」
ヒューレルは大きな笑みを浮かべた。
「素晴らしい。あなたほど聡明な方の伴侶になれれば、どれほどいいだろう。私と手を組み、大陸を席巻しませんか?」
「それは面白いお考え、ですわね。一考の余地はありそうだわ」
「考えてみて下さい。女王陛下」
ロザリンデと、ヒューレルは互いに腹に一物を抱えた微笑を静かに交わした。
……無血革命の果てにストリーク王朝を倒して成立したヴィローワ王朝は初代である女王の時に大陸に覇を唱えることになるが、それはまた別のお話。
どれほど地上の人間たちが醜い争いを繰り返していても、空はいつだって変わらず、美しいまま。
全てが終わった。陛下が恐れた王朝交代は現実のものとなってしまった。
(それを止められなかった私は、不忠者だわ)
こうなる時の備えはしておいた。しかしこうなることを望んではいなかった。
そのためにこの一年、ロザリンデは、表向きでもアドルフォスを王太子らしく仕立てようと全力を尽くしていた。
全ては陛下──幼き頃に、その英邁さに憧れ、慕った賢き主君との約束を守るために。『すまない』。
陛下は、はっきりと自分の息子の向こうに見えた、エルゾークに謝ったのだ。
自分が志半ばで死ぬことで起こるであろう様々な問題の処理を押しつけ、ひとり逝くことを。生涯でただひとり、心を許した竹馬の友に。
「──お嬢様。ヒューレル様という方が、いらっしゃっています」
その時、メイドがそう告げた。
「ヒューレル様が?」
「いかがいたしますか?」
「……ここへお通しして」
「かしこまりました」
ヒューレル・マインツ。
マインツ公国の次男。マインツ公国はつい数十年前に、帝国の頸木から逃れ、独立した小国。領地は小さいが、魔導具の技術では抜きんでおり、それによって帝国からの独立を勝ち取ったのだ。
彼は今、身分を問わぬこの国の統治を学びに留学に来ていた。
この一年間、何かと彼と話す機会は多く、その時間はアドルフォスとのやりとりに自分でも知らず知らずのうちに摩耗していった心のよすがとなっていた。
この人の十分の一でもアドルフォスがまともになってくれさえすれば、形ばかりの王だとしても即位することができるかもしれない。
何度そう思ったか知れない。
王になりさえすれば、いつか時流が変わり、再び王家の輝く時代を築くことができるかもしれない、と。
『身分問わぬ国の先にある繁栄を学びにきました』
入学して早々、感慨の席上で私にそう告げた彼は、大聖堂での醜い争いを目の当たりにし、何を思っただろう。
(私であれば、すぐにでも国へ戻りたくなるわね)
もしかしたら、別れの挨拶かもしれない。
だとしたら律儀ね、とロザリンデはひとり微笑む。
「──夜分遅く申し訳ありません。お疲れだったでしょうにお時間を作って頂き、ありがとうございます」
「構いません。ちょうど誰かと話したがったところですから」
「そちらへ行っても?」
「どうぞ」
バルコニーで、ロザリンデはヒューレルと肩を並べる。
「宰相閣下は?」
「ひとまず小康状態を保っております」
「それは僥倖《ぎょうこう》」
「公子様。今日のことを良き反面教師としてくださいませ。どれほど時間をかけ、細心の注意を払い組み上げても、壊れる時は一瞬、と」
「だが、あなたにはそれさえ全て予測済みでは?」
「それは買いかぶりすぎですわ」
「そうでしょうか」
ヒューレルは探るような眼差しを向けてきた。
「どういう意味ですか?」
「あの場で、宰相閣下が全てを差配したようにあなたは語られた」
「ように、ではなく、事実です」
「嘘では無いが、完全な真実でもない。数々の政策を実行に移されたのは閣下でしょう。しかし閣下にそうするよう提案なさったのは、あなた、では?」
「私は、意見を求められたので答えたまでです。私の考えを容《い》れ、実行に移したのは父です」
「どこまでも謙虚ですね。しかし、次の王になるのであれば、それでは駄目ですよ。臣下の立場から統治者になるのですから、全てを変えていかなければ。そうでなければ、この国の全ての民の父母になることはできませんよ」
「次の王だなんて。笑えぬ冗談ですね」
「……魔石の流通を完全に押さえたあなたは我が国から大量の魔導具武器を密かに輸入された。さらに辺境の蛮族を殲滅した精鋭は公爵家に絶対的な忠誠を誓っている。そしてその部隊は辺境を密かに離れ、王都へ進軍中。一両日中には都を包囲できるでしょう。葬儀に参列するために全ての貴族が集まっている都を。大貴族たちは、宰相が倒れた今、あなたをただの小娘と侮り、次の国王になるという野心を隠さず、大勢の貴族たちを口説き落とすために夜通しのパーティーの真っ最中。自分たちが茹でガエルになっているとも知らずに……。あなたのことだ。リノア王国にはもう手は回しているのでは? 彼らを一体どんな手段で味方に付けたのですか?」
「簡単です。リノアからすれば、帝国と対立し、いつ戦争になるか分からない今、重要な貿易国である我が国が内乱で混乱することは望ましくない。私なら、容易にまとめられる……そう告げ、計画の一部を示したのです」
「素晴らしいな。ますます惚れ惚れしてしまう手腕だ」
「陛下がその命を燃やして慈しみ、愛したこの国を、己のことしか頭にない無能な王太子や、衆愚な貴族たちの野望で乱すわけにはいきませんから」
ロザリンデは静かに微笑んだ。
「大陸で数少ない女王を戴く国……。となれば、王配が必要になりますね。私が立候補しても構いませんか?」
「気の早い」
「公国は商人気質と言われていますからね。この国の衆愚な貴族から王配を選びより、お薦めだと自負しております。次男ですし、魔導具技術にも通じている」
「──そして、あなたは我が国の力を背景に、祖国を手に入れる、と?」
「何を……」
それまで余裕の笑みをたたえたヒューレルが虚を突かれた顔をする。
「我が国にも優れた諜報員はいるのですよ。あなたは祖国では母親の出自で散々、馬鹿にされ、虐げられてきたことを知らないとでも?」
ヒューレルは大きな笑みを浮かべた。
「素晴らしい。あなたほど聡明な方の伴侶になれれば、どれほどいいだろう。私と手を組み、大陸を席巻しませんか?」
「それは面白いお考え、ですわね。一考の余地はありそうだわ」
「考えてみて下さい。女王陛下」
ロザリンデと、ヒューレルは互いに腹に一物を抱えた微笑を静かに交わした。
……無血革命の果てにストリーク王朝を倒して成立したヴィローワ王朝は初代である女王の時に大陸に覇を唱えることになるが、それはまた別のお話。
