優秀な後輩で私も嬉しく思うので、どうぞ『先輩離れ』してください
苦手な後輩と再会しました

「29歳、おめでとう。…私」

 深夜0時を告げるスマホの無機質なアラームを止める。
 視界にあるのはケーキではなく、書きかけの企画書が映されたモニターと少し伸びたカップ麺。20代最後の誕生日がこんなにも静かでジャンクな匂いに満ちているなんて、10代の頃の私に教えたら泣き出すかもしれない。

 私__白石(しらいし) 紗良(さら)は、飲料メーカーの企画部に所属している。
『努力は裏切らない』という言葉を信条に、新卒から7年間がむしゃらに走ってきた。合コンよりも市場調査、デートよりも競合分析。その結果がこの寂しいデスクの光景だ。

 ふう、と深くため息をついて麺を啜ろうとしたその時、フロアの入り口の自動ドアが開いた。

(こんな時間に誰?)

 夜遅くの来訪に薄く見悪さを感じるが、そんなことを言っている余裕はない。眠気も相まって顔を顰めながら振り返った私は、箸を止めたまま固まってしまった。

「……あ、やっぱりいた」

 聞き覚えのある、少し低くて透明感のある声。そこに立っていたのは、あまりにも場違いなほど整った顔立ちをした1人の男性だった。

「まだ居ると思ってましたよ。平気で残業しますもんね、先輩」

 心臓が嫌な音を立てて跳ねた。この、人を食ったかのような話し方。私の努力を値踏みするような視線。忘れたくても忘れられなかった記憶が、物凄い速度で鮮明に脳裏を過る。

「……一ノ瀬、くん?」

 一ノ瀬(いちのせ) (りょう)__彼は3年前、私が教育係を務めた新人だった。
 彼が入ってきてすぐの時、教育係を任されて意気込んでいた私は「分からないことがあったら何でも聞いてね。どんな些細なことでも大丈夫だから」と笑顔で声を掛けた。しかし、返って来たのは首肯のみ。その反応から、人付き合いが苦手なのかと思った私は、適度な距離感で関わることにした。正直、そこまで気にしていなかったし、個々の性格があるから得手不得手に関しては業務外のことを指摘しなかった。

 しかし、予想外だったのはここから。
 一ノ瀬くんは仕事が異常なほどできたのだった。順応も理解も早く、一度教えたことは完璧にできてしまう。それ故に何も聞いてこないし、逆に「ここ、こっちから仕上げた方が効率良いですよ」とアドバイスをしてくれるようになってしまった。

(先輩としての面目が丸つぶれじゃない)

 張り合いがあったのは最初の3カ月ぐらい。その後は、彼の実績に嫉妬することすらなくなった。
 私は私で、凄腕の教育係として色んな人から評価されたが、正直嬉しくなかった。基本的なこと以外何も教えてないし、むしろその成長は一ノ瀬くん自身の努力の結果だった。
 気づけば、彼に何となくの苦手意識をもってしまった。十分1人立ちできるようになった彼から段々と距離を取り、できるだけ意識しないようにしてきた。

 彼の仕事が、彼自身の力で行われていると周囲に知らしめるため。
 そして、自分の心の平穏のため。不当に良い評価を得ないようにするため。

 そんな彼が、大型プロジェクトで出来た特別部署に移動したのは1年前。
 新人の大抜擢に周囲は沸いたし、私も同僚に紛れて「おめでとう」と伝えた。しかし、内心はほっとしていた。

 これで本格的に離れられる。その安堵は、最後まで隠したつもりだった。
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