優秀な後輩で私も嬉しく思うので、どうぞ『先輩離れ』してください
タクシーを降りた瞬間、気持ちのいい夜風が頬を撫でる。でも心地よさよりも、隣にいる一ノ瀬くんの存在感が重くのしかかってくる。
タクシーが走り去るのを見送ってから彼を見上げれば、何でもない表情で見下ろされる。どうやら早々に開き直ったらしい。
「ふぅ…。はい、到着。私は帰るから、あとは自分でなんとかしてね」
これ以上、この酔っ払いに振り回されるのはごめんだった。飲み会だって、メンバーから変に生暖かい目で見つめられるせいで、どうにもお酒が美味しくなかった。この際だから、飲み直しでもしてから家に帰りたいところ。
それだけではない。長い夜を経て、もうこれ以上一ノ瀬君と深く関わるのは危険だと本能が告げている。
(『仮恋人』から先の決断を出すのは、もう少し後でも大丈夫。…時間はまだある)
踏み込まないためにも、踏み込ませないためにも、明確な線引きは必要だ。
そう判断して背を向けた瞬間、私の手首に熱い指先が絡みついた。
「待ってください」
驚きで振り返る間もなく、グイと引かれた勢いで私はバランスを崩し、彼の胸元に倒れ込むような形になる。ここは彼の住むマンションの前。変に注目を集めたくなくて、力任せに彼の胸板を押した。
「ちょっ、ちょっと……離して!」
必死に腕を突いて距離を取ろうとする私の動きを、腰に回された彼の腕が阻む。見上げれば、その瞳は驚くほどに澄み切っていて、底知れぬ熱を帯びている。
「…どこに行くんですか?」
「家に帰るの!」
「帰しませんよ」
耳元で囁かれる声の低さに、私の心臓は不規則に跳ねた。動揺が伝わってしまったのか、一ノ瀬君は笑みを深くする。
「今まで2回泊まってくれて、何もなかったでしょう? いいじゃないですか」
「なーにが『いいじゃないですか』よ! そういう言い方して、今までも女の子堕としてきたんでしょ?」
「僕への偏見、すごくないですか?」
どうやら、私も少なからず酔っているらしい。いつもは心の中で思うことも、スルスルと言葉になってしまう。彼は身に覚えのない偏見をぶつけられたせいか、少し眉を顰めた。
「…とりあえず、泊まっていきましょうよ。ほら、お酒もありますよ」
飲み直そうと思っていた頭は、お酒という言葉に過剰に反応する。
「お酒、あるの?」
「はい。ビールにワイン。日本酒に梅酒まで」
「……」
「2人で飲み直しましょうよ」
そこまで言われて断れるほど、今の自分は理性的ではなかった。