優秀な後輩で私も嬉しく思うので、どうぞ『先輩離れ』してください
「あんなに『行かないで』って顔してたのに、なんでそれを言ってくれなかったんですか。僕は……先輩のその物分かりの良さが嫌いです」
「し、してない……」
「してました。間違いなくしてました」
逃げ場のない距離で断言され、心の奥を見透かされたような気がして息が詰まる。
「先輩、どうしてですか?」
「それは……私たちの関係が『お試し』だから……。私には、あなたを縛る権利なんて…ない…じゃない」
私の言葉に、一ノ瀬君は隠しもせずに顔を顰めた。そして、深々とため息を吐かれる。
「はぁ…そんなことを気にしていたんですか?」
「そんなことって、!」
「……お試し期間、もう終わりにしませんか」
ゆっくりと、彼の手が私の頬に触れる。両手で包み込まれ、視線ごと閉じ込められる。
逃げ場はない。それでも、もう逃げたくなかった。
「先輩」
額が触れそうなほど距離を詰められ、息が混ざる。
「何度でも言います。僕を選んでください。仕事のパートナーじゃなくて……あなたの人生を独占する1人の男として」
その言葉に、胸が強く締め付けられる。
ふと頭をよぎるのは、あの約束だった。半年以内に答えを出すという、『仮恋人』のルール。
でも、そんなものに縛られている余裕なんて、もうどこにも残っていなかった。もう、彼が他の誰かと並ぶ姿を見たくない。想像するだけで息が詰まるほど苦しくなる。その気持ちから、もう目を逸らせない。
気づけば、頬に触れられた手に自身の手を重ねていた。逃がさないように、縋るように。
「……嫌……」
声が震える。けれど、止めなかった。ここで言わなければ、きっとずっと言えなくなってしまうから。
「一ノ瀬くんが……他の人と笑ってるのなんて、本当は見たくない……っ」
押し殺していた本音が、涙と一緒に溢れ出る。
その瞬間、彼の表情が変わった。今日初めて見る、余裕を取り戻した、そしてどこか獰猛で甘い笑み。
「私、一ノ瀬くんのことが好き」
「……ようやく言ってくれましたね」
低く満足げな声。
「もう、絶対に離しません」
次の瞬間、引き寄せられ、唇が重なる。逃げ場を完全に奪うような強さなのに、どこか確かめるような優しさが混ざっていた。夜の静寂の中で、その温もりだけがやけに鮮明に感じられる。
仮恋人という曖昧な関係も、半年という期限も、もう必要なかった。
言葉にしなくても分かるほど、互いの想いははっきりと重なっている。その事実だけが、何よりも確かな答えだった。