優秀な後輩で私も嬉しく思うので、どうぞ『先輩離れ』してください
 そんな会話をしながら、そのままソファへと促される。
 並んで座れば、さっきまでの緊張が嘘みたいに解けていくのに、隣にいる距離だけは妙に近いままだった。

「ち、ちかい…」
「そんな寂しいこと言わないでくださいよ」

 不敵に笑いながら見下ろされる。表情1つを取ってもズルい。恋心を自覚した私には、もう意識してしまう他なかった。

「…そんな可愛いことしてると襲いますよ」
「なっ!?」
「先輩のことを大切にしたいんですから、あんまり可愛いことしないでください」

 そんな言葉と共に、きゅっと手を握られる。最初は驚いたが、彼がそれ以上何かしてくることはないと分かり、私からもおずおずと握り返した。
 しばらくそうしていた時、不意に現実的な問いが一ノ瀬君の口から投げられた。

「先輩」
「なに?」
「明日から、どうします?」

 何を言いたいのかは、すぐに分かった。会社での距離、周囲の目、仮恋人だった関係のその先。それら全てのことを問われているに違いなかった。

 少しだけ考えてから、ゆっくりと口を開く。

「……別に、今までと変わらなくていいんじゃない?」
「えー」
「人前では、ちゃんと節度守りたいのは総意じゃないの?」
「…そうですけど」

 露骨に不満そうな声。隣を見れば、なかなかに嫌そうな表情の一ノ瀬君と目が合った。

「何その顔」
「2人きりの時はいいんですよね?」
「……それは」

 一瞬言葉に詰まると、すかさず距離を詰められる。

「いいんですよね?」

 逃げ場のない確認に、観念して頷くしかなかった。

「…いいけど、その、急すぎると色々追いつけかないから、…うん」

 しどろもどろになりながら答えれば、彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。

「…先輩、本当に可愛いですね。今までも可愛かったですけど、今日は飛びぬけてます」
「なにそれ。酔ってる?」
「アルコールは入ってますが、全然素面寄りです」

 こんなやり取りを通して、ふと思う。
 ああ、この人は最初からずっと、こうやって真正面から向き合ってきてくれていたんだと。逃げていたのは、自分の方だった。それを突き付けられたような気がして、どこか後悔と申し訳なさが胸を燻ぶる。
 それを知ってか知らずか、彼は私の顔を覗き込むようにして笑った。

「先輩」
「ん?なに?」
「これから、ちゃんと恋人ってことでいいですよね」

 改めて確認するような言い方に、少しだけおかしくなる。

「…今さら?」
「大事なとこなので」

 真面目な顔に戻って、じっと見つめられる。だから私も、今度は逸らさずに答えた。

「うん。今日をもって正式に恋人よ。よろしくね」

 その言葉を聞いた瞬間、彼の表情がふっと緩む。

「やっと言質取れた」
「言い方」

 呆れながらも、笑いが零れる。
 そのまま引き寄せられて、自然と体温が重なる。さっきまで感じていた不安も迷いも、もうどこにもなかった。

 静かな部屋の中で、同じ鼓動を分け合うみたいに寄り添いながら、私はそっと目を閉じる。

 もう、『仮』なんかじゃない。

 隣にいるこの人を、ちゃんと好きだと胸を張って言える。

 それだけで、世界が少しだけ違って見えた気がした。
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