優秀な後輩で私も嬉しく思うので、どうぞ『先輩離れ』してください
 最初に入ったのは、通り沿いの小さなカフェだった。窓からやわらかな光が差し込んで、コーヒーの香りがゆっくりと漂っている。軽く食事をしながら、他愛もない話をして笑い合う。その何気ないやり取りが、なぜかいつもより心に残った。

 店を出てからは、あてもなく街を歩いた。気になった店にふらりと入って、また外に出て、そんなことを繰り返す。
 雑貨屋に立ち寄った時、棚に並んだ小さなクマのキーホルダーが目に留まった。「これ、お揃いにしませんか?」と言いながら、一ノ瀬君はキラキラした目を向けてきた。それがどうにも可愛らしくて笑って頷いた。そのささやかなやり取りが、確かな形のある思い出になった気がした。

 午後は映画館へ向かった。暗い館内で同じスクリーンを見つめながら、隣にいる気配をそっと感じる。時々笑うタイミングが重なったり、静かな場面で同じように息を潜めたりする。その些細な一致が、言葉にしなくても通じ合っているようで嬉しかった。

 映画を観終わった後は、少し遠回りをして公園に向かった。夕暮れの空はゆっくりと色を変え、オレンジから淡い紫へと溶けていく。並んで歩きながら、何でもない話を続ける。その時間が静かに流れていくのがただ心地よかった。

 特別なことをしているわけじゃない。それでも、隣に彼がいるというだけで目に映るすべてがいつもより鮮やかに見えた。街のざわめきも夕焼けの色もお揃いのキーホルダーさえも、やけに愛おしく感じられる。きっと後から思い返した時、今日という1日は大げさな出来事なんて何もないのに、不思議なくらい大切な記憶として残るのだと思う。そんな予感だけが、胸の奥に静かに灯っていた。
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