優秀な後輩で私も嬉しく思うので、どうぞ『先輩離れ』してください
 玄関の扉が閉まった途端、密閉された空間の静寂が私の鼓動をさらに際立たせた。
 何度も訪れたことのある彼の部屋。けれど、薄暗いリビングはまるで知らない場所に迷い込んだような錯覚を覚えさせる。

 いつもなら適当にソファに座るはずなのに、足がすくんで動けない。そんな私の迷いを見透かしたように、背後から一ノ瀬くんの腕が伸びて壁のスイッチを叩いた。温かな色の間接照明が、部屋の輪郭をゆっくりと浮かび上がらせる。ようやく見覚えのある場所になったそこに、小さな安堵を覚えた。

「飲み物、何がいいですか?」
「ぉ、お茶もらっていい?」
「分かりました。ほら、いつもみたいに寛いでいてくださいよ」

 そう言われても動けない私を見て、一ノ瀬君はクスリと笑う。

「大丈夫です。何もすぐに襲う気はありません」
「………」
「だから、そんな物欲しそうな目をしないでくださいよ。我慢できなくなります」
「……期待してるの、一ノ瀬くんだけだと思わないでよね」

 精一杯の返しをすれば、彼がピクリと震えたのが見えた。目が据わった彼は、それを隠すかのように目を細めた。

「へぇ~…。なるほど。先輩は優しくされたくないと」
「どうしてそうなるのよ」
「いや、そういうことでしょう」
「何が?」

 首を傾げれば、顔を顰めたまま長くため息を吐かれる。
 なんかこの反応に既視感がある。以前、彼の家にお邪魔した時にも見た。

「シャワーだけ浴びてきていいですか?」
「え、うん…」
「ちょっと待っててくださいね」

 彼はお茶を運んできてくれた足で、そのまま浴室に向かった。
 1人で残された私は彼が何に呆れたのか分からないまま、静かに首を傾げたのだった。
 
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