優秀な後輩で私も嬉しく思うので、どうぞ『先輩離れ』してください
 そんなことを思いながら、嬉しそうに笑う彼を見る。こんなに喜んでくれるとは思わなかった反面、彼なりにずっとアピールしてくれていたのだということに今更気づく。

「あ、そうだ。もし一ノ瀬君が無理だと思った時も、遠慮なく伝えてね」
「そんな時は無いので安心してください」
「いやいやいやいや」
「………ふーん」

 先ほどの笑顔とは打って変わった表情。不機嫌極まりない圧に困惑していると、グッと顔を近づけられる。

「先輩、あんまり笑えない冗談を言うようなら、物理的に言えなくしますよ」
「へ?」

 間の抜けた声が漏れた瞬間、彼の指先がそっと私の唇に触れた。

「……っ!」

 軽く、押さえるだけ。けれどそれだけで、心臓が跳ね上がる。
 街灯の白い光の下で、彼の影が近づく。逃げようと思えば逃げられる距離なのに、体が言うことをきかなかった。

「今みたいなこと、もう言わないでください」

 低い声が、すぐ近くで落ちる。

「僕が先輩に対して無理になることなんてありません。いいですか?次はないですからね」

 口調は冗談めかしているのに、目が笑っていない。不穏すぎる言葉に頷くしかなかった。

 唇から指が離れた瞬間、ようやく息ができる。

「……物理的って、そういうこと?」
「気になるなら、やってみせましょうか?」
「やらなくていい!!」

 思わず肩を押すと、彼はクスっと笑った。
 余裕そうな態度が癪だけど、恋愛方面には疎い自覚があるため大人しく引き下がっておく。

「安心してください。嫌がることはしませんよ」
「今、十分心臓に悪いことにしてくれたわよ」
「じゃあ、慣れてください」

 さらりと言ってのける。
 慣れるって何に。こんな距離感に?こんな甘い空気に?

 顔が熱い。きっと赤くなっている。
 見られたくなくて視線を逸らすと、彼は少しだけ距離を取ってくれた。

 ほんの数センチ。それでも空気が冷えて、寂しくなるのが悔しい。
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