優秀な後輩で私も嬉しく思うので、どうぞ『先輩離れ』してください

「それ、プロジェクトの資料だよね。何かあった?」
「……昨日のデータの件で相談したいことがあるんです。少しよろしいですか?」

 辛うじて聞き取れた言葉に、私は小さく頷いた。彼はいつものように無駄のない動きで資料を広げ、私のデスクの上に並べていく。整ったレイアウト。分かりやすく整理されたグラフ。
 視線を落とすと、ようやく少しずつ情報が頭に入ってきた。

(ああ……見やすい資料だな……)

 ぼんやりと、そんなことを思う。

(私よりも、何倍も)

「ここ、競合B社の販促スケジュールと照らし合わせると、少し修正が必要かもしれません。僕の方でシミュレーションを回してみたんですが……」

 淡々と説明する声。その内容は、きっと的確だ。

「……先輩? 聞いていますか?」

 透き通るような声が、耳を通り過ぎていく。いつもなら、彼の鋭い指摘に「なるほど、それならこうしましょう」と即座に返せるはずなのに。今の私には彼の言葉が、自分の無能さを突きつける宣告のようにしか聞こえなかった。嫌な思考が、ぐるぐると頭の中を回り続ける。

(ああ、黙りこくるのが一番良くないのに)
(何か返さないと。そうしないと、私の無能さが、)

 彼の話に頷こうとする。けれど、首が鉛のように重い。

 その瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。デスクの端が、まるで水面に映る景色のように揺れている。

「先輩? 顔色が……」

 一ノ瀬くんの声が、水の中にいるように遠くなっていく。彼の手が、私の肩に触れようとしているのが分かった。けれど、それと同時に視界の端から黒い闇がゆっくりと広がり始める。

「……大丈夫、よ。ちょっと、頭が……」

 立ち上がって、その場を離れようとした瞬間だった。足元から地面が消えたような感覚。平衡感覚が完全に崩れ、身体が重力に引かれるまま斜めに傾いていく。

「__先輩!大丈夫ですか!?」

 一ノ瀬くんの焦燥に満ちた叫び声が、最後に耳に残った。受け止めようとする彼の腕が視界に入る。けれど、それを掴む力すら、もう残っていない。

 私の意識は無抵抗なまま、深い闇の底へと静かに沈んでいった。

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