優秀な後輩で私も嬉しく思うので、どうぞ『先輩離れ』してください
 食べ終わるころには、外もすっかり暗くなっていた。
 食器を洗う音と時計の針の進む気配だけが静かに部屋に残っている。落ち着いた夜の空気がゆっくりと広がっていった。温かかった食卓の余韻が、少しずつ静けさに溶けていく。

「そろそろ送ります」

 その一言に、ふっと現実に引き戻される。さっきまでの穏やかな時間が、そこで一区切りついたような気がした。

「ううん、そこまでしてもらったら悪いよ。自分で帰れるから」

 できるだけ軽く、いつも通りの調子で返したつもりだった。これ以上世話になるのは気が引けるし、何よりこれ以上一緒にいると、変に意識してしまいそうで、

「駄目です」

 そんなことを考えていたが、きっぱりと拒否の言葉が返ってくる。

「なんで」
「心配なんですよ」

 あまりにもまっすぐな言葉に、一瞬言葉を失う。冗談でも遠回しでもなく、本当にそう思っているのが伝わってきた。一ノ瀬君が食器を洗ってくれていて良かったと思った。顔が見える状況でそんなことを言われたら、誤魔化しが効かなかったことだろう。
 なんて返すべきか分からず、とりあえず動揺を誤魔化して口を開いた。

「……お、大げさじゃない?」
「そう思うなら、それでいいです。でも送りますからね」

 言い方は淡々としているのに、譲る気はまったくないらしい。小さく息を吐いて、観念する。

「わ、分かったわよ」

 そう答えると、後ろから水の音が止まった。

「じゃあ、ちょっと待っててください」

(……本当に、送ってくれるんだ)

 当たり前みたいに言っていたけれど、そのことがじわじわと実感になってくる。自分のために時間を使ってくれていることが、少しだけくすぐったくて、同時に嬉しいと思ってしまう。

「お待たせしました」
「ううん」

 立ち上がろうとすると、さっきよりも体が軽くなっているのに気づいた。それでも完全ではないため、少しだけ慎重に足を動かす。

「無理しないでくださいね」
「ありがとう」

 もう何度もかけられた心配の言葉。過保護にさえ思えるそれが、何とも嬉しかった。
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