優秀な後輩で私も嬉しく思うので、どうぞ『先輩離れ』してください
 数時間後。

「ちょっと、一ノ瀬くん! しっかりして!」

 つい先ほどまで軽やかに場を回していた彼とは思えないほど、一ノ瀬くんはぐったりと私の肩に体重を預けてきた。長身の体がそのままのしかかってくるせいで、支えるこちらの足元まで危うくなる。店の外に出て冷たい夜風に当たっても、酔いが覚める気配はまるでない。

「……ん、先輩……世界が回ってます……」
「飲み過ぎよ」

 呆れながらも、私は彼の長い腕を自分の肩に回し、なんとか体勢を立て直す。酔った勢いとはいえ遠慮なく寄りかかってくる重さに、思わず小さく息が漏れた。ふらつく足取りを引きずるようにして歩きながら、道端でタクシーを止める。

 背後では集まった同僚たちが、いかにも面白そうにこちらの様子を眺めていた。

「……誰か一緒に乗ってあげて」
「いやいやそんな」
「それは白石さんの担当じゃないですか」

 軽口混じりのやり取りに思わず眉が寄る。どうやら、さっき彼が埋めていた外堀がしっかり効いているらしい。誰も助ける気配がないのを見て、私は小さくため息をついた。

 これ以上ここでやり取りを続けても仕方がない。観念してタクシーのドアを開け、彼を後部座席へ押し込もうとする。ところが、一ノ瀬くんはドアの縁に手をかけたまま、大人しく乗ろうとしなかった。

「先輩も、一緒に帰りましょうよ…。1人じゃ帰れません……」

 潤んだ瞳でじっと見上げてくる。その視線は妙に庇護欲を掻き立て、ほんの一瞬だけ言葉に詰まる。

「何言ってるの。私は私の家に帰るわよ」

 すぐに気を取り直して突き放すように言えば、彼は露骨に不満そうな顔をした。子どもじみた仕草に、余計に面倒くささが増す。

「白石さん。そのまま一緒に帰ってあげたらどうですか?」
「そうよ。たまには後輩の可愛いお願いを聞いてあげたら?」

 間髪入れずに飛んでくる外野の声に、反論する隙もないまま背中を押される。気づけば半ば強制的にタクシーの車内へと押し込まれていた。

 バタン、と無情に閉まるドア。窓の外では、同僚たちが妙に清々しい笑顔で手を振っている。完全にしてやられた、という感覚だけが残った。

 諦めて運転手に行き先を告げ、車を出してもらう。静かに走り出した車内には、さっきまでの喧騒が嘘のような静寂が流れていた。

 私はため息と共に、隣に座る酔っ払いをじろりと睨みつける。

「はぁ…酔っ払いめ」

 ぼそりと零した独り言、のはずだった。

「本当、悪酔いする後輩って良くないですよね」

 あまりにもはっきりとした声音が返ってきた。
 思わず目を見開く。さっきまであれほどぐったりしていたはずの彼は、すでにいつもと大差ない様子で窓の外を眺めていた。呼吸も視線も、どこまでも落ち着いている。その横顔には、わずかに口角を上げた、満足げな笑みが浮かんでいた。

 そこでようやく彼の名演技に騙されたことに気づいたのだった。

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