アンコールはリビングで
バスの中でスタイリストから衣装を受け取る。

これから撮影するのは山登りのシーンだが、役柄上、機能性重視のアウトドアウェアではなく、あくまで「街着の延長にあるような、スタイリッシュな軽登山スタイル」だ。
高級ブランドのナイロンジャケットに、細身のクライミングパンツ。
機能性は最低限だが、画としては完璧に映える。

今日はドラマの中盤以降、物語が大きく動く重要なシーンの撮影だ。
それだけに、俺の気合いも朝から十分に入っている。

着替えを済ませ、ヘアメイクのスタッフに髪を整えてもらう。
風で崩れることを想定して、スプレーでしっかりと固める。

スタッフが退室し、鏡の前に一人になった瞬間。
俺は鏡の中の自分の瞳をじっと見つめた。

呼吸を整える。

凪の笑顔も、昨日の晩ごはんの味も、一度頭の隅へ追いやる。
冷徹で、合理的で、でも不器用な男、佐伯怜司を呼び起こす。

「……よし、いくか」

スイッチが入った。

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