アンコールはリビングで
何を期待しているんだ、俺は。

たかが一度、音楽の話で盛り上がっただけの仕事相手だ。
仕事が終われば、それきりの関係。それが当たり前だろ。

「早瀬くん、今回のサイン計画、評判いいぞ」

「ありがとうございます、部長」

上司の賛辞にも、心は上の空だ。

合理的で無駄を嫌うはずの俺が、こんなにも非合理的な感情に振り回されていることに、自分でも驚いていた。

結局、内覧会が終わるまで、彼女と話すことはおろか、姿を見つけることすらできなかった。
俺は少しの落胆と、それを打ち消すような苛立ちを抱えながら会場を後にした。

(……ま、いいさ。今夜がある)

今夜は駅前の広場で合同ライブがある。
彼女は「絶対行きます!」と言ってくれた。あの真っ直ぐな瞳を信じたい。

俺は駅近くのネットカフェに入り、個室の狭い鏡の前で、窮屈なスリーピースを脱ぎ捨てた。
「早瀬湊」という役職を脱ぎ、ただの「湊」に戻る時間だ。

ラフなパーカーとデニムに着替え、ギターケースを背負うと、俺は夜の街へと繰り出した。

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