アンコールはリビングで
「……わ。珍しい」

「え?」

「早瀬くん、緊張してる? なんか顔怖いよ?」

歩きながら俺の顔を覗き込んだ凪さんが、クスクスと笑った。

指摘されて初めて、自分が無意識に奥歯を噛み締めていたことに気づく。

「……自分から挨拶させてほしいってお願いしといて何ですけど……思いの外、緊張してるみたいです」

「ふふっ、あんなに大勢の前で堂々と歌ってる早瀬くんが……! なんだか新鮮だなぁ」

凪さんは面白がっているが、こっちは死活問題だ。

もし凪さんのお父さんが頑固親父で「こんな無職男と同棲?!娘はやらん!」とか言われたらどうする?

もしお母さんに「ミュージシャンなんて不安定な職業……やっていけるのかしら……」と難色を示されたら?

脳内でネガティブなシミュレーションが無限に再生される。
すると、不意に左手に温かい感触が触れた。

凪さんが、俺の空いている手をぎゅっと握り、自分の胸の前まで引き寄せたのだ。

「大丈夫」

彼女が俺を見上げ、春の日差しのように柔らかく微笑んだ。

「私が大好きな、嘘のないまっすぐな早瀬くんのこと、私の両親が気に入らないわけないよ」

ドクン、と心臓が大きく跳ねた。

「大好きな」と言われた嬉しさと、「まっすぐな」と評された気恥ずかしさが混ざり合い、緊張とは別のベクトルで胸が高鳴る。

「……凪さん」

「自信持って。私は、早瀬くんがいいの」

その一言で、身体中の強張りが嘘のように解けていくのが分かった。

ああ、やっぱりこの人には敵わない。

俺は彼女の手を握り返し、覚悟を決めて一歩を踏み出した。 

「……はい。行きますか」

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