アンコールはリビングで
「……紗希子」

低い声が、誰もいない部屋に溶けていく。

「あいつが……あの子たちが、しっかりと稼ぎ、自分で食っていける立派な社会人になることだけが、君への恩返しであり、誓いだったというのに」

宗一郎は、ぎゅっと目を閉じた。

「……私はあいつを、真っ当に育てられなかった。私では、あいつの『息継ぎの場所』には、なってやれなかった……」

家長としての怒りではない。

ただ、最愛の妻が遺した息子が、もし夢に破れて路頭に迷うようなことがあったらどうしようかという、不器用な親としての底知れない不安と恐怖。

自分がいなくても、子どもたちが食いっぱぐれることなく、しっかりと生きていけるようにと願うだけの、ただの父親の後悔。

宗一郎は、クローゼットに掛けられたスーツをもう一度だけ見つめた。
そして、それを捨てることなく、そっと扉を閉めた。

いつか、あの息子が成功するかわからない歌手という職業を諦めた時に。

また真っ当な道に戻れるように。

そんな日が来ないことを、心のどこかで微かに祈りながら。
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