アンコールはリビングで
「何言ってんの。一番大事なものが残ってるじゃない」

「……え?」

「湊自身だよ。私が好きになったのは、立派なスーツを着た湊でも、エリートの肩書きを持った湊でもないもん。……あの非常階段で、たった一人で歌ってた、そのままの湊だよ」

凪はそう言うと、少しだけ身を屈み込んで、俺の額にちゅ、と柔らかいキスを落とした。

触れた唇の柔らかな感触に、心臓が大きく跳ねる。

「だから、何もなくないよ。これから全部、自分の手で手に入れていくんでしょ?」

「……っ」

その真っ直ぐで力強い言葉に、胸の奥が激しく震えた。

ああ、敵わない。
この人は、俺が一番欲しい言葉を、一番欲しいタイミングで、迷いなく真っ直ぐに俺の心に届けてくれる。

俺を縛るものなんて、最初から何もなかったのだ。

俺が『早瀬湊』である限り、この人が隣で笑っていてくれる限り、俺はどこへだって行ける。

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