“ハズレ枠”の私を愛してくれたのは、あなたでした――忘れたふりをしていた恋の、その続き
第9章 二枚の航空チケット
―五年目のプロひよこ、毛並みはふかふか―
それぞれが受験に打ち込み、無事に合格した大学一年。
工学部と家政学部に進学したまなは学校こそ違えど頻繁に顔を合わせていた。
まなの家へ遊びにくることもあり、気がついたら家族公認の親友である。
大学に入って、まなは自分が場違いだと感じることが増えた。
笑って聞けない恋愛話が、平気でそこらに転がっている。
高校のとき交際経験があるにも関わらずキスもしていないことが、なぜか知られていた。
面白がられて「この人なら大丈夫」と紹介され、断れずに頷いた瞬間――唇を奪われそうになって、逃げた。
翌日、それが笑い話になっていた。
それ以来、誰とも付き合わなかった。
そうしたら今度は、「堅い女を落としてみせる」と息巻く男が寄ってきた。
人目のある場所で告白され、断れない空気に押されて、アパートへ連れ込まれそうになった。
必死で逃げて、近くの公園の女子トイレに閉じこもった。
外から怒った声が響く。
“困ったときは俺を呼んで”
その言葉を思い出し、震える手で海に連絡した。
誤字だらけでも、海は来た。
「大丈夫」
その一言で、まなは初めて息を吐けて、海の胸で声を上げて泣いた。
海に肩を抱かれながら外へ出ると、彼が待ち構えていて、海を見て一言「どうせその男も同じだ」と吐き捨てる。
海は彼をちらりと一瞥しただけで、特に何も言わずにまなが落ち着くまで傍に居てくれた。
彼のやさしさを利用している自覚はあった。
海がやさしくていい人だということを嫌と言うほど知っているからこそ。
陸の弟である彼とだけは、付き合えなかった。
陸の陰に囚われて、キスすら許せないことが変なのならば。
もう、恋愛なんて必要ない――そう思ってた。
だけど、運命は放っておいてはくれなかった。
高校一年、十六歳のあの二月。
あの日から止まっていた恋は――
五年の時を経て、ようやく動き出す。
大学三年の十二月。
高校の同窓会が開かれた。
高校三年の時に同じクラスだった海や託人に加え、典伽やたかちゃんなど、懐かしい顔ぶれが、大学で少し浮き気味なまなには泣きたくなるほど恋しかった。
「おー、まな!
こっち座れ!」
海が手をブンブン振ってアピールする。
「海とはずっと会っているから、あんまり久しぶりって感じしないね」
「確かに!」
笑いながら肩を抱こうとする海の手を、ぺしりと払い落とす。
分かっていたように、海はそれ以上踏み込まない。
一次会はあっさり終わり、二次会へ流れる。
会計を任されて、まなは最後に店を出た。
コンビニの明かりの下。
そこに、立っている人がいた。
黒いコートにチェックのマフラー。
癖一つない、サラサラの髪。
夜の暗さの中で、コンビニと街灯の明かりを受けて、浮かび上がるようにそこだけが鮮やかだった。
まなの視線に気がついて、彼がそっと目を上げる。
「……まな?」
五年経っても、変わらない声。
それだけで胸が詰まる。
「……陸くん」
名前を呼ぶと、息が白く揺れた。
「久しぶり」
精一杯、平坦に言う。
陸は少し迷うようにしてから、静かに頷いた。
「久しぶり……」
「……どうして、ここに?」
まなの問いに、陸がスマートフォンを見ながら答える。
「海に迎えに来いって言われて。
でも、連絡がなくて困ってたとこ」
「え……。
私最後に会計任されて出てきたから、もうみんな出てきてると思ってた」
まなが建物を振り返ってみるが、海の姿は見えなかった。
「まなは迎えは?」
陸の問いに、改めて時計を見た。
とっくに、終電は終わっている。
「……タクシー、かな」
ぽつりと呟く。
陸は一瞬だけ考えてから、言った。
「嫌じゃなければ、送るよ」
昔と同じ、真面目な目。
「迷惑じゃないかな。
ちゃんと自分で帰れるよ」
まなが遠慮して言うと、陸は心配だから、で押し切る。
結局まなは頷いた。
陸の、少しの押しの強さに時間の経過を感じる。
彼をちょっぴり強気にしてくれたのは、いつか見た彼女の存在なのだろうか。
「……海から連絡が来るまでの間、そこの公園に行かない?」
「うん……陸くんがいいなら」
断る理由が見つからず、まなは頷いた。
歩きながら、言葉が少なくなっていく。
公園の前で、陸が立ち止まった。
ブランコが、夜風に揺れている。
陸が、こちらを向く。
「まな。
……返事はいらない。
ただ、自分の中にしまっておけなかっただけだから、言わせるだけ言わせて欲しい」
陸が緊張を誤魔化すかのように、一拍置いた。
「……俺は、ずっと、高校三年のあの時から変わらずにまなだけを愛している。
まなが、例え今誰を好きだとしても……俺はまなが好きです」
まっすぐな、あの頃と変わらない告白だった。
返事はいらないと言われたけれど、今すぐに返事がしたかった。
――私もずっと、誰と付き合ってもあなたが忘れられなかったと。
その瞬間、スマートフォンが鳴った。
『ごめん兄ちゃん!
今どこ!?』
現実が、割り込む。
「……行こうか」
陸はそう言って、歩き出した。
一歩、遅れてついていく。
言えなかった言葉が、喉の奥に引っかかっていた。
店の前には海が一人で立っていた。
「おぉ! まなだ!
なに、兄ちゃん……まさか抜け駆け!?」
「……してない、たぶん」
兄弟のじゃれ合いを見つめながら、その後ろを付いて歩く。
海は酔っ払った同級生を介抱した後、タクシーに押し込んで来たらしい。
面倒見の良い彼らしい。
駐車場に着くと、海が助手席のドアを開けてくれた。
遠慮するが、まなはいいから黙ってここ!と言われると素直に座るしかない。
ぽんと背中を押してくれた彼の手は、震えていた。
海は後部座席に座ると、きっちりとシートベルトを締めたあとに、背もたれを倒してこてんと横になった。
その数秒後には穏やかな寝息。
まだ駐車場から出ていない、というかエンジンすら掛けていない。
いきなり来た擬似的な二人だけの空間が、また一気に気まずさを押し出してきた。
はっきりと二人きりならば告白の返事をしたのに、中途半端に海が居る分言いにくい。
というか言えない。
車は緩やかに発進し、道路へと出る。
先の赤の信号で、穏やかに止まった。
陸の性格を写したかのような、丁寧でやさしい運転。
「陸くん、運転上手だね。
普段からしているの?」
「そう……?
安心して乗って貰えるのなら嬉しいかも。
運転は、今の住所が北海道だから滅多にしない。
怖すぎて……」
その言葉に固まる。
北海道……?
戸惑いが沈黙から察せられたようで、陸が苦笑いをしながら答えてくれた。
「実は、今年度から就職したのはいいんだけど、いきなり勤務地が札幌で……。
慣れない雪道を歩くだけでもどきどきしたし、家に帰ったときの凍り付くような寒さが、比喩ではないことに驚いたよ……」
「そうなんだ……。
今は、帰省中?」
北海道という予想外の距離に気が遠くなりそうになりながらも、なんとか話を続ける。
「うん、今は年末年始の休暇で実家。
だから海に掴まったところ」
陸が苦笑いで返してくる。
なら、尚のこと早く返事をしないと。
家に着いた時、きっと彼なら一回車から降りて挨拶してくれるに違いない。
そのときに、そのときにこそちゃんと返事を!
まなが密かに決心する。
たわいのない話をしているとあっという間に見慣れた区画へとたどり着いていた。
細かい指示をして、家の前へ静かに停まる車。
車内ではそれなりに話をしたが、一番したかったはずの先ほどの返事については未だにできていなかった。
「……送ってくれて、ありがとう」
シートベルトを外して助手席のドアを開けようとするより前に、自分のベルトを素早く外した陸が外から開けようとしてくれる。
言うなら今しかない。
「……陸くん……あの、」
まなが勇気を出して踏み出そうとしたその瞬間。
「まなーっ! 良かった!」
「まなちゃん! おかえりっ!」
玄関の扉が勢いよく開き、中からなおとゆめが飛び出してくる。
あまりのことにまなが固まっていると、陸がクスクス笑う声が聞こえてきた。
「仲良しなんだね」
やさしく細められた目に、姉妹の前なのに嫌でも心が反応する。
ちゃんと返事を、と思うが今はできない……そう躊躇している間に「じゃあ、良いお年を」と陸が運転席へと戻る。
そのまま、走り去る車を見送るしかできなかった。
「…………」
思わず無言で立ち尽くすまなを容赦なくなおが家へと引きずった。
ゆめはなんとなく何かを察しているような表情でこちらを見ていたが、何も言わなかった。
結局、返事ができないまま年を越してしまった。
元旦は三姉妹そろって同じワンピースを着て親戚の家へと出かけた。
毎年の恒例行事みたいなもので、いとこ達も集まる父の兄の家。
両親とともに挨拶をし、家へと入ると一気にいとこ達が駆け寄ってくる。
なおの元には元気な男の子たち。
ゆめの元には女の子たち。
まなはといえば、いとこの中で一番年の近い中学生の男の子が、「今年も不人気だね」とにやりとしながら近づいてくるだけだった。
「いおくん、生意気になって可愛くないっ!」
「なんだよ、昔みたいにまなちゃーんって抱きついて欲しいって?
あんた男に免疫なさそうだし、おれ相手に赤くなったりするなよ?」
まなが、ぐっと言葉に詰まるが、そこにゆめからの助け船が入る。
「あら、いおくん。
一番モテるのはまなちゃんだよ?
年末も彼氏に家に送ってもらっていたし」
助け船には爆弾も積んであった。
ゆめの発言に、両親もしたり顔で頷く。
「そうそう、三人の中で一番最初に嫁に行くのはたぶんまなね」
「逆に行き遅れそうなのはゆめだな。
生活力なさすぎて、お父さんは心配です」
父の言葉にわははっと大人たちが笑う。
まなとしては恋愛下手な自覚があるので両親の言葉は信じていない。
現に、陸への返事すらできずに居る。
「……う、うそだ……」
いおはショックを受けたような表情をしている。
まなにも気持ちは分かる。
同士だと思っていた人間が実は彼氏持ちだなんて言われたら軽くショックを受ける。
実際には今彼氏はいないし、複数人と付き合ったといってもキスもしたことない関係なんだけど……それは言わないお約束だ。
いとこたちと初詣に行こうという話の流れになり、一緒にモノレールで高幡不動へと向かう。
いおはまなの傍に居るが、むすっと不機嫌を隠していなかった。
まなの方も、彼氏系の話題をされたら気まずいのもあって黙っていた。
二人だけが妙な空気の中、人混みにまなやいとこ達が潰されないようにさり気なく立ち位置を調節しているいおの姿に気がついて、もう幼いだけの子どもじゃないんだなぁと思った。
「……なぁ」
「……なに?」
「……彼氏、どんなやつなの?」
いおの質問に、やっぱり来たか……とまなは苦笑する。
「……私の好きな人は、すごく真面目で……責任感の強い人だよ」
まなの言葉に、いおは納得しない表情で「そんなやつは普通にゴロゴロいるだろ」と返す。
「……おれだって、真面目だし……」
まなは、いつかの陸の言葉を思い出して、ふふっと笑う。
「学校でね、“トイレの貴公子”なんて呼ばれちゃうくらい保健委員の仕事に一生懸命で……責任もって、委員長だからって受験もあるのに三学期までやり遂げちゃったの。
“この学校でトイレを使ったことのない人なんていない”“僕たちの活動は感謝されることがなくても、誰かの助けになっている”って……」
「――へぇ、兄ちゃんそんなこと言ったんだ」
唐突に聞こえた声に、両肩がビクンと跳ね上がった。
その声はここでは聞こえてきたらいけない声だ。
「か……海……」
慌てて彼の前後左右を見渡す。
「……兄ちゃんならいないよ。
明日帰るって言ってたから、今日はゆっくりするんだと思う」
「え……」
唐突に訪れた期限に、当たり前のことなのに何で気がつかなかったんだろうとショックを受けた。
今は帰省中と言っていたのだから、北海道へ戻るのは当然。
陸の性格的に、飛行機がトラブルに遭うことも考えてギリギリで帰るタイプではない。
「……誰、こいつ」
いおが不機嫌どころか嫌そうに海を見て言う。
「初めまして、浅瀬 海です。
まなのお友だちかな……今のところは、ね」
海はいつもと同じ人好きのする笑顔を浮かべていおに挨拶をする。
「……おれは、保坂 伊織(いおり)。
まなのいとこ……今のところは」
海を真似た言い方で挨拶をするいおに、海のほうはにっこりと笑って彼の肩を叩いた。
「なるほどなるほど!
将来親戚になるかもしれないし、よろしく!」
「……っ!」
まなの頬がかぁっと赤くなる様子を見て、いおは今度こそ不機嫌を通り越して目尻に涙を浮かべる。
「まなちゃんは……まなちゃんは……僕のまなちゃんだったのに……っ」
ぐすっと泣き始めたいおに海は慌て、いとこたちも口々に知らないお兄さんが伊織お兄ちゃんを泣かせたと騒ぎ立てる。
その後は海の友だちも加わって賑やかに参拝を終えた。
今年の元日は大騒ぎから始まったのだった。
帰りの車内で、海にいとこたちと遊んでくれたお礼をメッセージにしながら、静かに陸のことを考えていた。
明日、陸は帰ってしまう。
なのに、まだ返事もしていない。
きっと、この今のタイミングを逃したら、もう後はない。
――ここで動かなかったら、一生後悔する。
海へのメッセージに一つの確認事項を追加する。
貰ったばかりのお年玉を見ながら、まなの心はもうすでに決まっていた。
工学部と家政学部に進学したまなは学校こそ違えど頻繁に顔を合わせていた。
まなの家へ遊びにくることもあり、気がついたら家族公認の親友である。
大学に入って、まなは自分が場違いだと感じることが増えた。
笑って聞けない恋愛話が、平気でそこらに転がっている。
高校のとき交際経験があるにも関わらずキスもしていないことが、なぜか知られていた。
面白がられて「この人なら大丈夫」と紹介され、断れずに頷いた瞬間――唇を奪われそうになって、逃げた。
翌日、それが笑い話になっていた。
それ以来、誰とも付き合わなかった。
そうしたら今度は、「堅い女を落としてみせる」と息巻く男が寄ってきた。
人目のある場所で告白され、断れない空気に押されて、アパートへ連れ込まれそうになった。
必死で逃げて、近くの公園の女子トイレに閉じこもった。
外から怒った声が響く。
“困ったときは俺を呼んで”
その言葉を思い出し、震える手で海に連絡した。
誤字だらけでも、海は来た。
「大丈夫」
その一言で、まなは初めて息を吐けて、海の胸で声を上げて泣いた。
海に肩を抱かれながら外へ出ると、彼が待ち構えていて、海を見て一言「どうせその男も同じだ」と吐き捨てる。
海は彼をちらりと一瞥しただけで、特に何も言わずにまなが落ち着くまで傍に居てくれた。
彼のやさしさを利用している自覚はあった。
海がやさしくていい人だということを嫌と言うほど知っているからこそ。
陸の弟である彼とだけは、付き合えなかった。
陸の陰に囚われて、キスすら許せないことが変なのならば。
もう、恋愛なんて必要ない――そう思ってた。
だけど、運命は放っておいてはくれなかった。
高校一年、十六歳のあの二月。
あの日から止まっていた恋は――
五年の時を経て、ようやく動き出す。
大学三年の十二月。
高校の同窓会が開かれた。
高校三年の時に同じクラスだった海や託人に加え、典伽やたかちゃんなど、懐かしい顔ぶれが、大学で少し浮き気味なまなには泣きたくなるほど恋しかった。
「おー、まな!
こっち座れ!」
海が手をブンブン振ってアピールする。
「海とはずっと会っているから、あんまり久しぶりって感じしないね」
「確かに!」
笑いながら肩を抱こうとする海の手を、ぺしりと払い落とす。
分かっていたように、海はそれ以上踏み込まない。
一次会はあっさり終わり、二次会へ流れる。
会計を任されて、まなは最後に店を出た。
コンビニの明かりの下。
そこに、立っている人がいた。
黒いコートにチェックのマフラー。
癖一つない、サラサラの髪。
夜の暗さの中で、コンビニと街灯の明かりを受けて、浮かび上がるようにそこだけが鮮やかだった。
まなの視線に気がついて、彼がそっと目を上げる。
「……まな?」
五年経っても、変わらない声。
それだけで胸が詰まる。
「……陸くん」
名前を呼ぶと、息が白く揺れた。
「久しぶり」
精一杯、平坦に言う。
陸は少し迷うようにしてから、静かに頷いた。
「久しぶり……」
「……どうして、ここに?」
まなの問いに、陸がスマートフォンを見ながら答える。
「海に迎えに来いって言われて。
でも、連絡がなくて困ってたとこ」
「え……。
私最後に会計任されて出てきたから、もうみんな出てきてると思ってた」
まなが建物を振り返ってみるが、海の姿は見えなかった。
「まなは迎えは?」
陸の問いに、改めて時計を見た。
とっくに、終電は終わっている。
「……タクシー、かな」
ぽつりと呟く。
陸は一瞬だけ考えてから、言った。
「嫌じゃなければ、送るよ」
昔と同じ、真面目な目。
「迷惑じゃないかな。
ちゃんと自分で帰れるよ」
まなが遠慮して言うと、陸は心配だから、で押し切る。
結局まなは頷いた。
陸の、少しの押しの強さに時間の経過を感じる。
彼をちょっぴり強気にしてくれたのは、いつか見た彼女の存在なのだろうか。
「……海から連絡が来るまでの間、そこの公園に行かない?」
「うん……陸くんがいいなら」
断る理由が見つからず、まなは頷いた。
歩きながら、言葉が少なくなっていく。
公園の前で、陸が立ち止まった。
ブランコが、夜風に揺れている。
陸が、こちらを向く。
「まな。
……返事はいらない。
ただ、自分の中にしまっておけなかっただけだから、言わせるだけ言わせて欲しい」
陸が緊張を誤魔化すかのように、一拍置いた。
「……俺は、ずっと、高校三年のあの時から変わらずにまなだけを愛している。
まなが、例え今誰を好きだとしても……俺はまなが好きです」
まっすぐな、あの頃と変わらない告白だった。
返事はいらないと言われたけれど、今すぐに返事がしたかった。
――私もずっと、誰と付き合ってもあなたが忘れられなかったと。
その瞬間、スマートフォンが鳴った。
『ごめん兄ちゃん!
今どこ!?』
現実が、割り込む。
「……行こうか」
陸はそう言って、歩き出した。
一歩、遅れてついていく。
言えなかった言葉が、喉の奥に引っかかっていた。
店の前には海が一人で立っていた。
「おぉ! まなだ!
なに、兄ちゃん……まさか抜け駆け!?」
「……してない、たぶん」
兄弟のじゃれ合いを見つめながら、その後ろを付いて歩く。
海は酔っ払った同級生を介抱した後、タクシーに押し込んで来たらしい。
面倒見の良い彼らしい。
駐車場に着くと、海が助手席のドアを開けてくれた。
遠慮するが、まなはいいから黙ってここ!と言われると素直に座るしかない。
ぽんと背中を押してくれた彼の手は、震えていた。
海は後部座席に座ると、きっちりとシートベルトを締めたあとに、背もたれを倒してこてんと横になった。
その数秒後には穏やかな寝息。
まだ駐車場から出ていない、というかエンジンすら掛けていない。
いきなり来た擬似的な二人だけの空間が、また一気に気まずさを押し出してきた。
はっきりと二人きりならば告白の返事をしたのに、中途半端に海が居る分言いにくい。
というか言えない。
車は緩やかに発進し、道路へと出る。
先の赤の信号で、穏やかに止まった。
陸の性格を写したかのような、丁寧でやさしい運転。
「陸くん、運転上手だね。
普段からしているの?」
「そう……?
安心して乗って貰えるのなら嬉しいかも。
運転は、今の住所が北海道だから滅多にしない。
怖すぎて……」
その言葉に固まる。
北海道……?
戸惑いが沈黙から察せられたようで、陸が苦笑いをしながら答えてくれた。
「実は、今年度から就職したのはいいんだけど、いきなり勤務地が札幌で……。
慣れない雪道を歩くだけでもどきどきしたし、家に帰ったときの凍り付くような寒さが、比喩ではないことに驚いたよ……」
「そうなんだ……。
今は、帰省中?」
北海道という予想外の距離に気が遠くなりそうになりながらも、なんとか話を続ける。
「うん、今は年末年始の休暇で実家。
だから海に掴まったところ」
陸が苦笑いで返してくる。
なら、尚のこと早く返事をしないと。
家に着いた時、きっと彼なら一回車から降りて挨拶してくれるに違いない。
そのときに、そのときにこそちゃんと返事を!
まなが密かに決心する。
たわいのない話をしているとあっという間に見慣れた区画へとたどり着いていた。
細かい指示をして、家の前へ静かに停まる車。
車内ではそれなりに話をしたが、一番したかったはずの先ほどの返事については未だにできていなかった。
「……送ってくれて、ありがとう」
シートベルトを外して助手席のドアを開けようとするより前に、自分のベルトを素早く外した陸が外から開けようとしてくれる。
言うなら今しかない。
「……陸くん……あの、」
まなが勇気を出して踏み出そうとしたその瞬間。
「まなーっ! 良かった!」
「まなちゃん! おかえりっ!」
玄関の扉が勢いよく開き、中からなおとゆめが飛び出してくる。
あまりのことにまなが固まっていると、陸がクスクス笑う声が聞こえてきた。
「仲良しなんだね」
やさしく細められた目に、姉妹の前なのに嫌でも心が反応する。
ちゃんと返事を、と思うが今はできない……そう躊躇している間に「じゃあ、良いお年を」と陸が運転席へと戻る。
そのまま、走り去る車を見送るしかできなかった。
「…………」
思わず無言で立ち尽くすまなを容赦なくなおが家へと引きずった。
ゆめはなんとなく何かを察しているような表情でこちらを見ていたが、何も言わなかった。
結局、返事ができないまま年を越してしまった。
元旦は三姉妹そろって同じワンピースを着て親戚の家へと出かけた。
毎年の恒例行事みたいなもので、いとこ達も集まる父の兄の家。
両親とともに挨拶をし、家へと入ると一気にいとこ達が駆け寄ってくる。
なおの元には元気な男の子たち。
ゆめの元には女の子たち。
まなはといえば、いとこの中で一番年の近い中学生の男の子が、「今年も不人気だね」とにやりとしながら近づいてくるだけだった。
「いおくん、生意気になって可愛くないっ!」
「なんだよ、昔みたいにまなちゃーんって抱きついて欲しいって?
あんた男に免疫なさそうだし、おれ相手に赤くなったりするなよ?」
まなが、ぐっと言葉に詰まるが、そこにゆめからの助け船が入る。
「あら、いおくん。
一番モテるのはまなちゃんだよ?
年末も彼氏に家に送ってもらっていたし」
助け船には爆弾も積んであった。
ゆめの発言に、両親もしたり顔で頷く。
「そうそう、三人の中で一番最初に嫁に行くのはたぶんまなね」
「逆に行き遅れそうなのはゆめだな。
生活力なさすぎて、お父さんは心配です」
父の言葉にわははっと大人たちが笑う。
まなとしては恋愛下手な自覚があるので両親の言葉は信じていない。
現に、陸への返事すらできずに居る。
「……う、うそだ……」
いおはショックを受けたような表情をしている。
まなにも気持ちは分かる。
同士だと思っていた人間が実は彼氏持ちだなんて言われたら軽くショックを受ける。
実際には今彼氏はいないし、複数人と付き合ったといってもキスもしたことない関係なんだけど……それは言わないお約束だ。
いとこたちと初詣に行こうという話の流れになり、一緒にモノレールで高幡不動へと向かう。
いおはまなの傍に居るが、むすっと不機嫌を隠していなかった。
まなの方も、彼氏系の話題をされたら気まずいのもあって黙っていた。
二人だけが妙な空気の中、人混みにまなやいとこ達が潰されないようにさり気なく立ち位置を調節しているいおの姿に気がついて、もう幼いだけの子どもじゃないんだなぁと思った。
「……なぁ」
「……なに?」
「……彼氏、どんなやつなの?」
いおの質問に、やっぱり来たか……とまなは苦笑する。
「……私の好きな人は、すごく真面目で……責任感の強い人だよ」
まなの言葉に、いおは納得しない表情で「そんなやつは普通にゴロゴロいるだろ」と返す。
「……おれだって、真面目だし……」
まなは、いつかの陸の言葉を思い出して、ふふっと笑う。
「学校でね、“トイレの貴公子”なんて呼ばれちゃうくらい保健委員の仕事に一生懸命で……責任もって、委員長だからって受験もあるのに三学期までやり遂げちゃったの。
“この学校でトイレを使ったことのない人なんていない”“僕たちの活動は感謝されることがなくても、誰かの助けになっている”って……」
「――へぇ、兄ちゃんそんなこと言ったんだ」
唐突に聞こえた声に、両肩がビクンと跳ね上がった。
その声はここでは聞こえてきたらいけない声だ。
「か……海……」
慌てて彼の前後左右を見渡す。
「……兄ちゃんならいないよ。
明日帰るって言ってたから、今日はゆっくりするんだと思う」
「え……」
唐突に訪れた期限に、当たり前のことなのに何で気がつかなかったんだろうとショックを受けた。
今は帰省中と言っていたのだから、北海道へ戻るのは当然。
陸の性格的に、飛行機がトラブルに遭うことも考えてギリギリで帰るタイプではない。
「……誰、こいつ」
いおが不機嫌どころか嫌そうに海を見て言う。
「初めまして、浅瀬 海です。
まなのお友だちかな……今のところは、ね」
海はいつもと同じ人好きのする笑顔を浮かべていおに挨拶をする。
「……おれは、保坂 伊織(いおり)。
まなのいとこ……今のところは」
海を真似た言い方で挨拶をするいおに、海のほうはにっこりと笑って彼の肩を叩いた。
「なるほどなるほど!
将来親戚になるかもしれないし、よろしく!」
「……っ!」
まなの頬がかぁっと赤くなる様子を見て、いおは今度こそ不機嫌を通り越して目尻に涙を浮かべる。
「まなちゃんは……まなちゃんは……僕のまなちゃんだったのに……っ」
ぐすっと泣き始めたいおに海は慌て、いとこたちも口々に知らないお兄さんが伊織お兄ちゃんを泣かせたと騒ぎ立てる。
その後は海の友だちも加わって賑やかに参拝を終えた。
今年の元日は大騒ぎから始まったのだった。
帰りの車内で、海にいとこたちと遊んでくれたお礼をメッセージにしながら、静かに陸のことを考えていた。
明日、陸は帰ってしまう。
なのに、まだ返事もしていない。
きっと、この今のタイミングを逃したら、もう後はない。
――ここで動かなかったら、一生後悔する。
海へのメッセージに一つの確認事項を追加する。
貰ったばかりのお年玉を見ながら、まなの心はもうすでに決まっていた。