毒を盛られた令嬢は、冷酷皇帝に溺愛される
第2章 隠された真実
深夜、エリアナは目を覚ました。
何かの音が聞こえた気がした。耳を澄ますと、廊下の向こうから微かな話し声。エリアナは寝台から抜け出し、そっと扉を開ける。
冷たい廊下に、月明かりが差し込んでいる。
声は、応接間の方から聞こえてくる。
エリアナは裸足のまま、音を立てないように廊下を進んだ。心臓が早鐘を打つ。こんな時間に、誰が話しているのか。
応接間の扉は、僅かに開いていた。
隙間から、中の様子が見える。
継母マルグリットが、誰かと向かい合っていた。相手は黒いローブを纏った男。顔はフードに隠れて見えない。テーブルには、ランプの灯りだけ。二人の影が、壁に大きく映っている。
エリアナは息を殺し、扉の陰に身を隠した。
「娘は邪魔だ」
継母の声が、低く響く。
「あの薬は、どうなっているの」
黒ローブの男が、しわがれた声で答える。
「明後日には、手に入ります」
「遅い。もっと早くできないの」
「これ以上は無理です。あまり急ぐと、足がつきますよ」
エリアナの体が、凍りついた。
薬。娘は邪魔。
まさか。
「わかったわ。明後日ね」
継母が立ち上がる気配。
エリアナは慌てて身を翻し、廊下を走った。裸足の足が床を蹴る。急がなければ、見つかる。
「誰かいるの?」
継母の声が、背後から追いかけてくる。
エリアナは角を曲がり、壁に身を押しつけた。息を殺す。心臓が喉まで上がってきそうだった。
継母の足音が、廊下に響く。
だが、その足音はエリアナのいる方向とは逆へ向かった。しばらくして、足音が遠ざかる。応接間の扉が閉まる音。
エリアナは、その場にへたり込んだ。
手が、震えていた。
翌朝、エリアナは父の書斎を訪れた。
ここは、かつて父が多くの時間を過ごした場所。本棚には古い書物が並び、机には羽根ペンとインク壺。窓からは庭が見える。だが今は、埃が積もり、誰も訪れない部屋になっていた。
エリアナは机の引き出しを開けた。
父の遺品を整理するという名目で、継母から許可を得ていた。だが本当の目的は、昨夜の密談の真意を探ること。
引き出しの中には、書類が詰まっている。
領地の管理記録、貴族との往復書簡、そして医師の診断書。
エリアナは診断書を手に取った。
父の死因は「急性心不全」と記されている。2年前のある朝、父は突然倒れ、そのまま息を引き取った。医師は「心臓の疾患」と診断し、誰もそれを疑わなかった。
だが、エリアナの中で何かが引っかかる。
診断書に書かれた症状の記述。激しい嘔吐、痙攣、呼吸困難。
頭の中に、知識が流れ込んでくる。
これは心不全の症状ではない。毒物による中毒症状に酷似している。特定の毒物、例えばヒ素やトリカブト。それらを摂取した場合、このような症状が現れる。
前世の薬学知識が、警告を発していた。
エリアナは診断書を握りしめた。
まさか。
エリアナは急いで、父の日記を探した。父は几帳面な性格で、毎日の出来事を記録していた。その日記があれば、何か手がかりが見つかるはず。
本棚の奥、革張りの古い日記帳。
エリアナはそれを取り出し、ページをめくった。
父の几帳面な筆跡が、ページを埋めている。領地の管理、貴族との交流、エリアナへの愛情。温かい言葉が、紙の上に残されている。
だが、死の直前のページで、日記は途切れていた。
いや、途切れているのではない。
破り取られている。
数ページ分、綺麗に切り取られていた。まるで、そこに書かれた内容を隠すように。
エリアナの手が、震えた。
「父は、殺された……?」
呟きが、静かな書斎に響く。
継母が父を殺した。そして今、エリアナも標的にされている。昨夜の密談。娘は邪魔だ。あの薬は。
全てが、繋がっていく。
エリアナは日記を胸に抱きしめた。
証拠を集めなければ。継母の罪を暴かなければ。だが、どうすれば。エリアナには力がない。継母は侯爵夫人として、この屋敷を支配している。
エリアナは深く息を吸い、日記を机の引き出しに戻した。
焦ってはいけない。冷静に、慎重に。
午後、エリアナはイザベラの部屋に呼ばれた。
豪華な部屋には、仕立て屋と数人の貴族令嬢たち。イザベラは、鏡の前で純白のウェディングドレスを試着していた。
「まあ、素敵!」
令嬢たちが口々に褒める。
「イザベラ様、王太子殿下もきっとお喜びになりますわ」
「こんなに美しい花嫁、見たことがありません」
イザベラは、得意げに微笑んでいる。
「エリアナ、そこに座りなさい」
継母が、部屋の隅の椅子を指差す。
エリアナは黙って座った。
「貴女には、ドレスの裾を縫う仕事を任せます」
仕立て屋が、布と針を渡してくる。
エリアナは針を手に取り、黙々と縫い始めた。
令嬢たちの笑い声、イザベラの高慢な声。それらが、エリアナの耳に突き刺さる。だが、エリアナは表情を変えない。ただ、針を動かし続ける。
「お姉様、ちゃんと縫ってくださいね」
イザベラが、わざとらしく声をかける。
「私の大切なドレスですもの」
エリアナは返事をせず、針を刺した。
その瞬間、針が指に刺さった。
「……っ」
小さく息を呑む。指先から、血が滲む。
血が、白い布に落ちた。
「きゃあ!」
イザベラが悲鳴を上げる。
「汚らわしい! 貴女、何をしているの!」
継母が立ち上がり、エリアナに近づく。
「すぐに布を替えなさい。そしてやり直しなさい」
「はい」
エリアナは静かに答え、血の染みた布を片付けた。
指から血が滴るが、誰も気にかけない。
エリアナは新しい布を受け取り、再び縫い始めた。
内心で、怒りが燃えている。だが、それを表に出すことはない。感情を殺す。それが、エリアナの生き方だった。
だが、いつまでこれが続くのか。
いつまで、耐え続けなければならないのか。
夜、エリアナは寝台に横たわった。
指の傷が、鈍く痛む。
エリアナは目を閉じた。
そして、頭の中に浮かぶ映像を辿る。
白い部屋。無機質な壁、床。机の上には顕微鏡が置かれている。試験管、ビーカー、薬品の瓶。それらが整然と並んでいる。
自分が、白衣を着ている。
顕微鏡を覗き込み、何かを観察している。ノートに数式を書き込む。化学式が、紙の上に広がっていく。
薬品の名前が、次々と頭に浮かぶ。
アセトアミノフェン、イブプロフェン、アスピリン。それらの分子構造、効能、副作用。全てが、鮮明に。
「私は……薬学者だった?」
エリアナは呟いた。
だが、それはあり得ない。エリアナは侯爵家の令嬢として生まれ、この屋敷で育った。薬学など学んだことはない。
では、この記憶は何なのか。
前世。
その言葉が、頭に浮かぶ。
前世の記憶。別の人生。別の世界。
混乱と確信が、エリアナの中で交錯する。
もし本当に前世があるのなら。もしこの知識が本物なら。
エリアナは、それを使えるのではないか。
継母の陰謀を暴くために。自分の命を守るために。
エリアナは目を開けた。
月明かりが、窓から差し込んでいる。
まだ、全てが曖昧だった。だが、エリアナの中で何かが動き始めていた。
何かの音が聞こえた気がした。耳を澄ますと、廊下の向こうから微かな話し声。エリアナは寝台から抜け出し、そっと扉を開ける。
冷たい廊下に、月明かりが差し込んでいる。
声は、応接間の方から聞こえてくる。
エリアナは裸足のまま、音を立てないように廊下を進んだ。心臓が早鐘を打つ。こんな時間に、誰が話しているのか。
応接間の扉は、僅かに開いていた。
隙間から、中の様子が見える。
継母マルグリットが、誰かと向かい合っていた。相手は黒いローブを纏った男。顔はフードに隠れて見えない。テーブルには、ランプの灯りだけ。二人の影が、壁に大きく映っている。
エリアナは息を殺し、扉の陰に身を隠した。
「娘は邪魔だ」
継母の声が、低く響く。
「あの薬は、どうなっているの」
黒ローブの男が、しわがれた声で答える。
「明後日には、手に入ります」
「遅い。もっと早くできないの」
「これ以上は無理です。あまり急ぐと、足がつきますよ」
エリアナの体が、凍りついた。
薬。娘は邪魔。
まさか。
「わかったわ。明後日ね」
継母が立ち上がる気配。
エリアナは慌てて身を翻し、廊下を走った。裸足の足が床を蹴る。急がなければ、見つかる。
「誰かいるの?」
継母の声が、背後から追いかけてくる。
エリアナは角を曲がり、壁に身を押しつけた。息を殺す。心臓が喉まで上がってきそうだった。
継母の足音が、廊下に響く。
だが、その足音はエリアナのいる方向とは逆へ向かった。しばらくして、足音が遠ざかる。応接間の扉が閉まる音。
エリアナは、その場にへたり込んだ。
手が、震えていた。
翌朝、エリアナは父の書斎を訪れた。
ここは、かつて父が多くの時間を過ごした場所。本棚には古い書物が並び、机には羽根ペンとインク壺。窓からは庭が見える。だが今は、埃が積もり、誰も訪れない部屋になっていた。
エリアナは机の引き出しを開けた。
父の遺品を整理するという名目で、継母から許可を得ていた。だが本当の目的は、昨夜の密談の真意を探ること。
引き出しの中には、書類が詰まっている。
領地の管理記録、貴族との往復書簡、そして医師の診断書。
エリアナは診断書を手に取った。
父の死因は「急性心不全」と記されている。2年前のある朝、父は突然倒れ、そのまま息を引き取った。医師は「心臓の疾患」と診断し、誰もそれを疑わなかった。
だが、エリアナの中で何かが引っかかる。
診断書に書かれた症状の記述。激しい嘔吐、痙攣、呼吸困難。
頭の中に、知識が流れ込んでくる。
これは心不全の症状ではない。毒物による中毒症状に酷似している。特定の毒物、例えばヒ素やトリカブト。それらを摂取した場合、このような症状が現れる。
前世の薬学知識が、警告を発していた。
エリアナは診断書を握りしめた。
まさか。
エリアナは急いで、父の日記を探した。父は几帳面な性格で、毎日の出来事を記録していた。その日記があれば、何か手がかりが見つかるはず。
本棚の奥、革張りの古い日記帳。
エリアナはそれを取り出し、ページをめくった。
父の几帳面な筆跡が、ページを埋めている。領地の管理、貴族との交流、エリアナへの愛情。温かい言葉が、紙の上に残されている。
だが、死の直前のページで、日記は途切れていた。
いや、途切れているのではない。
破り取られている。
数ページ分、綺麗に切り取られていた。まるで、そこに書かれた内容を隠すように。
エリアナの手が、震えた。
「父は、殺された……?」
呟きが、静かな書斎に響く。
継母が父を殺した。そして今、エリアナも標的にされている。昨夜の密談。娘は邪魔だ。あの薬は。
全てが、繋がっていく。
エリアナは日記を胸に抱きしめた。
証拠を集めなければ。継母の罪を暴かなければ。だが、どうすれば。エリアナには力がない。継母は侯爵夫人として、この屋敷を支配している。
エリアナは深く息を吸い、日記を机の引き出しに戻した。
焦ってはいけない。冷静に、慎重に。
午後、エリアナはイザベラの部屋に呼ばれた。
豪華な部屋には、仕立て屋と数人の貴族令嬢たち。イザベラは、鏡の前で純白のウェディングドレスを試着していた。
「まあ、素敵!」
令嬢たちが口々に褒める。
「イザベラ様、王太子殿下もきっとお喜びになりますわ」
「こんなに美しい花嫁、見たことがありません」
イザベラは、得意げに微笑んでいる。
「エリアナ、そこに座りなさい」
継母が、部屋の隅の椅子を指差す。
エリアナは黙って座った。
「貴女には、ドレスの裾を縫う仕事を任せます」
仕立て屋が、布と針を渡してくる。
エリアナは針を手に取り、黙々と縫い始めた。
令嬢たちの笑い声、イザベラの高慢な声。それらが、エリアナの耳に突き刺さる。だが、エリアナは表情を変えない。ただ、針を動かし続ける。
「お姉様、ちゃんと縫ってくださいね」
イザベラが、わざとらしく声をかける。
「私の大切なドレスですもの」
エリアナは返事をせず、針を刺した。
その瞬間、針が指に刺さった。
「……っ」
小さく息を呑む。指先から、血が滲む。
血が、白い布に落ちた。
「きゃあ!」
イザベラが悲鳴を上げる。
「汚らわしい! 貴女、何をしているの!」
継母が立ち上がり、エリアナに近づく。
「すぐに布を替えなさい。そしてやり直しなさい」
「はい」
エリアナは静かに答え、血の染みた布を片付けた。
指から血が滴るが、誰も気にかけない。
エリアナは新しい布を受け取り、再び縫い始めた。
内心で、怒りが燃えている。だが、それを表に出すことはない。感情を殺す。それが、エリアナの生き方だった。
だが、いつまでこれが続くのか。
いつまで、耐え続けなければならないのか。
夜、エリアナは寝台に横たわった。
指の傷が、鈍く痛む。
エリアナは目を閉じた。
そして、頭の中に浮かぶ映像を辿る。
白い部屋。無機質な壁、床。机の上には顕微鏡が置かれている。試験管、ビーカー、薬品の瓶。それらが整然と並んでいる。
自分が、白衣を着ている。
顕微鏡を覗き込み、何かを観察している。ノートに数式を書き込む。化学式が、紙の上に広がっていく。
薬品の名前が、次々と頭に浮かぶ。
アセトアミノフェン、イブプロフェン、アスピリン。それらの分子構造、効能、副作用。全てが、鮮明に。
「私は……薬学者だった?」
エリアナは呟いた。
だが、それはあり得ない。エリアナは侯爵家の令嬢として生まれ、この屋敷で育った。薬学など学んだことはない。
では、この記憶は何なのか。
前世。
その言葉が、頭に浮かぶ。
前世の記憶。別の人生。別の世界。
混乱と確信が、エリアナの中で交錯する。
もし本当に前世があるのなら。もしこの知識が本物なら。
エリアナは、それを使えるのではないか。
継母の陰謀を暴くために。自分の命を守るために。
エリアナは目を開けた。
月明かりが、窓から差し込んでいる。
まだ、全てが曖昧だった。だが、エリアナの中で何かが動き始めていた。