毒を盛られた令嬢は、冷酷皇帝に溺愛される

第3章 絶望の淵で

朝、屋敷中に鐘が鳴り響いた。
使用人たちが、急いで中庭に集められる。エリアナも、部屋から呼び出された。
中庭には、すでに数十人の使用人が並んでいる。皆、不安そうな表情。何事かと囁き合う声。
そこへ、継母マルグリットが姿を現した。
豪華な深紅のドレスを纏い、宝石を身につけたその姿は、まさに侯爵夫人の威厳に満ちている。その隣には、得意げな表情のイザベラ。
継母は、中庭の中央に立った。
「皆、よく聞きなさい」
冷たく、しかし明瞭な声が響く。
「本日、重大な発表があります」
使用人たちが、息を呑む。
継母は、エリアナを指差した。
「エリアナは、王太子妃の座を妬み、イザベラ様を呪いました」
ざわめきが、中庭を包む。
「そんな……」
エリアナは声を上げようとした。だが、継母は続ける。
「証拠は、こちらです」
継母が手を挙げると、執事が小さな箱を持ってくる。その中には、布で作られた人形。黒い糸で縫われ、胸には針が刺さっている。
呪術の人形。
「これは、エリアナの部屋から見つかったものです。イザベラ様の髪の毛が縫い込まれています」
使用人たちが、エリアナを見る。その目には、恐怖と嫌悪。
「違います! そんなもの、私は知りません!」
エリアナは必死に叫んだ。
「捏造です! 私はそんなことをしていません!」
だが、継母は冷ややかに微笑むだけ。
「証拠がある以上、言い訳は通用しません」
使用人たちは、誰もエリアナを信じない。皆、目を逸らす。継母の権力を恐れているのだ。
「よって、エリアナには辺境への追放を命じます」
継母の宣告が、中庭に響く。
「明日の朝、この屋敷を出なさい。二度と戻ることは許しません」
エリアナの体から、力が抜けていく。
追放。辺境。二度と戻れない。
「お母様、どうかお慈悲を……」
エリアナは懇願した。だが、継母は冷たく言い放つ。
「これ以上、この家を汚すことは許しません。明日の朝、必ず出て行きなさい」
そして継母は、イザベラと共に屋敷へ戻っていった。
使用人たちも、次々と散っていく。
中庭に、エリアナ一人が残された。
膝が、震えていた。
部屋に戻る道すがら、誰もエリアナに声をかけない。皆、視線を逸らし、足早に去っていく。
エリアナは、完全に孤立していた。
部屋に辿り着くと、扉の外に鍵がかけられた。
閉じ込められた。
エリアナは部屋の中を見回した。質素な寝台、古びた机、そして小さな窓。ここが、今夜の牢獄。
窓に近づき、外を見る。
庭の向こうに、本館の灯りが見える。暖かそうな光。シャンデリアの輝き。笑い声が、微かに聞こえてくる。
継母とイザベラは、きっと祝杯を上げているのだろう。邪魔者が消えることを、喜んでいるのだろう。
エリアナは、窓枠に手をついた。
「なぜ、私だけ……」
声が、震える。
父が生きていれば。父がいてくれれば。こんなことにはならなかった。
涙が、頬を伝った。
エリアナは初めて、声を上げて泣いた。
誰も聞いていない。誰も助けてくれない。ただ一人、この部屋で。
「お父様……」
呟きが、暗い部屋に消えていく。
しばらくして、扉を叩く音がした。
「お嬢様……」
老メイドの声。
エリアナは涙を拭い、扉に近づいた。
「マリア?」
「はい、お嬢様」
マリアは、エリアナが幼い頃から仕えてくれた老メイド。継母が来てからも、密かにエリアナを気遣ってくれた唯一の人。
「お嬢様、逃げてください」
マリアの声が、扉越しに囁く。
「今なら、まだ間に合います。裏門から逃げて、どこか遠くへ」
エリアナは、首を横に振った。
「逃げ場など、ありません」
「でも……」
「マリア、貴女まで巻き込むわけにはいきません。もう、大丈夫です」
嘘だった。大丈夫なはずがない。だが、マリアを危険に晒すわけにはいかない。
マリアは、しばらく沈黙した。
「……お嬢様、どうかご無事で」
足音が、遠ざかっていく。
エリアナは、再び窓の前に立った。
本館の灯りが、まだ輝いている。
夜が、深くなっていく。
夜遅く、扉を叩く音が再びした。
エリアナは目を覚まし、扉に近づく。
「誰ですか」
「私よ、エリアナ」
継母の声。
扉の鍵が開けられ、継母が入ってくる。その手には、豪華な装飾の施された酒瓶。
「明日の朝、貴女は旅立つのよ」
継母は、優雅に微笑んでいる。
「だから、餞別を持ってきたわ」
酒瓶をテーブルに置く。
「これを飲んで、元気を出しなさい。長い旅になるでしょうから」
偽善的な笑み。その目には、温かみのかけらもない。
エリアナは、酒瓶を見つめた。
豪華な装飾。高級な酒に違いない。だが、なぜ継母がこんなものを。
「お母様……」
「何かしら」
「なぜ、こんなことを」
継母は、肩をすくめる。
「貴女を追放するのは私の決定よ。でも、最後くらいは優しくしてあげようと思ったの」
その言葉に、真実味はない。
エリアナは酒瓶を手に取った。重い。中身が詰まっている。
「ありがとうございます」
エリアナは、形だけの礼を言った。
継母は満足そうに頷く。
「それでは、おやすみなさい。明日、元気に出発できるように」
継母は部屋を出て行き、再び鍵がかけられた。
エリアナは、酒瓶を見つめた。
テーブルに置き、じっと観察する。
豪華な装飾。だが、その中に何かが潜んでいる気がする。
継母の目。あの冷たい光。
昨夜の密談。娘は邪魔だ。あの薬は。
全てが、繋がっていく。
エリアナの手が、酒瓶を握る。
これを飲めば、全て終わる。
エリアナは、そう感じた。
酒瓶を見つめ続ける。しばらくして、エリアナは立ち上がった。
窓の外は、真っ暗。月も隠れている。
「これを飲めば……全て終わる」
だが、それでいいのか。
父の死の真相を知らずに。継母の罪を暴かずに。ただ、消えていくだけでいいのか。
エリアナは、拳を握りしめた。
「いいえ……私は、真実を知りたい」
父がどうやって殺されたのか。継母が何をしてきたのか。全てを暴いて、正義を示したい。
「お父様、どうか見守っていてください」
エリアナは酒瓶を手に取った。
もし、これが毒入りの酒なら。もし、継母の罠なら。
それでも。
エリアナは、栓を開けた。
香りが、鼻をつく。
エリアナは、グラスに酒を注いだ。
深紅の液体が、グラスを満たす。
「父の死の真相を、必ず暴く」
エリアナは、グラスを口元に運んだ。
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