毒を盛られた令嬢は、冷酷皇帝に溺愛される

第5章 運命の巻き戻し

エリアナは、目を開けた。
天井が見える。見慣れた天井。
だが、何かが違う。
体に痛みがない。
あの激痛、呼吸困難、全身を蝕んだ毒の苦しみ。それが、ない。
エリアナは慌てて体を起こした。
ここは自分の部屋。質素な寝台、古びた机、小さな窓。全て同じ。
だが、確かに何かが違う。
空気が、違う。
光が、違う。
エリアナは壁のカレンダーに目を向けた。
日付を確認する。
エリアナの息が、止まった。
昨日の朝。
婚約破棄の翌日。
「戻った……?」
エリアナは呟いた。
鏡台に駆け寄る。鏡に映る自分の顔。生きている。血色がある。目には光がある。
エリアナは自分の顔を、両手で触った。
温かい。柔らかい。
「本当に……戻ったのか」
エリアナは手を動かした。指を曲げ、腕を上げる。喉に手を当てる。呼吸ができる。心臓が、規則正しく鼓動している。
前世の記憶が、完璧に残っている。
薬学の知識。化学式。分子構造。全てが鮮明。
白い研究室。顕微鏡。試験管。論文。患者の笑顔。過労で倒れた瞬間。
そして、現世の記憶も。
継母の虐待。イザベラの嘲笑。婚約破棄。追放の宣告。
毒の酒。
激痛。
継母の冷笑。「お前の父も同じように死んだ」。
イザベラの声。「地獄でお父様によろしくね」。
死の闇。
全てを、覚えている。
エリアナは鏡の中の自分を、じっと見つめた。
「私は……死んだはずだ」
だが今、ここにいる。
昨日の朝に戻っている。
混乱が、エリアナの中で渦巻く。
これは夢なのか。幻なのか。
いや、違う。これは現実だ。
エリアナは深く息を吸った。
「もう一度……生きられるのか」
もう一度、チャンスが与えられた。
ならば。
エリアナは立ち上がり、窓の外を見た。
朝日が昇り始めている。新しい一日。新しい人生。
「今度こそ……私の人生を生きる」
エリアナは、拳を握りしめた。
興奮が、全身を駆け巡る。
恐怖ではない。希望だ。
エリアナは部屋を出た。
廊下を歩く。使用人たちが、忙しく行き交っている。
エリアナを見ると、皆目を逸らす。
昨日、婚約破棄された令嬢。王太子に捨てられた女。
使用人たちは、そんな目でエリアナを見ている。
だが、エリアナは気にしない。
この人たちは、何も知らない。これから何が起こるのか、誰も知らない。
エリアナは父の書斎へ向かった。
扉を開ける。
静かな部屋。誰もいない。
机の上には、父が使っていた羽根ペン。インク壺。書類。
本棚には、古い書物が並んでいる。
エリアナは、ゆっくりと部屋に入った。
机に近づき、椅子に座る。
父が座っていた場所。
エリアナは机の引き出しを開けた。
中には、父の日記帳。革張りの古いもの。
エリアナはそれを手に取った。
ページをめくる。父の几帳面な筆跡。温かい言葉。エリアナへの愛情。
そして、途中で破り取られたページ。
継母が隠した、父の死の真相。
エリアナは日記帳を胸に抱きしめた。
「お父様……」
涙が、頬を伝う。
「今度こそ、真実を暴きます」
エリアナは目を閉じた。
「継母の罪を、必ず明らかにします。そして、私の未来を掴みます」
エリアナは日記帳を机に戻し、立ち上がった。
もう、泣いている時間はない。
行動する時だ。
エリアナは書斎を出て、自室へ戻った。
扉を閉め、机に向かう。
ノートを取り出し、ペンを手にした。
冷静に、状況を分析する。
今は、婚約破棄の翌日。
昨日、王太子アレクは婚約を破棄し、イザベラを新たな婚約者とした。
エリアナは、屋敷で孤立している。
そして、数日後。
継母は、エリアナを追放する。
呪術の人形を証拠として捏造し、辺境への追放を宣告する。
エリアナは、それを知っている。
そして、その後に起こることも。
追放の前夜、継母は毒入りの酒を持ってくる。
エリアナを殺すために。
だが、今度は違う。
エリアナには、前世の薬学知識がある。
毒を見抜ける。解毒剤を作れる。
そして、未来を知っている。
エリアナはノートに、計画を書き始めた。
第一、継母の毒殺証拠を収集する。
父の死の真相を示す証拠。継母が医師を買収した記録。全てを集める。
第二、追放を逆手に取る。
追放されるのではない。自分から辺境を選ぶ。
辺境の『魔獣の森隣接地』。危険な場所だが、そこには価値がある。
第三、辺境で皇帝カイザーの黒死病を治療する。
冷酷皇帝。余命わずか。だが、前世の知識で治せる。
細菌感染症に過ぎない。抗生物質に近い薬草の組み合わせで治療可能。
第四、皇帝の力を借りて継母を裁く。
証拠を集め、皇帝の権威で継母を法廷に引きずり出す。
第五、新しい人生を築く。
辺境で薬草園を作る。村を繁栄させる。自分の居場所を作る。
エリアナは計画を何度も読み返した。
完璧ではない。だが、これが今できる最善。
「今度は、逃げない」
エリアナは呟いた。
「自分から、選択する」
ノートを閉じ、エリアナは立ち上がった。
準備を始める時だ。
エリアナは薬草園へ向かった。
屋敷の裏手、荒れ果てた庭。父が大切にしていた場所。
エリアナは籠を手に、薬草の間を歩く。
カモミール、ラベンダー、セージ。
そして、もっと特殊な薬草。
トリカブト、ベラドンナ。毒にも薬にもなる植物。
エリアナは前世の知識を総動員し、薬草を選ぶ。
黒死病の特効薬。
細菌感染を抑制する成分を持つ薬草。抗菌作用、抗炎症作用。
組み合わせれば、ペニシリンに近い効果を持つ薬が作れる。
エリアナは丁寧に薬草を摘み、籠に入れていく。
そして、解毒剤の材料も集める。
継母が使う毒。おそらく青酸化合物。
それに対抗するには、チオ硫酸ナトリウムに近い成分を持つ薬草。
エリアナは、全てを記憶していた。
籠がいっぱいになった頃、エリアナは屋敷を振り返った。
本館の窓から、継母とイザベラの姿が見える。
二人は笑っている。
エリアナを追放できると、喜んでいるのだろう。
エリアナは冷静に観察する。
継母の動き。イザベラの表情。
明日か明後日、追放の宣告が来る。
その時こそ、エリアナが反撃する瞬間。
「準備は整った」
エリアナは呟いた。
籠を抱え、自室へ戻る。
今夜、薬を調合する。
そして、待つ。
継母が動く瞬間を。
エリアナの目に、強い光が宿っていた。
もう、虐げられる令嬢ではない。
戦う、薬師だ。
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