毒を盛られた令嬢は、冷酷皇帝に溺愛される

第7章 辺境の出会い

荷馬車が、辺境の領地に到着したのは、3日目の夕暮れだった。
エリアナは荷台から降り、周囲を見回した。
荒涼とした土地。
地平線まで続く荒れ地。雑草が生い茂り、岩が散乱している。遠くに見える山々は、灰色の霧に包まれている。
領主館は、丘の上にあった。
だが、それは館と呼べるものではなかった。
壁は崩れかけ、屋根には穴が開いている。窓ガラスは割れ、扉は朽ちている。
エリアナは、ゆっくりと館へ向かった。
村が、丘の麓にある。
小さな家が十数軒。畑は荒れ果て、作物はほとんど育っていない。
村人たちが、エリアナを見ている。
警戒の目。
誰も近づいてこない。ただ、遠くから観察しているだけ。
エリアナが村の入口に立つと、一人の老人が近づいてきた。
白い髭、深い皺、曲がった腰。杖をついて、ゆっくりと歩いてくる。
「新しい領主様か」
老人の声は、低く掠れている。
エリアナは頷いた。
「はい。エリアナと申します」
老人は、エリアナを上から下まで見た。
「若い娘だな。こんな辺境に、何の用だ」
「ここで、新しい生活を始めます」
エリアナは、まっすぐに老人を見つめた。
老人は、鼻で笑った。
「期待はしていない。これまでの領主も、皆すぐに逃げ出した」
「私は逃げません」
エリアナは、静かに言った。
「これから、この土地を変えていきます」
老人は、しばらくエリアナを見つめた。
そして、肩をすくめる。
「好きにしろ。だが、ここは厳しい土地だ。魔獣も出る。生き残れるとは思わんがな」
老人は、杖をついて去っていった。
他の村人たちも、興味を失ったように家に戻っていく。
エリアナは、一人立ち尽くした。
半信半疑。
村人たちは、エリアナを信じていない。
だが、それでいい。
エリアナは、行動で示す。
領主館へ向かい、荷物を運び込む。
館の中は、外見よりはマシだった。
屋根の穴は一部だけ。壁も、補修すれば使える。
エリアナは、荷物を床に置いた。
薬の瓶。薬草の種。父の日記の写し。
そして、これから使う道具。
「ここから、始めよう」
エリアナは呟いた。
窓の外を見る。
夕日が、地平線に沈もうとしている。
明日から、本当の戦いが始まる。
夕暮れ、エリアナは森の入口を歩いていた。
薬草を探すために。
森は、深く暗い。木々が密集し、光が届かない。
魔獣の森。
村人たちが恐れる場所。
エリアナは、慎重に足を進めた。
その時、低い唸り声が聞こえた。
エリアナは立ち止まる。
前方、木の陰に何かがいる。
巨大な影。
エリアナがそっと近づくと、それが見えた。
銀色の毛並みを持つ、巨大な狼。
体長は2メートル以上。鋭い牙、黄色い目。
だが、その狼は倒れていた。
後ろ足に、深い傷。血が滲んでいる。
狼は、エリアナを見た。
威嚇するように、唸る。
「魔獣だ! 逃げろ!」
背後から、村人の声。
数人の村人が、エリアナの後ろに立っている。
「領主様、危ない! 早く!」
だが、エリアナは動かなかった。
前世の知識が、頭の中で囁く。
これは感染症。
傷口が化膿している。熱を持っている。放置すれば、敗血症で死ぬ。
エリアナは、ゆっくりと狼に近づいた。
「領主様!」
村人たちが叫ぶ。
だが、エリアナは構わない。
狼は、唸り声を上げる。
だが、動けない。体力が尽きている。
エリアナは、狼の前で膝をついた。
「大丈夫、治してあげる」
優しい声で、囁く。
狼の目が、エリアナを見つめる。
黄色い目。その奥に、知性の光。
エリアナは、持っていた水筒を開けた。
布を濡らし、狼の傷口に当てる。
狼が、一瞬身を強ばらせる。
だが、すぐに大人しくなった。
エリアナの手が、優しい。
痛みを和らげるように、丁寧に傷を洗浄する。
血と膿を拭き取る。
そして、調合した薬を取り出す。
抗菌作用のある軟膏。
エリアナは、それを傷口に塗った。
狼は、じっとしている。
エリアナの手を、信頼しているかのように。
「これで、少しは楽になるはず」
エリアナは、布で傷を包む。
狼が、小さく鼻を鳴らした。
まるで、感謝しているかのように。
村人たちが、呆然と見ている。
「魔獣を……手懐けた……?」
老村長の声が、震えている。
エリアナは立ち上がり、村人たちを振り返った。
「魔獣ではありません。ただの狼です。怪我をしていただけ」
村人たちは、信じられないという表情。
エリアナは、狼に向き直った。
「ゆっくり休んで。また明日、来るから」
狼は、エリアナをじっと見つめていた。

翌朝、エリアナが領主館の扉を開けると、そこに銀狼がいた。
座って、エリアナを待っていた。
エリアナは驚いた。
「来たの?」
狼は、尾を振った。
エリアナは微笑み、狼の頭を撫でた。
「よしよし」
狼は、目を細める。
エリアナが村へ向かうと、狼がその後をついてくる。
村人たちが、驚愕の表情で見ている。
「魔獣が……領主様の後ろに……」
「あれは、もう魔獣じゃないぞ……」
老村長が、エリアナに近づいてくる。
「領主様、魔獣を手懐けるとは……一体、どうやって」
エリアナは、微笑んだ。
「ただ、優しくしただけです」
老村長は、狼を見つめる。
狼は、大人しくエリアナの隣に座っている。
「……信じられん」
老村長は、頭を振った。
エリアナは、村人たちに向かって言った。
「皆さん、怪我や病気があれば、私が診ます。薬も作れます。遠慮なく言ってください」
村人たちは、顔を見合わせる。
誰も、近づいてこない。
エリアナは、溜息をついた。
信頼を得るには、時間がかかる。
その時、一人の女性が走ってきた。
「領主様! お願いします!」
女性は、涙を流している。
「息子が、高熱で……もう3日も……」
エリアナは、すぐに女性についていった。
女性の家は、村の端にある。
中に入ると、小さな男の子が寝台に横たわっていた。
顔は赤く、汗をかいている。呼吸が荒い。
エリアナは、男の子の額に手を当てた。
高熱。40度は超えている。
前世の知識が、診断する。
感染症。おそらく肺炎。
エリアナは、持ってきた薬を取り出した。
解熱作用のある薬草の煎じ薬。抗菌作用のある軟膏。
「これを飲ませてください。そして、体を冷やしてください」
エリアナは、女性に指示を出した。
女性は、震える手で薬を受け取る。
エリアナは、男の子の体を診察する。
聴診。触診。
そして、追加の薬を調合する。
数時間後、男の子の熱が下がり始めた。
呼吸が、落ち着く。
女性が、エリアナの手を握った。
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
涙が、止まらない。
エリアナは、優しく微笑んだ。
「大丈夫です。明日には、もっと良くなります」
女性は、何度も頭を下げた。
エリアナが館に戻ると、村人たちの目が変わっていた。
警戒ではなく、興味。
少しずつ、心を開き始めている。
エリアナは、それを感じた。
夜、エリアナが館で薬草を整理していると、扉を叩く音がした。
エリアナが開けると、一人の老婆が立っていた。
腰が曲がり、皺だらけの顔。だが、目は鋭い。
「領主様、お話があります」
老婆の声は、低く静か。
エリアナは、老婆を中に招いた。
老婆は、椅子に座る。
「森の奥に、『死を待つ男』がいます」
老婆は、ゆっくりと話し始めた。
「冷酷な皇帝陛下です」
エリアナの心臓が、跳ね上がった。
「黒死病に冒され、誰も近づけません。もうすぐ、死ぬでしょう」
老婆は、エリアナを見つめた。
「ですが、領主様なら……もしかしたら」
エリアナは、静かに答えた。
「私が、治せるかもしれません」
老婆の目が、見開かれた。
「本当ですか」
「はい。試してみる価値はあります」
老婆は、しばらくエリアナを見つめた。
そして、ゆっくりと頷いた。
老婆の目に、期待の光。
「陛下を救えば、この国が救われます」
老婆は立ち上がり、扉へ向かった。
「森の奥、川の向こうに野営地があります。気をつけて」
老婆は、そう言い残して去っていった。
エリアナは、一人残された。
窓の外を見る。
月明かりに照らされた森。
その奥に、皇帝がいる。
「カイザー……」
エリアナは呟いた。
「必ず、貴方を救う」
決意を新たに、エリアナは薬の準備を始めた。
明日、森の奥へ向かう。
運命の出会いが、待っている。
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