シトラスの魔法が解けるまで
図書室が、耳が痛くなるほどの静寂に包まれる。
彼は何も言わない。ただ、机を握りしめる私の手の上に、彼の影が重なっている。
​(……あ、私、言っちゃった)

私の投稿することで満足していた「寂しい」が、今、本人に直接ぶつかった。
もう逃げられない。逃げる必要もない。
私は泣き出しそうな顔のまま、勇気を振り絞って顔を上げた。
すると、私が顔を上げるのを待っていたように彼から言葉が発せられた。
​「……嫌ってねーよ」
「え……?」
彼は小さくため息をつき、乱暴に前髪をかき上げた。
「怒ってもねーし。……一年前のことも、別に、もう気にしてねーから」

そこには昨日までの「拒絶」の冷たさはなかった。
彼は視線を斜め下に落としたまま、机の端を指先でなぞっている。
​「……お前が勝手に一人でパニくって、勝手に距離置いてるから。……どうすればいいか、分かんなかっただけだ」

​彼も、迷っていたんだ。
私が「無視」だと思っていた彼の沈黙は、彼なりの「戸惑い」だった。
私は鼻をすすりながら、恐る恐る顔を上げた。
​「……じゃあ。明日から、また普通に、話しかけてもいいの?」
「……ま、まあ。別に、いいけど」
​「ま、まあ」
その曖昧で、でも確かな言葉。
彼はそっぽを向いてしまったけれど、その横顔の耳の先が、夕日よりも赤くなっているのが見えた。
​(……よかった。本当に、よかった)
​鼻をくすぐるシトラスの香りが、一気に甘さを増した気がした。

そんな中、図書室のドアが開く音で2人して目を向けると、真柴くんだった。
「邪魔して悪いけど、瀬戸、部活来いってさ」
「ん、じゃ、俺行くわ」
まだまだ、話しかけたい気持ちはあるが、部活ならしょうがない。
「うん、頑張ってね」
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