シトラスの魔法が解けるまで
シトラスの毒
「っ! 聞いてどうするの!?」
尖った声が出た。
自分の中に生まれた「花梨」という名前への嫉妬。それを隠すために、私は攻撃的になることしかできなかった。俺のこと好きなんだろって、からかいたいの? それとも、ただの好奇心?
「どうするの? って、気になるからだろ」
瀬戸はさも当然のように言った。その無神経さが、今の私には何よりも鋭い刃物になる。
「あんたが気になるからって、どうして言わなきゃいけないの!? 関係ないでしょ!」
本当に、腹が立つ。
好きなのは、他の誰でもない。隣にいる、あなたなのに。
「なに怒ってんだよ。落ち着けって」
「うるさい! ほっといて!」
「だから、どうしたんだよ」
詰め寄るような彼の声に、余裕がなくなっていく。心臓がバクバク鳴って、頭に血が上る。言いたくない、でもこの苦しさから逃げたい。
「……嫌い」
自分でも驚くくらい、低くて冷たい声が出た。
「え?」
「そういうの、普通にウザイ」
言葉を投げつけた瞬間、時間が止まった。
……あれ? 私、いま何て言った?
「嫌い」と「ウザイ」。
世界で一番大好きな相手に、一番ぶつけちゃいけない言葉を、私は全力で投げてしまった。
(……どうしよう。謝らなきゃ。謝らなきゃ!)
「せ、瀬戸、ごめ……」
私の謝罪は、いつかのように、遮られた。
「先、帰るわ」
「……ちょっと」
呼び止める私の声を、彼は背中で受け止めた。
「何?」
振り返った彼の声は、驚くほど冷たかった。今まで一度も聞いたことがない、私を突き放すための声。
「……お前に関係ないだろ」
「っ!」
彼はくるりと前を向いた。そのまま、一度も振り返ることなく、夕闇に溶け込んでいく。
風に乗って届いていたはずのシトラスの香りは、もうどこにもしなかった。
遠ざかっていく彼の背中が、どんどん小さくなる。
追いかけなきゃいけないのに、足が地面に張り付いたみたいに動かない。
「……バカ」
呟いた言葉は、自分に向けたものだった。
どうしてあんなことを言っちゃったんだろう。
「嫌い」なんて嘘。
「ウザイ」なんて、もっと嘘。
本当は、瀬戸に好きな人がいるかもしれないってことが怖くて、自分の気持ちを悟られるのが怖くて、ただ必死に自分を守ろうとしただけなのに。
一番大切にしたい人を、自分の言葉で深く傷つけてしまった。
(謝らなきゃ。明日、ちゃんと謝ろう……)
そう自分に言い聞かせても、心臓の奥がずっと冷たい。
彼がいなくなった道には、冬の空気だけが残っている。
さっきまであんなに鮮やかだったシトラスの香りは、まるで最初から存在しなかったみたいに、跡形もなく消えていた。
この時の私はまだ知らなかった。
「明日」になれば、また普通に笑い合えると思っていた。
このシトラスの香りが消えた瞬間が、二人の時間が止まってしまう合図だったなんて、思いもしなかったんだ。
尖った声が出た。
自分の中に生まれた「花梨」という名前への嫉妬。それを隠すために、私は攻撃的になることしかできなかった。俺のこと好きなんだろって、からかいたいの? それとも、ただの好奇心?
「どうするの? って、気になるからだろ」
瀬戸はさも当然のように言った。その無神経さが、今の私には何よりも鋭い刃物になる。
「あんたが気になるからって、どうして言わなきゃいけないの!? 関係ないでしょ!」
本当に、腹が立つ。
好きなのは、他の誰でもない。隣にいる、あなたなのに。
「なに怒ってんだよ。落ち着けって」
「うるさい! ほっといて!」
「だから、どうしたんだよ」
詰め寄るような彼の声に、余裕がなくなっていく。心臓がバクバク鳴って、頭に血が上る。言いたくない、でもこの苦しさから逃げたい。
「……嫌い」
自分でも驚くくらい、低くて冷たい声が出た。
「え?」
「そういうの、普通にウザイ」
言葉を投げつけた瞬間、時間が止まった。
……あれ? 私、いま何て言った?
「嫌い」と「ウザイ」。
世界で一番大好きな相手に、一番ぶつけちゃいけない言葉を、私は全力で投げてしまった。
(……どうしよう。謝らなきゃ。謝らなきゃ!)
「せ、瀬戸、ごめ……」
私の謝罪は、いつかのように、遮られた。
「先、帰るわ」
「……ちょっと」
呼び止める私の声を、彼は背中で受け止めた。
「何?」
振り返った彼の声は、驚くほど冷たかった。今まで一度も聞いたことがない、私を突き放すための声。
「……お前に関係ないだろ」
「っ!」
彼はくるりと前を向いた。そのまま、一度も振り返ることなく、夕闇に溶け込んでいく。
風に乗って届いていたはずのシトラスの香りは、もうどこにもしなかった。
遠ざかっていく彼の背中が、どんどん小さくなる。
追いかけなきゃいけないのに、足が地面に張り付いたみたいに動かない。
「……バカ」
呟いた言葉は、自分に向けたものだった。
どうしてあんなことを言っちゃったんだろう。
「嫌い」なんて嘘。
「ウザイ」なんて、もっと嘘。
本当は、瀬戸に好きな人がいるかもしれないってことが怖くて、自分の気持ちを悟られるのが怖くて、ただ必死に自分を守ろうとしただけなのに。
一番大切にしたい人を、自分の言葉で深く傷つけてしまった。
(謝らなきゃ。明日、ちゃんと謝ろう……)
そう自分に言い聞かせても、心臓の奥がずっと冷たい。
彼がいなくなった道には、冬の空気だけが残っている。
さっきまであんなに鮮やかだったシトラスの香りは、まるで最初から存在しなかったみたいに、跡形もなく消えていた。
この時の私はまだ知らなかった。
「明日」になれば、また普通に笑い合えると思っていた。
このシトラスの香りが消えた瞬間が、二人の時間が止まってしまう合図だったなんて、思いもしなかったんだ。