塩対応だった旦那様が記憶喪失になったら、執着溺愛して離してくれなくなりました
 建物の入り口でレナルドを見送ってくれていたはずのラシェルは、若い男と親しげに見つめあっていた。二人の表情はよく見えないものの、男の姿には見覚えがある。少し長めの明るい茶色の髪を緩く縛り、だらしなく服を着崩したその男は、セヴラン・ノディエ伯爵令息に違いない。ノディエ領とブラン領は隣りあっているし、二人に交流があることは理解できる。

 だが、二人の距離は単なる知人とは思えないほどに近い。

 凍りついたように見つめるレナルドの視線の先で、セヴランがラシェルの頬に手を触れた。そしてぐっと顔を近づける。ラシェルは抵抗することなくそれを受け入れており、二人の影が重なった。

 再会の喜びに浮かれていた心が、すうっと冷えていく。レナルドは震える手を握りしめると、踵を返した。

 自分はラシェルのことをずっと忘れられなかったが、彼女が同じ気持であったはずがない。そもそもラシェルは、レナルドのことを覚えてもいなかったのだから。

 彼女が誰かを好きになることは自由だし、恋人や婚約者がいる可能性だってあることを、すっかり失念していた。

 優しいラシェルは、単にレナルドの怪我を心配してくれただけだ。そこに、恋愛感情なんてあるはずがない。

 今更なことに気づいて、レナルドは思わず低く呻いた。

 せっかくまた会えたのに、きみのおかげで騎士になれたと伝えたかったのに、彼女にはもう手が届かない。

 失恋の痛みに胸が苦しくて、息ができなくなりそうだ。

 彼女にもらった栞の入っている胸元を押さえて、レナルドは滲んだ涙を堪えるために強く目を閉じた。



 ラシェルへの恋は失恋確定だが、それでもレナルドは彼女への想いを捨て去ることができずにいた。なんせ十年近く想い続けていたのだ、ちょっとやそっとで忘れられるはずがない。
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