塩対応だった旦那様が記憶喪失になったら、執着溺愛して離してくれなくなりました
「ご用件は仰りませんでしたが、とてもお急ぎのご様子でした。先触れもなしに訪問したことを、詫びておられましたよ。談話室にお通しして、お待ちいただいております」

 執事の言葉にうなずいて、ラシェルは立ち上がった。ヴァンタール侯爵の用件は不明だが、待たせるわけにはいかない。それに、セヴランから逃げられるなら理由なんてなんでも構わない。

「申し訳ありません、セヴラン様。来客の対応をしなければなりませんので、失礼しますね」

「あ……あぁ」

 セヴランも、さすがに侯爵家の邪魔をすることはできないと考えたのだろう、すんなりと引き下がった。彼の対応を執事に任せて、ラシェルは父親と共に談話室へと急いだ。

 ◇
 
 談話室の扉を開けると、ソファに腰掛けていた黒髪の大柄な男性が顔を上げた。その瞬間、ラシェルの胸がどきりと大きな音をたてた。直接顔を見るのは、何年ぶりだろうか。あの時から更に逞しく、精悍になったような気がする。

 一瞬視線が交わったが、やはり彼には懐かしむような様子は見られない。きっとかつてラシェルと会ったことも、覚えていないだろう。

「お待たせして申し訳ありません、ヴァンタール侯爵閣下」

「いえ、こちらの方こそ、突然の訪問で申し訳ありません」

 父親と挨拶を交わしたあと、彼はラシェルのほうを見る。ずっと心の中でほのかな想いを抱いていた人に見つめられて、頬がじわじわと熱くなってきた。だが彼にとっては初対面だろうから、ラシェルは精一杯令嬢らしく見えるように笑みを浮かべた。

「お会いできて光栄です、閣下。ラシェル・ブランと申します」

「どうぞレナルドとお呼びください」

 柔和な笑みを浮かべた彼は、そう言って背筋を伸ばす。早速話が本題に入ることを察知して、ラシェルも姿勢を正した。
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