塩対応だった旦那様が記憶喪失になったら、執着溺愛して離してくれなくなりました
「お帰りになるのでしたら、お一人でどうぞ。何もしなかったセヴラン様と違って、私はまだすることがあるんです」

「は、よくそんな生意気な口がきけるもんだな」

 瞳を怒らせたセヴランは、ラシェルの肩を掴むと壁に押しつけた。背中を強く打ちつけたせいで、一瞬息ができなくなる。

「……っ!」

「おまえ、自分の立場分かってんの? おれは伯爵家、おまえは男爵家だよな。逆らったらどうなるか、教えてやろうか」

 浅い呼吸を繰り返すラシェルの顔をのぞき込み、セヴランは顎を掴んで強引に上を向かせる。目を合わせるのが嫌で、ラシェルは必死に視線を逸らしたが、それすらもセヴランには気に入らなかったようだ。

「ほら、こっちを見ろよ、ラシェル。親父に言って、ここへの寄付をやめさせてもいいんだぜ? お気に入りの孤児院がおまえのせいで潰れるのは、嫌だろう?」

「や……めて。ごめんなさ……」

 強く顎を押さえられて、痛みに涙が滲む。苦しい息の下で懇願するように見上げれば、セヴランは唇を歪めて笑った。

「ふん、最初っからそうやってしおらしくしてろよ」

 ようやく手を離されて、ラシェルは呼吸を整えながら痛む顎をそっと撫でた。恐らくセヴランはラシェルの涙を別の意味に勘違いしたのだろうが、わざわざ訂正する理由もないので黙っておく。

 結局、魔獣騒ぎでバザーの準備どころではなくなってしまい、ラシェルも予定していた時間より早めに帰宅することになった。

 ようやく帰れると隣でため息をついたセヴランは、何もしていなかったはずなのにラシェルよりも疲れた様子だ。

 本当に何をしに来たのだろうと思いつつ、ラシェルは庭で防護柵の補修をする騎士に視線を送った。一際背の高い、艶やかな黒髪の騎士がレナルドだ。
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