優しい雨が降る夜は
ソファで肩を並べてコーヒーを飲みながら、美月はやおら優吾に尋ねる。

「雨宮さん、SNSでは今あの噂はどうなってますか? 私、アカウントもないのでよく分からなくて」
「ああ、そうだな……。まだしばらくは用心した方がいい。友利 健二は全国ツアー中で、なにかと注目を浴びているから。君とのことがどうとかではなくてね」
「そうですよね。彼は人気のピアニストで、純粋にそれだけで大きな話題になりますものね」

美月はそう言うと、コーヒーをひと口飲んでから窓の外を見た。

ブラインドやカーテンを必要としない、海に面した高層階。

おぼろげに月明かりが射し込む中、いつの間に雨が振り始めていた。

サーッとかすかな雨音に耳を傾けながら、美月は心が穏やかになるのを感じた。

二人でいても、静かなこの時間が心地良い。

やがて美月は、窓を濡らす雨粒を見つめながら口を開いた。

「今、仕事を離れてみてしみじみ思うんです。私はあの場所で、皆さんに元気をもらってたんだなって」

優吾はじっと、そんな美月の横顔を見つめる。

「毎日たくさんの人が『美月ちゃん、こんにちは』って挨拶してくれて、他愛もない話をして……。それってすごくありがたいことだったのですね。私にとっては職場ですけど、笑顔と優しさにあふれた、明るい世界。改めて私は、あの場所が好きです」
「そうか……」

なんだか気恥ずかしくなり、美月は今度は優吾に話を振った。

「雨宮さんは、どんなお仕事を?」
「ん? そうだな。クライアントに寄り添って経営戦略を打ち出すコンサルティング会社なんだけど、考え方は本社のアメリカのロジックなんだ。実は官公庁絡みの案件も結構ある」
「そうなのですか?」

区の公共施設に勤める美月にとっては、初耳だった。

「ああ。官公庁は立場上、特定企業に肩入れできないだろう? それに国民全員に関わる制度なんかは、失敗したときの責任が重い。うちは外資だから国内の企業とのしがらみもないし、海外の制度を作った時の事例もデータとして多く持っているから」
「そうなのですね。私の職場は、ありがたいことに利用者さんから人気で、逆に予約が取りづらいのが難点だと言われています」
「そうなのか。それだけ必要とされる成功例だな。なにか特別に仕掛けたり、取り組んだりしたの?」
「こちらから意図してではなく、利用者さんのリクエストに応える形で、お祭りや発表会や、季節のイベントを企画しています。地域の情報をお便りにしたり、使わなくなったものの交換会とかも」
「へえ、興味深いな。一度見に行ってもいいか?」
「はい、もちろん!」

パッと笑顔になった美月に目を細めてから、優吾は真剣に口を開く。

「必ず無事に君を戻すから。もう少しの辛抱だ」
「雨宮さん……。ありがとうございます」

美月が思わず涙ぐむと、優吾は美月の頭にポンと手を置いて優しく笑った。
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