夢幻の扉~field of dream~【本編1】

08.夕方の教室で

 目を開けると、小さな天井が見えた。
 消毒の匂いと水色のカーテンから、伸尋は自分が保健室のベッドで寝ていたことに気付く。
 ──いったい、なぜ?
 天井につけられた蛍光灯を無意識に見つめ、それから壁にかけてある時計が目についた。今の時刻は三時ちょうどらしい。
 ──昼ごはんは、食べた。
 教室の自分の席で、いつもの面子と一緒だった。それからグラウンドに出て、体を動かした。
 ──バスケの試合で、三年生に負けた。
 とても悔しくて、最後のドッジボールの試合には気合いを入れて挑み、結果は──?
 記憶はそこで途切れ、そして今に至る。午後の試合開始時間は覚えていないけれど、寝ていた時間はそれほど長くない。
 ぼんやり時計を見ているうちに、気付けば長針が下を向いていた。
 ふと、誰かに会いたいと思った。
 誰か一人でも、心配して会いに来てほしかった。
 コンコン――カチャ。
 保健室のドアが開けられる音がした。
 ひとつの可能性を考えた。
「あの……若崎君はどこに……?」
 小さな望みは叶えられなかった。

 間もなくカーテンが開いて、それはやってきた。
「伸尋ー。大丈夫か?」
 それは伸尋の予想通り、しかし期待はずれの史だった。期待通りには無理か、と浅い考えを笑って消した。
「うん……もうホームルーム終わったん?」
「さっき終わったとこ。みんなおまえの心配してるで。特にあいつが」
「え? あいつって……」
 史は笑った。
「悪いな。あいつじゃなくて。あいつも忙しいからよ」
(あいつって……叶依……か?)
「あいつ、明日の準備で知原んとこ行ってたからさぁ。おまえ明日行くんか?」
「……明日って何?」
 ベッドから体を起こして伸尋は聞いた。
「明日、ホールでサマーコンサートあるやん。あれで全部終わった後に叶依、一人でトリやんねんて。おまえ知らんかった?」
「知らん……」
 伸尋は首を横に振った。コーラス部が出るというのは思い出したけれど、叶依がトリをするのは初耳だ。
「そうか、おまえあいつと知り合ったん今年やからなぁ。俺、去年も同じクラスやったからちょっと聞いててんけどな……Zippin’ SoundsからCD出すらしいで」
「うそー? めっちゃすごいやん!」
「おまえもな。俺の友達、有名人ばっかやわ。海帆だってあいつとおるからなんか有名やし。で、そのアルバムから二曲やんねんて。いきなりアルバムやで」
「俺が有名人?」
「ある意味な」
 伸尋は笑いながらベッドから降りて先生に礼を言い、史と一緒に保健室を出た。

(居心地悪いな……)
 放課後の教室は、いつもより賑やかだった。球技大会は伸尋が倒れた以外は無事に終わり、十組はドッジボールで優勝したらしい。トロフィーが飾られてクラスメイトたちは盛り上がっていたけれど、伸尋は喜ぶ気にはなれなかった。貢献はしたらしいけれど、評価はしたくなかった。
 教室には伸尋が心配で残っていた生徒も複数いたらしい。何があったのか、もう大丈夫なのか、ほとんどの生徒が声をかけたそうにしていたけれど、誰も何も言ってこなかった。言ってはいけない、のではなく、伸尋が誰も寄せ付けない雰囲気を作ってしまっていた。
 教室に戻ると、史はすぐにクラブへ行ってしまった。教室で出会った采も、史と同じサッカー部へ飛んでいった。伸尋もクラブへ行く予定だったけれど、先生に禁止された。
「あ、伸尋ー。もう大丈夫なん?」
 伸尋は教室に戻ってから初めて顔を上げた。音楽室から叶依が戻ってきたようで、自分の席に向かうのをぼんやり見ていた。叶依は伸尋と話すのを控えた時期があったけれど、噂されなくなってからは以前のように接してくれていた。
「うん。悪いな、心配かけて」
「ううん、急に倒れたからビックリしたけど……。あれ? みんなクラブ? 良かった、伸尋おって(がいて)
「俺が何かあんの?」
「え? ああ、ううん、教室に誰もおらんかったら寂しいから……。それよりさぁ、明日あいてる?」
「明日? あ、聞いたで。CD出するらしいやん」
「……誰に聞いたん? 史? もう……明日びっくりさせようと思ってたのに。言わんかったらよかった」
 叶依は頬を少し膨らませてから溜息をついた。
「いきなりアルバムってすごいよなー。何て曲やるん?」
「明日のお楽しみ、って言いたいけど……まぁいいや。二つやるんやけど一個はインストで『summer night』、もう一個が──サブタイトルに『NOBUHIRO』ってつけていい? さっき練習してて、曲のイメージが今日の伸尋にぴったりやってん」
「え、俺? 別に、いいけど……」
「よし。そうしよ」
 叶依は前に向き直ってから、帰り支度を始めた。ホームルームが終わってすぐに音楽室に行っていたので、荷物は片付いていなかったらしい。
「おまえってさ」
「ん?」
 伸尋の呼びかけに、叶依は振り返らずに返事をした。
「ただ明るいだけの奴とちゃうよな」
「え?」
「最初の頃、明るいだけが取り柄、みたいなこと言ってたやん。二年なって三ヵ月やけどさぁ、俺にはそんな風に見えんかったで。おまえさ、自分に責任かかるようなことしてる時、すごい、何て言うか、真剣な目してんもん。海帆も結構そんな感じやけど、おまえはすごいで」
 伸尋が言っている間、叶依は無意識に彼を見つめてしまっていた。どういう意味でそんな話をしているのか、考えてみたけどイマイチわからない。けれど、どうやら彼は叶依を褒めたらしい。
 叶依は急に照れくさくなって伸尋から視線を外し、
「伸尋だってすごいやん」
 と言った。
「やっぱり俺ら似てんかな?」
 伸尋は笑っていた。
「ははは。実は従兄妹(いとこ)やったりして」
 叶依も笑っていた。もちろん、彼と血縁があるとは思っていないので、照れているだけだ。
 教室に残っている生徒はだんだん少なくなり、いつの間にか叶依と伸尋だけになっていた。最後に出ていったクラスメイトが伸尋を見てニヤリとしていたけれど、それがどういう意味だったのか叶依には分からない。荷物を鞄に入れてファスナーを閉め、机の中をもう一度確認してから顔を上げると、伸尋が鞄を持って待っていた。
「帰るか」
「うん」
 窓からは緩やかな勾配で夕陽が差し込んでいた。
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