「エモパレ ―感情が見えるぽっちゃりな私が、オジさま副局長を無自覚なまま搦め捕るまで―」

第7話 不安の回廊を抜けて……


 西街大通りの噴水広場。

 そこに集う賑やかしい人だかりから、住宅街へ向かう中通り。

 脇道に入り、ほんの少し進むと現れる、小さな教会。

 広場の喧騒とは打って変わって、あたりは静けさに包まれている。

 休日や朝の時間は、それなりに付近の居住民も祈りを捧げる信仰の空間。
 陽が紅く染まり始めた今の時間は誰一人として使用するものはいない。

 いや……

 聖堂の長椅子のひとつに、少女がひとり座っていた。

 高い位置に備え付けられたステンドグラスを透けた夕射しが、
 赤や青、金の光を降らせ、
 その丸みを帯びた身体をやさしく彩る。

 祈ることもなく、ただ背を丸めて膝に手を重ねている。

 目を伏せ、力なく結ばれた唇から、時折何かを呟く。
 遠目には、敬虔な信徒のようにも見える彼女の横顔は、儚く憂いを帯びている。

 日常では決して見せない静謐な空気を纏う彼女は、いつになく大人びて。
 ある種の神々しさと美しさを醸し出していた。

 吹き込む風が、ストロベリーブラウンの髪をやさしく揺らし、儚さが増す。

 それはまるで、時の狭間に取り残された春の幻のようだった。


―――――――


 ――無我夢中で走った。

 路地裏の樽の裏で限界を迎えたハルネは、じっと身を潜め続ける事を選んだ。

 今なら大丈夫、今なら走って抜けられる。
 そう決意しては躊躇するのを繰り返した回数は10や20では済まない。

 きっかけはお腹の音。

 空腹を覚えた胃の悲鳴が、彼女の決断を後押しした。

 結局向かったのは路地裏のさらに先。
 ……元の大通りに戻る勇気は持てなかった。

 うろ覚えの方向感覚から大通りを目指す。
 しかし、なかなか目的の場所へと向かう道に繋がらない。

 細道を走り、石畳を蹴り、手作りの階段を登り、息が切れるまで無我夢中で走った。

 決して高くない彼女の持久力が尽きた先で見つけたのは、
 館というには簡素で、礼拝堂というには控えめな木造の建物。
 2階部分に見えるステンドグラスの存在が、小さな教会だという事を物語っていた。

 振り返っても怪しい存在が付いてくる事も無かった。

 元々存在しなかったのかもしれない。

 ドアを開けると、神の祭壇に相応しく静謐な空気が漂っていたが、人は誰もいなかった。
 並べられた長椅子に腰を下ろし、ようやく大きな一息を付く事で、安堵の気持ちが蘇った。

「はぁ……何やってんのさ、あたし」

 足を止め、休息を挟んだ事で思考が戻ってくる。
 ふと呟いた一言に返事を返す者はいなかった。 

 すごく怖かった、けど……

 結局、最初の舐めつけるような感情温度を感じただけで、視線があったかどうかも怪しい。

 あれっきりだ。

 じっと隠れてる間も誰も見えなかったし来なかった。

 今思えば感情温度の方も、もしかしたらあたしの前にいた、まるで違う女性へ向けたものだったのかもしれない、と、思えてくる。

 何事も無い、誰もいない、という結果を考えるとますますそう思えてくる。

 きっとリゼラちゃんのせいだ。
 あんな不安げな顔と感情色であたしをすっかり惑わせた。
 それまでずっと楽しく話してたから、反動で不安が増大したのかも。

 ……だとしたら、あたしの今のこの醜態はなんなのさ。

 存在しない加害者に怯えて、

 一人で勝手に隠れて、

 一人で逃げ出して、


 情けない……


 その時、自分でも気付く。

 「あ、これダメなモードに入る」と。

 しかし止めようもなかった。

 勢いで行動して空回りすることはたまにあるけれど、こんな大げさな独り相撲は初めてだった。

 怖いのはもちろんあったけど、すっかり慣れた感情色の魔眼(エモパレ)に振り回されてしまった。

 一人なのもダメだった。

 いつも何か勢いでやらかしちゃいそうなときは、シャリエナかお母さん、
 もしくはギルド内ではギルド長が止めてくれたりって事もあった。

 転生してさ、魔眼には最初戸惑ったけど、友達や仲良い人も出来たりしてさ。
 こっちの人って、思ったよりみんな優しくて良い人が多いなって思った。

 ふと前世を思い出す。
 もう、前の自分の顔も名前も忘れてしまった。

 だけど、家族は疎遠で、仕事に懸命だったのは覚えてる。

 運よく目を掛けられて、
 出世コースには乗ったけど、
 成果を争い、ポジションを争い、
 数字に振り回される毎日で、同僚はみんな敵。

 お金はあったけど、孤独だった。

 仕事に追われて、
 夜遅くに、一人で食べまくったコンビニの甘いもの。
 束の間の幸せといったら、それだけだった。

 転生して、また太って、全然痩せられない時は神様を恨んだけど、新しい家族は優しくて楽しかった。

 シャリエナやお母さんに、前世の記憶の料理を初めて作った時のリアクションは……面白かったなぁ。


 ――顔を伏せ、膝に手を組みながら、回想を重ねる。

 聖堂は物音ひとつせず、何の気配も無い。

 もしも神と対話をしているのなら、その静謐さはプラスに働いただろう。
 今のハルネには、その一人の静けさは、絶対のマイナスだった。


「うっ……ぐすっ……」


 情けなさと寂しさに、涙が零れた。

 寂しい。
 寂しい。
 愛……愛が欲しいよぅ……

 家族は優しい、愛情も感じる。
 でも違うのさ。

 シャリエナはアレで要領の良い子だ。
 しれっとしっかりした旦那候補を捕まえてくるんだろうさ。

 リゼラちゃんだって実は押しに弱い美人さんだ。
 強く求婚されればあっさり結婚しちゃうんだろうさ。

 あたしだけ。
 あたしだけが、一人……

 前世からこんなぽっちゃりした体型だからか、恋人を作れたことも無かった。

 昔からいろんな妄想をした。

 カレシがいれば違ったのかな?
 こんな寂しい思い、しなくて済むのかな?

 異性から愛されるってどんなだろう。
 異性を愛すってどんなだろう。
 それはそんなに満たされるものなの?

 この……足りないナニカを……埋めてくれるものなの?

 ……必要とされるって、求められるって、
 一体どんな気持ちになるの?

 少女のような妄想だって分かってる。

 でもいいじゃないのさ。
 そんな妄想くらい許してよ。

 ねえ神様、あたしが前世で何をしたのさ?
 ぽっちゃりの呪いなんてあんまりだよ。


 あたしに自信……持たせてよっ……!


 はたはたと流れる涙がうっとおしい。

 つらい……
 つらい…………
 自信を持てない自分がつらい。
 求められる自分が想像つかない。

 孤独よりも……
 誰にも選ばれないんじゃないかという不安がつらい。

 まるで、世界から……

 「お前は必要じゃない」

 そう、言われているようで……

 ……息が苦しくなる。

 孤独な末路があたしには相応しい。
 そういうココロの声も聞こえる。
 なぜだか、ソレに少しだけ安心を覚える。

 そしてすぐに否定する。
 そんなのは絶対イヤ!……と。
 ココロの声は諦めを認めない。

 そんな矛盾した二つがケンカする。

 諦めろ、イヤだ、諦メロ、イヤダ……

 決まってその後は、
 もっともっともっとつらくなった。

 そして……世界が憎くなる。
 そう考える自分に嫌気がさして、また涙が出てくる。


 まるで抜け出す事の出来ない、不安の回廊。


 涙にまみれた顔を上げる。
 視線の先には、この世界の女神様の像。

 今まで信仰なんて興味も無かったから女神様の名前すら知らない。 
 孤独を拗らせすぎて、何でもいいから縋りたかったのかもしれない。

 気付けばあたしは祈りを捧げていた。


 ……やっぱり一人はイヤ。

 ……愛されたい。

 ……恋人が欲しい。

 ……結婚したい。

 ……それは贅沢?


「もし……? そこのお方……?」

 優しげな声に振り返る。

 キィ、という扉の音とともに現れたのはお爺さま。

 服装を見るにどうやらこの教会の神父様?

「ああ、申し訳ない。 祈りの邪魔になってしまいましたか?」
「えっと、いえ、だいじょぶです。 邪魔じゃないです」

 素早くぐいっと袖で涙を拭う。

「真摯に祈っておられたのでお邪魔かとも思ったのですが、何やら尋常でない空気も感じたもので……」
「いえ、だいじょぶですよ。 ちょっと真面目モードでお祈りさせてもらっただけです」

 まさか恋人欲しさに泣いていたなんて恥ず過ぎる。

「何やら思いつめたお悩みがありそうなご様子。 これでも神職の端くれ。 貴女がよければお話くだされ。 神は全ての悩みを受け入れ、許してくださいますよ」

 そう語って、一つ前の席に座る神父様。

 その紳士的な態度だけでも、ささくれた心に響いたが、何より……

――思いやりの黄橙色。 それに安堵の藍白色。

 この神父様は、本気であたしの事を今案じてくれている。
 思いやりに安堵の藍白色が混じるのは珍しいけど、神職ならではの心模様なのかも。

 普段、人の話を聞く機会がいっぱいあるからかな?
 人と対峙しているからか、分析する余裕が出てきた。

 どうしよう。 話してみる?

 でも何を話すのさ? 結婚したすぎて涙が出ちゃいました?
 恥ず過ぎる……

 うーん、と悩んでいると、ひょんなタイミングで別の音が鳴ってしまった。


 ――グゥ~~~……


 あたしのお腹の音だった。
 何から何まで恥ず過ぎる……
 顔が熱くなっていくのを感じる。

「ほっほっほ。 よろしければコレでもどうぞ、お嬢さん」

 そう言って神父様が手持ちの籠から取り出したのは、クッキーだった。
 しかも……

「紅茶のクッキーだぁ……」

 すんと漂ってきた香りにピンと来る。
 紅茶葉を混ぜるクッキーはこの世界、この街でも珍しい。

 ウチの店でも扱ってるが、茶葉そのものを生地に混ぜる発想が新しかったようで、シャリエナが大層びっくりしていた。

「いただきます!」

 差し出されたものは遠慮なくいただくのがあたしの正義だ。
 遠慮のやりとりなんて時間が勿体ない。

 相手はあげて嬉しい。
 あたしも美味しくて嬉しい。

 Win-Winだ。

 サクサクの生地にふんわりと香る紅茶。
 ほどよい甘さと歯応えが、張りつめていた心を、ゆっくりほどいていく。


「ぐすっ……お゛いじい」


 なんだか懐かしい味に、意図せず涙が零れる。

 思えばずっと何も食べてない。
 昼食代わりに作ってきたサンドイッチもリゼラちゃんちに向かう途中の馬車で食べてしまった。

 代わりのお昼はリゼラちゃんちで何か頂くか、
 あるいは西街の新しい食堂を開拓でもしようとルンルンだった。

 なのに、リゼラちゃんがあんな事言い出すから……!

 ちくしょう、リゼラちゃんめ!

 もぐもぐもぐとあっという間に一枚平らげてしまう。

「もう一枚ありません?」
「お、お嬢さん意外と遠慮ないねぇ? ほら、どうぞ」

 2枚目も遠慮なくいただく。
 奪った気分にはなったが気にしない。

 それにしてもやけに美味しいクッキーだ。
 どこのお店のモノだろう?

 気持ちにゆとりが生まれたのか、商売に繋げる余裕も出てきた。

「ふぉこのふぉみふぇの……」
「ああ、そうなるよねぇ。 こちらもどうぞ」

 お口の中がぱっさぱさ。

 ウチで作ってる紅茶クッキーもそうだけど、
 茶葉を入れるとちょっと密度が増すのよね。

 そうして、神父様が注いでくださった竹のコップからは、どこかで嗅ぎなれた香りが……

「どうだい、落ち着いたかね?」
「………んっ! コレってまさか……」

 ずずっと啜ったお茶からは、カモミールの心地よい香りに加え、スッと溶けるノクセラ草の気持ちの良い苦み。

「トロ眠ティーだぁ………」

「ほっほっほ、知っておるのかね? ワシの連れのばあ様が南街で売ってるこのお茶とクッキーをやけに気に入っておっての。 よく眠れるようになったと嬉しそうに言いおって。 一緒に飲まされてるウチにワシも気に入っちゃって……」

 あたしの話し方がそうさせたのか、いつの間にか砕けた口調になっている神父様。

 神父様の話も気もそぞろ、あたしはまさかここで味わうとは思ってもみなかった慣れ親しんだ味と香りに心を奪われていた。


 大事な家族。


 大事なお店「サフラン香房」


 そして、香房が齎してくれる様々な縁、色んなモノが感情となって押し寄せる。


 神父様の気遣いと優しさが、あたしの心をほぐしてくれた。

 甘えて分かった。

 結局はそうだ。

 寂しかったんだ。

 中途半端に前世の記憶があるだけに、自分は一人、自分は不幸だと知らない内に思い込んでいたのかもしれない。

 でもさ、こうやってクッキーやお茶、家族や友達、あたしがここに生まれて実を結んだ物、数えるだけでもいくつもあるよ。

 恋人がいなくったって、
 出来なくったって、
 あたしはここにいていいって……

 居場所があるって、
 生きてていいんだって……

 そう思えるだけで、じんわり心に春色が広がる。

 あたしは笑顔で、もう一度だけ涙粒を落とした。


―――――――


「ありがとうございました、神父様!」
「元気が出て良かった。 良かったらまた来なさい」

 お腹も多少膨れて会話もできて、すっかり元気になった。
 さっきまで何を弱気になっていたのだと、そう言わんばかりに気力が漲る。

 神父様の温かい思いやりの感情色も多分に効いた。 

 神父様に教えてもらった通り、ちょっと歩けば大通りへ出る事が出来た。
 夢中で走り回ったのは何だったのか。

 遠くを見れば、大通り広場に見える噴水が夕陽に照らされオレンジに輝く。

 あのパニックの中、よく失くさなかったなと我ながら感心する手に持った籠から、
 十字をモチーフにした数珠のような物を取り出す。
 別れ際に神父様が下さった物だ。

 「また悩んだとき、神に祈りを捧げなさい」との事だが、まだあんまり神様を信じてはいない。

 でも、あんなに凹んでたあたしを、救ってくださった神父様のために祈るのは、悪くないかもネ。

 クッキーにお茶にロザリオに。
 いろんなもの貰っちゃったなあ。

 今度お店に神父様のお連れ様が来たときはサービスしないとね!

 もちろん、そのおばあ様の顔は知らない。
 でも、お店には来た事あるのは間違いない。
 あの優しい感情色を出せる神父様なら、きっとよく似た色のおばあ様だろう。


 傾く夕陽の中、大通りの反対側、乗合馬車広場へ歩みを進める。


 さ、随分時間をつぶしちゃった。

 まだ今日は終わってないぞ!

 帰ったら店番のシャリエナと情報共有して、で、相談がてらメンケアもしてもらって。

 あ、そうだ、明日届くハバネロチリペッパーのレシピも考えなきゃ。

 単純にそのまま販売するだけじゃダメだ。
 どう調合したら売れ行き伸ばせるかな?

 そうだ。
 リゼラちゃんへの仕返し用に、ハバネロピザでも焼いてみようか。

 まだ終わっていない今日のやる事を、アレやコレやと考える。


 あたしの大事なお店に、サフラン香房に帰るんだ。


 再び歩み始めたハルネ。

 その足取りは、不安の回廊をすっかり抜け、力強く弾むような足取りだった。
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