記憶の欠片
アクアリウムカフェ
それから、いくつかの日が過ぎた。
放課後のある日、私は明日香ちゃんと一緒に帰ることになった。
行き先は、彼女おすすめのカフェ。
「ちょっと分かりにくいけど、いいところなんだよ」
そう言われて連れていかれたのは、駅から少し外れた路地の奥。
看板も控えめで、知らなければ通り過ぎてしまいそうな場所だった。
「ほんとにここ……?」
半信半疑で扉を開けると、空気がふっと変わる。
店内は暗く、静かで、壁一面に設えられた大きな水槽がゆっくりと揺れていた。
水の中を泳ぐ影。
ガラス越しに揺れる光。
水面が反射した淡い光が、天井や床、私たちの頬を静かに照らす。
まるで水族館の中に紛れ込んだみたいだった。
「ね、落ち着くでしょ」
明日香ちゃんが小さく笑う。
私たちはカウンター席に並んで腰を下ろした。
水面の揺らぎが映り込むカウンターは、鏡みたいに静かだ。
「私はカフェラテで」
「じゃあ、同じのにしようかな」
注文を終えると、水の音と、遠くで鳴る食器の音だけが残った。
私はカウンターに映る水の光を眺めながら、そっと息をついた。
それから数分後。
「ごめん、先にトイレ行ってくるね」
そう言って席を立つと、明日香ちゃんは「いってらっしゃい」と手を振った。
店内の奥へ進むにつれて外の音はすっかり消え、水の揺れる光と静かな足音だけが残る。
ここが街の中だということを忘れてしまいそうな、不思議な空間だった。
トイレを済ませ、鏡の前で少しだけ前髪を整える。
深呼吸をしてから、扉を開けたその瞬間——
「……っ」
誰かと、ぶつかった。
思ったより近くて、思わず肩が跳ねる。
「あ、ごめんなさい!」
反射的に謝ると、低めの声が返ってきた。
「いえ、大丈夫です」
顔を上げかけたけれど、視界に入ったのは制服の胸元と、ゆるく揺れる髪だけでなぜかそれ以上、見る勇気が出なかった。
もう一度小さく頭を下げて、私はその場を離れる。
なんで、今ちょっとドキッとしたんだろう……。
理由の分からない鼓動を胸に残したまま、席へ戻った。
「どうだった?」
「うん、キレイだったよ」
そう答えて腰を下ろすと、カウンター越しの水面がさっきより少しだけ揺れて見えた。
それから数分後。
「お待たせしました」
静かな声とともに、カップがカウンターに置かれる。
顔を上げた瞬間、私は一瞬、息を忘れた。
そこに立っていたのは——さっき、トイレの前でぶつかった男の子だった。
少し長めの髪は緩くパーマがかかっていて、切れ長の目が水槽の淡い光を映している。
近くで見ると思った以上に整った顔立ちで、思わず視線が泳いだ。
……さっきの人だ。
向こうは気づいているのか、いないのか。
「……店員さん?」
思わずこぼれた私の言葉に、彼は小さく笑った。
「その制服」
私と明日香ちゃんを見て、言う。
「俺も同じ高校だ。何年生?」
「一年生です」
そう答えると、彼は少し驚いたように目を見開いた。
「まじ? 俺も同じ」
「え……」
思わず声が重なる。
「クラス、何組ですか」
「二組」
その言葉に、胸の奥がきゅっと鳴った。
——二組。
黒髪の男の子…月城くんと、同じクラス。
偶然なのに、なぜか繋がってしまう。
「名前、聞いてもいい?」
少しだけ間を置いて、私は答えた。
「黒瀬……愛梨です」
その瞬間、彼の表情がはっきりと変わった。
「黒瀬……」
一度視線を落としてから、確かめるように私を見る。
「もしかしてさ」
そして、次に出てきた名前に心臓が跳ねた。
「黒瀬怜桜の……?」
「弟です」
そう言うと、彼は納得したように頷いた。
「ああ、やっぱり」
「俺、怜桜と同じバンドなんだ」
明日香ちゃんが目を丸くする。
「えっ、そうなの?」
「うん。俺はドラム担当」
彼は少し照れたように笑って、名乗った。
「風早 三湊。よろしく」
水槽の光に照らされながら、その名前が静かに胸に落ちる。
怜桜から伸びた、知らなかった一本の糸。
偶然にしては、あまりにも出来すぎていた。
私は、少し冷め始めたカフェラテを見つめながら、考える。
この出会いもまた、何かの“ 始まり”なんだろうか。
放課後のある日、私は明日香ちゃんと一緒に帰ることになった。
行き先は、彼女おすすめのカフェ。
「ちょっと分かりにくいけど、いいところなんだよ」
そう言われて連れていかれたのは、駅から少し外れた路地の奥。
看板も控えめで、知らなければ通り過ぎてしまいそうな場所だった。
「ほんとにここ……?」
半信半疑で扉を開けると、空気がふっと変わる。
店内は暗く、静かで、壁一面に設えられた大きな水槽がゆっくりと揺れていた。
水の中を泳ぐ影。
ガラス越しに揺れる光。
水面が反射した淡い光が、天井や床、私たちの頬を静かに照らす。
まるで水族館の中に紛れ込んだみたいだった。
「ね、落ち着くでしょ」
明日香ちゃんが小さく笑う。
私たちはカウンター席に並んで腰を下ろした。
水面の揺らぎが映り込むカウンターは、鏡みたいに静かだ。
「私はカフェラテで」
「じゃあ、同じのにしようかな」
注文を終えると、水の音と、遠くで鳴る食器の音だけが残った。
私はカウンターに映る水の光を眺めながら、そっと息をついた。
それから数分後。
「ごめん、先にトイレ行ってくるね」
そう言って席を立つと、明日香ちゃんは「いってらっしゃい」と手を振った。
店内の奥へ進むにつれて外の音はすっかり消え、水の揺れる光と静かな足音だけが残る。
ここが街の中だということを忘れてしまいそうな、不思議な空間だった。
トイレを済ませ、鏡の前で少しだけ前髪を整える。
深呼吸をしてから、扉を開けたその瞬間——
「……っ」
誰かと、ぶつかった。
思ったより近くて、思わず肩が跳ねる。
「あ、ごめんなさい!」
反射的に謝ると、低めの声が返ってきた。
「いえ、大丈夫です」
顔を上げかけたけれど、視界に入ったのは制服の胸元と、ゆるく揺れる髪だけでなぜかそれ以上、見る勇気が出なかった。
もう一度小さく頭を下げて、私はその場を離れる。
なんで、今ちょっとドキッとしたんだろう……。
理由の分からない鼓動を胸に残したまま、席へ戻った。
「どうだった?」
「うん、キレイだったよ」
そう答えて腰を下ろすと、カウンター越しの水面がさっきより少しだけ揺れて見えた。
それから数分後。
「お待たせしました」
静かな声とともに、カップがカウンターに置かれる。
顔を上げた瞬間、私は一瞬、息を忘れた。
そこに立っていたのは——さっき、トイレの前でぶつかった男の子だった。
少し長めの髪は緩くパーマがかかっていて、切れ長の目が水槽の淡い光を映している。
近くで見ると思った以上に整った顔立ちで、思わず視線が泳いだ。
……さっきの人だ。
向こうは気づいているのか、いないのか。
「……店員さん?」
思わずこぼれた私の言葉に、彼は小さく笑った。
「その制服」
私と明日香ちゃんを見て、言う。
「俺も同じ高校だ。何年生?」
「一年生です」
そう答えると、彼は少し驚いたように目を見開いた。
「まじ? 俺も同じ」
「え……」
思わず声が重なる。
「クラス、何組ですか」
「二組」
その言葉に、胸の奥がきゅっと鳴った。
——二組。
黒髪の男の子…月城くんと、同じクラス。
偶然なのに、なぜか繋がってしまう。
「名前、聞いてもいい?」
少しだけ間を置いて、私は答えた。
「黒瀬……愛梨です」
その瞬間、彼の表情がはっきりと変わった。
「黒瀬……」
一度視線を落としてから、確かめるように私を見る。
「もしかしてさ」
そして、次に出てきた名前に心臓が跳ねた。
「黒瀬怜桜の……?」
「弟です」
そう言うと、彼は納得したように頷いた。
「ああ、やっぱり」
「俺、怜桜と同じバンドなんだ」
明日香ちゃんが目を丸くする。
「えっ、そうなの?」
「うん。俺はドラム担当」
彼は少し照れたように笑って、名乗った。
「風早 三湊。よろしく」
水槽の光に照らされながら、その名前が静かに胸に落ちる。
怜桜から伸びた、知らなかった一本の糸。
偶然にしては、あまりにも出来すぎていた。
私は、少し冷め始めたカフェラテを見つめながら、考える。
この出会いもまた、何かの“ 始まり”なんだろうか。